その「L」にLoveを込めて-From/For 「Melak」
「Melak」というJO1の大平祥生くんのオリジナル曲が、すごく心に残った。
そして、なんだかわたしの感じたことを不器用ながらに真っ直ぐに、言葉にしたいなと思った。
わたしは基本的に自分の思いを言葉にすることに対して苦手意識がある。単純に「言葉」というものが怖いんだと思う。言葉ってどこにどう届くかわからないのに、時に人の考えや心を変えてしまうほどの力を持っているから。だからいつも明言を避けてしまう。
特に人に向けて「好き」という言葉を言うことが、愛を伝えることが出来ない。自分があまり愛を受け取るのが得意じゃないっていうのも相まって、わたしの好きは本当に好きなのかとか、この愛は迷惑じゃないのかなんて考えてしまって。
そんな小心者だから、実は一度も、「JO1(及びメンバー)が好き」「JAMだ」と言ったことがなかった。追うようになって半年以上経つと言うのに。
自分よりも後に彼らを知った人が、愛を示して、仲間を増やしていく様子を一人で眺める日々。なんでこの一言がこんなに言えないんだろうか。でも一人でも大丈夫だしまあいっか、そんなもんだ。そんなことを考えつつ日々を過ごしている時、この曲が公開された。
真っ直ぐな言葉に溢れた曲だ、というのが第一印象だった。眩しいとさえ思った。
いい意味で難しい言葉がなくて、でも薄っぺらく聴こえることはなくて、この言葉を信じたい、信じられるって思った。柔らかくて心地の良い、ひだまりのような歌声の中に、確固たる軸というか、ぶれない想いがあるように感じられるからだろうか。
そして、なんて綺麗で、あたたかい曲なんだろう。
真っ直ぐさは時に鋭く心を貫いてしまうけれど、そんなことを心配することもないくらい、暖かくて和やかな雰囲気に溢れている。
多分想像ができないくらいに愛も嫌いもなにもかも、沢山の複雑な感情を受けとめ続けていて、「愛」とか「好き」に対して色々思うことがあるだろうし、少しの歪みや恐れがあってもおかしくないはずなのに、こんなに真っ直ぐで綺麗な愛に溢れたものを作り出せること、この素直さと感性がわたしの感じた眩しさの一端なのだと思う。
個人的に「大袈裟でも嘘じゃない」ってフレーズが心に残っている。
その後に続く「捧げる」って本来の意味からするとかなり重い言葉で、本来簡単に言えることじゃないけど、表現としてはよく使われるもの。
「大袈裟かもしれないけど」「嘘っぽいけど」でも十分に伝わるのに、最後「嘘じゃない」って断定している。前者だと、「大袈裟に言っただけだよ」とある意味逃げられるのに、逃げの道を自ら封じたというか。
わたしは彼の人となりや歩みをほんの1%もわかっていないと思うのだけれど、本当に「捧げる」、それだけの想いというか、代償や責任を引き受ける覚悟を持った上でしか重い言葉を使わない人なんだろうなって思った。すごい人だ。
わたしに足りていないのは、きっとこの気持ちや覚悟だ。
いろいろ書いているうちに、ふと、「Melak」って言葉について考えてみたくなった。
とあるJAMさんの投稿から得た情報で、似た言葉にセルビア語の「Merak」という言葉があるらしい。意味は「日常の中に起きる小さな幸せから無常の喜びを感じること」。
そして今回彼が「Melak」に込めた思いは「あなたと過ごすこの日、この瞬間、些細な事でさえ全てが大切で宝物」。
流石に全くの無関係ではなさそうだな、と個人的には思う。笑
「R」が「L」に。響き的に使っているだけかもしれないけど「L」か。「L」ではじまる言葉ってなんだろう?
考えてみると、「Luminous」「Lively」といった素敵な言葉が沢山あって。でも逆に「Lack」、「Low」といった一見ネガティブな言葉もある。言葉で言い表せないことだって勿論あるけれど、その一つ一つが「わたし」の人生を彩り紡いでいく、大切なものなのだろう。なんて柄にもないことを思ってしまった。
沢山の言葉に溢れる世の中だけど、わたしはこの「L」に「Love」を込めたい。一番届いて欲しい、届けたい気持ちだから。真っ直ぐな表現から逃げてきたわたしが今度は真っ直ぐにLoveを伝えたい。やっと決心がついた。
嘘くさいかもしれないけれど、これは本心って言いきれる。
曲に込められた全ての想いを一つ残らず感じたいと思えるような、この曲に出会えて本当に良かった。素敵な曲を届けてくれてありがとう。
強さを持つからこその、綺麗であたたかいな優しさが好きです。
そして、一人のJAMとして、祥生くんが、JO1が、大好きです。
終わりに
拙い文章ですが、ここまで読んで下さった方がいらしたら、本当にありがとうございます。
これからも「Melak」を沢山愛していきたいです。