むこうまち
今日はJRで大阪まで行った。京都駅と大阪駅を結ぶ京都線は、京都市から向日市、長岡京市、大山崎町と繋ぎ、大阪府に入って島本町、高槻市、茨木市、摂津市、吹田市、そして大阪市に入る。
向日市は、最近では激辛商店街のある街として有名だ。西日本一狭い市、全国で3番目に狭い市として知っている人もいるかもしれない。
向日市にあるJRの駅は「向日町」駅といい、「むこうまち」と読む。ここが本当に「向日町」だったのは市政を施行する1972(昭和47)年までで、52年もさかのぼる。しかし、市内には向日駅のほかにも「向日町警察署」「向日町郵便局」「向日町競輪」のように、「向日町」を冠する施設が残っている。改称された施設のほうが多いのだろうけど、それでも残っている。京都には、いまだに「向日町」という人が多い。
その向日市にはサティがあった。サティ――今はイオンに吸収されているが――スーパーのサティだ。もっと昔はニチイといった。小さい頃、たまに家族でサティに行った。JRに乗って、向日町駅で下りて、少し歩くのだ。ここも、「〈向日町〉サティ」だった。こういうちょっとしたお出かけは、時に大旅行よりもノスタルジックに思い出される。「むこうまちのさてぃ」は、私に特に大きな印象を残す店ではなかったけれど、その響きを懐かしく思い出す。ムコウマチノサティ。
「むこうまち」は、あまり固有名詞っぽくない。どこか遠い場所、山をこえた向こう、を抽象的に表したようにも聞こえる。その響きは幼い私をわくわくさせた。絵本に出てきそうな、むこうまち。一人で電車に乗ることのできない年齢の私には、「向日町」は文字通り[むこう(の)まち]だった。自分の行ける世界の端っこを越えてたどり着いた先にはあまりにもふさわしいその名前、むこうまち。
実際「向日町」名を残すものの大半は、馴染みがあるからとか、手続き上の煩雑さを避けるためとか、たぶんそういう実務的な理由なんだろう。けれど、もうどこにでも一人で行ける私は、あの頃の記憶が閉じ込められた町の名がもう少し使われていてほしいとわがままなことを思う。
JR京都線からは、向日町駅と西大路駅の間に開業した「イオンモール京都桂川」が苦よく見える。住所は一応京都市南区だが、向日市にもまたがっている。向日町サティとは比べ物にならないくらい大きな建物だ。「かつらがわ」を[むこう(の)まち]と思う子供も多そう。今の子供たちは、いつか[かつらがわ]を甘い記憶の地名として振り返るのかな。