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仲間が減るということ

昨今の感染症が原因で、職場の仲間が何人か減ることになった。

それは誰のせいでもない。
だから誰かを責めることもできないし、
全員の意思に反する結果となった。
社長もマネージャーも先輩もその悔しさから涙を流していた。

その事実を目の前にした私は混乱した。
何を考えるわけでもなく、無表情のままだっただろう。
側から見ればなんの感情もない冷淡なやつだと思われただろうか。
正直そんなことはどうでもよかった。
「自分ではなかった」という安心感と
「自分のせいで去らなければならない人がいる」という罪悪感を同時に感じた。

そんなこと誰にも言えないから帰るときには先輩と全然違う話をしながら、
なんてことない風を装った。
家に帰ってみるとやはり頭の中は妙な安心感と罪悪感で一杯になり、
会社から与えられていた課題図書を読みながら仲間の顔を思い浮かべ、
初めて涙を流すことができた。


この状況だから2度と会うこともないだろうし、
連絡を取るのも気が引ける。
とってもお世話になった人たちに声をかけることも許されないのである。
初めての感情で正直3日経った今でも実感が湧かないのが本音だ。


新卒2年目で正直これといって特出しているスキルもない。
接客向いてないんじゃないかって言われることもある。
ただできるのはこうして消化し切れなかったことを言葉にして整理して昇華させることだけなのである。

同い年の仲間も増えて、盛り上げていこうなって意気込んでいたのはつい2ヶ月前だ。それ以来まともに言葉を交わさぬまま別れることになった。
先輩が多く、長く末っ子として可愛がられてきたが、同世代がいないことに寂しさをすこし覚えていた私にとってはまたとない機会だったのである。

悔しかった。

やはり想うのである。
なぜ私が残ったのか。

脳内をこの言葉が永遠と渦巻く今、
その答えを探すために成果を出さねばならない。
働かなければならない。
それが恩返しとなり、愛となって恩師たちに届くように祈ることしかできない。

奇跡は起こらないとわかったから、
せめて軌跡を胸張って見せれるものにしなければならない。

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