こんな感じで生きてきました。ざっくり経歴。
ご覧いただきありがとうございます!Mikiと申します。
2月末の通常コーチングでコーチのりかこさん(@Futsu__no_OL)の面談を受け、「そうだ、Twitterを活性化しよう!」と一念発起(?)
1日の目標をコツコツと投稿していたところ、気がついたら(ワクチン接種の副反応で撃沈している間に)100人を突破しておりました!\やったー!/
いつもTwitterを見て頂いている皆さん、ありがとうございます(*'ω'*)
初めましての皆さん、初めまして!
「私ってこんな人間です」ということをさらにお伝え出来ればな~と思いパソコンをカタカタしております。
文字だけで伝えるって難しいよなぁ…と常々思っているところなのですが、いろいろ書きたいことはあるのでつらつらと進めていければと思います。
どうぞよろしくお願いします!
属性紹介
1996年生まれの25歳
血液型はB型。
出身は新潟県。
一人っ子。父と母と私の3人家族。
現在は東京で1人暮らしをしており、 千葉県で勤務しています。
職種はIT企業のITサポート職で、現在は住宅メーカーのサポートセンターで電話対応をしています。
コールセンターをイメージしてもらえればわかりやすい職場で、1年半ほど在籍しております。
趣味は映画・ドラマを見ること、岩盤浴、美味しいごはんとお酒を楽しむこと。あとはジャニーズが好きなのでライブに行ったりライブ映像を見るのがストレス発散!(これについてはいつか詳しく書きたいと思っているテーマ…お楽しみに♪)
めっちゃ勉強した高校時代
花火と豪雪で有名な長岡市に生まれますが、幼少期~小学校低学年は転勤族の父の仕事で、何度か転校をしてきました。(こちらもまた別の記事で書きたいと思います。)
中学校からは新潟市で暮らし、自宅から一番近い高校に進学。
いわゆる進学校というところで、地元の国立大学への進学者が全国トップでした。校風は文武両道で、部活も体育祭も球技大会もガチ。
そして鬼のような課題量がちょっとした名物でした。
ということで、高校3年間は勉強と部活動の少林寺拳法に燃えていました。(本当にそれしか記憶がないくらい。)
部活の最後の大会が3年生の夏まであったため、受験勉強はほぼできないまま秋を迎え、10月のセンター試験出願後に本腰入れて勉強を開始。
12月の志望校判定まではボロボロの結果でしたが、センター1か月前に「人生で一番勉強したと言えるくらい勉強しろ!」と先生に言われ猛勉強。(マジで予備校?ってくらい教師陣の熱がすごかった。。。予備校行ったことないけど。)
今振り返ると本当に人生で一番勉強した時期だったなと思います。
そして、あの頃の自分がいなかったら今の自分はここに居ないと思うので、あの頃の自分に感謝。
自分でも気持ち悪いくらい机にかじりついて親に「呪われたんじゃないか?」と心配されるくらい勉強していました。
その猛勉強が実を結んだのか、3月、自分でもびっくりするくらいの好成績で第一志望の大学に合格し、晴れて大学入学と共に上京しました。
迷走した大学時代
外国語・国際学系の大学で4年間を過ごします。
専門地域は東アジア地域、専攻語は韓国語。
はい。「なぜ、韓国語?」と思ったそこのあなた!
ですよね!!
ええ、私も思っていました、ずっと(笑)
だって 私はKpopが好きなわけでも、韓流が好きなわけでもなく、大学に入るまで韓国に行ったこともないし、韓国人の友達がいるわけでもない。
知ってる韓国語は「アニョハセヨ」と「カムサハムニダ」。これ本当です。
というのも、大学受験のシステムでいろいろあり、受かったのが韓国語科だったというスーパー成り行きで入った人間だったのです!
そんな韓国語科には、入学時にすでにハングルをスラスラ読めて、ネイティブの先生と雑談なんかも出来ちゃう子ばかり。。。しかもみんな基本的にKpopに詳しい。
私がどんなに予習をして、どんなに音読練習をして授業に臨んでも周りの友達には追いつけない。。。 テストの点数もほぼビリ。
学業の他にも、なんとなく入ったダンスサークルでは周りのレベルやいわゆるパリピ感についていくのが精いっぱい。イベントも練習も心から楽しめなかったり、人間関係に悩んだりして、とにかく「劣等感」がすごかったです。
ストレスからか、一人暮らしによる栄養失調だったのかわかりませんが、体調もあんまり安定していなかった。
そんな日々を過ごして感じたことが「頑張ることはやめよう」ということでした。
語学も、ダンスも、バイトも、一人暮らしも。今思うと完璧を求めていたんだと思います。今思うと気恥ずかしいですが、東京という憧れの街に染まろうと頑張っていたのかもしれません。
これは完全にいい訳ですが、元々絶対に語学がやりたくて入ったわけではないので、まず「語学のエキスパートになるのは辞めよう」と1年生の時に決意。(じゃあなんであんなに勉強した?という話もまたどこかでしますね)
ダンスサークルも1年で辞めて家の近くでゆるゆるとバイトをしたり、インカレに顔を出したりして過ごしていました。自分にはこれくらいが合っているとやっとわかりました。
とはいえ、大学のカリキュラム上2年生までは必修科目に「韓国語」があったので何とかギリギリの成績でパスし、3年生になるタイミングで待望の専攻語との決別。そして入ゼミ。
このゼミが面白かった。。。
人生を変えたゼミと言っても過言ではないです。 その名も「グローバルスタディーズ研究室」。
今聞いても正直よくわからないゼミなのですが、ザックリいうと「世界で起きている事象を時代や国、研究分野に分けずにいろいろと考えてみよう」という場所でした。
良い論文を書く、学会に出ることが目的ではなく、
思考し、書き、話し、聞くことを鍛錬する。
これがグローバルスタディーズゼミの目的でありました。
とにかく考えて考えてアウトプットしていく。
先述したように1年生の時に語学のエキスパートになるのは辞めようと思ったのはいいものの、特にやりたいことも研究したいことがあるわけでもありませんでした。でもゼミは入らないといけない。
「なんでもできるところはないかな~」と探していた時に出逢ったのがこのゼミで、教授のゼミ紹介文章に感銘を受け、門戸を叩きました。今でも先生のように面白く人を惹きつける文章を書く方にはお会いしたことがありません。
しかも、入ゼミ希望者全員と1対1で面談をして下さり、「何もやりたいことが無い」とカミングアウトした私を「じゃあウチ、くる?」と迎え入れて下さったゼミでした。(この時は女神、に見えた先生はのちに悪魔と化しましたがそれはまた別のお話です。)
いろんな事象、いろんな国と地域、いろんな思想・人を研究している学生がいて、常にディスカッション。週1回90分のゼミ時間では足らず、ゼミ室に持ち帰ってまで議論議論議論。院生の先輩方も研究室に入り浸っていたので、いろんな話を聞くことができる場所でした。
3年生から4年生では、自分の考えをアウトプットして誰かに伝えることの楽しさと苦しさを学び、やっと大学が楽しいと感じた時間でした。(卒論提出前は血を吐くかと思いましたが。)
1度目の就職
「語学はいいや」と思いつつ、海外に滞在するのは好きだったので、4年の間に、カナダ・トロントの語学学校や韓国外国語大学の語学堂に通ったりもしました。そんな風に海外にも行く中でぼんやりと「社会に何かを発信する仕事がしたい」、そして「やっぱり日本が好きだ」と思い、卒業後は番組制作会社に入社。ADとして、キー局の情報番組を担当していました。
初めて入ったテレビの世界。右も左もわからず、沢山失敗して迷惑もかけましたが、「自分が撮った映像が全国に流れる」という仕事をすることができ、すごく嬉しかったです。そして、情報番組とはいえど、少しは報道にも携わる仕事をさせて頂き、今まで自分が当たり前だと思っていたことが全然当たり前じゃない世界、社会を目の当たりにした1年目でした。
平成から令和になる瞬間もテレビ局に居て、翌日の令和一発目の放送準備していたのも今となってはいい思い出です。
36時間寝ずに働いて、スーパーハイのままカラオケオールなんてこともあったり、同年代の同期が沢山いる職場で、今思えば学生生活の延長線上に居たと思うような生活でしたが、メディアという楽しさも苦しさも若干の怖さも知ることができた社会人1年目でした。
そして2年目になるというタイミングで、コロナ禍に。1年間情報番組をやってみて「ちょっと違う畑を見たい」と思い、番組異動したタイミングで1回目の緊急事態宣言。2つ目の現場にうまくなじめなかったこと、自分のキャリアに不安を覚えたこと、少し体調を崩したことを理由に7月に退社しました。
24歳、転職
とはいえ、貯金も無く、遊んでいる暇もなかったし、実家に帰るつもりもなかったのですぐに転職活動。有難いことに今働いている会社に出逢い、入社したのが2020年の9月のことでした。
またまた右も左もわからない業界でしたが、毎日勉強の日々。先輩方もみんな初心者で、同じところからのスタートだったのが心強く、何より電車があるうちに家に帰れて、毎日しっかり眠れることが幸せと感じました。
両親も私の身体を心配していたので、制作会社を辞めてIT企業に入社すると言った時は「やっと落ち着いてくれた」と安心して喜んでくれました。(制作会社に入社すると伝えた時は反対されていたので…。)
両親も喜んでくれるし、安定もしているし、しっかりした会社だったので「この会社で頑張ろう」と思いました。
・・・と、思っていたのですが、2ヵ月、3ヵ月、4ヵ月と過ぎ、業務に慣れていくにつれ、何だかモヤモヤとし始めます。
「今のままでいいのかな」
「私がやりたいことって、今の仕事なのかな」
「働き方、これで良いのかな」
「いつまで東京に居ようかな」
そんな気持ちがムクムクと出て来ていることに気付いていながらも、見ない振りをしていた頃、目に入ったのがInstagramのSHElikesの広告でした。
すごく心惹かれたんですね~これが!(広告作った人へ届け!効果テキメンでした!!)
元々私には
・パソコン一つでどこでも出来る仕事に憧れていた。
・会社という組織に居ること、出世などに興味が無い。
・9時-17時で働くことに魅力を感じない。
・飽き性ゆえ、ずっと同じ仕事ができない。
・自分の名前で仕事をしたい。
という性質がありました。
加えて、働いていくにつれ
・転勤族のパートナーと一緒についていっても、辞めなくて良い仕事がしたい。
・ゆくゆくは子育てしながら仕事がしたい。
・仕事、友達以外に知り合いが欲しい。
という考えが浮かび始めました。
そこで、、、ハイ。
あの広告の再登場です。
(Shelikesに入ってから、シーメイトさんの入会のきっかけをいくつか読んだのですが、Instagramの広告が効いている事例、結構あるんですね。すごい。。。)
「あれ、私に合ってるんじゃない・・・?」
そう思ってポチっとリンクに飛び、
あれよあれよという間に体験コースの予約をしていました。
体験コースも「受けてみよう~」くらいの気持ちで申し込みましたが、心の何処かで「入会しよう」と思っていたんだと思います。
その会の最後に入会手続きをし、、、
現在に至ります(*´▽`*)
これからのこと
2022年3月現在考えているのは、2022年いっぱいで今勤めている会社を辞めるということ。
これには今住んでいる家の契約時期や昇進の時期も関係するのですが、
区切りを設けて、それに向かって進んでいかないとなあなあのまま進めてしまいそうなので、これだけはもう決めています。
その為に、あと9か月で仕事を見つける。
予定では東京を離れるつもりでいます。
SHElikesでは、
・Webデザイン入門コース
・ライティング入門コース
・セルフブランディングコース
を受講完了、
・Webライティングコース
・コンテンツマーケティングコース
を受講中です。
フォトショを触るのも楽しいし、配色やフォントを見たりするのも楽しい。文章は読むのも書くのも好き。特に自分が言いたいことを的確な言葉で表せて誰かに反応を貰えるのがすごく嬉しく、楽しく感じます。
でも、「自分が何を仕事にしたいか」、がいまいちピンと来ていないという感覚です。
そろそろ本腰入れて考えないとと思いつつ、本業も忙しく、気がつけば3月。
いろんなコミュニティ、イベントに顔を出したいけれど、気がついたら日付が変わる、なんていうことも多々あります。
キラキラしているシーメイトさんや、Twitterの投稿を見て落ち込むこともあるけれど、自分を信じて、進んでいこうと毎日鼓舞しています。
まとまりのない長い文章になってしまいましたが
ここまで読んでくれた方がいらっしゃったらとても感謝です。
また何かしら記事を出そうと思うので、(ライティング案件4月は書く!!)
ぜひまた遊びに来ていただけたら嬉しいです♪