見出し画像

おやじとインフルエンザ

私の家族はふつーうの田舎の、ふつーうの家庭でしたが
父親はちょっとした、いわゆる毒親ってやつでした。
(友人に話して初めて毒親って気付き、それまではちょっとアレな人なだけだと思っていた)

幼少期は、それこそ普通の父親。
そもそも”普通”の概念が、今では多種多様だと思いますが、
平日は朝早くから仕事に行き、夜遅く帰ってきて
休日は子供と遊び、週に1回実家に行き親(私からしたらじじばば)に顔を見せる。
他の家族構成は、母、妹、弟の5人家族。
長期休みには家族旅行も連れて行ってくれ、たくさん遊んでくれたのも覚えています。
勉強も見てくれていたし、父がハマっていた競馬のゲームも一緒にたくさんしていた。
でも、私たち家族と父親の間で溝が生まれてしまった時のことはしっかりはっきり覚えてます、その張本人だし、私。

元々デリカシーがないっていうのはありました。
物心ついたくらいの歳の時から、
「おばあちゃんとママのケツ見てみろ、でかいからお前も将来デカくなるから今のうちからトレーニングしとけよ〜」
とか
「外国人から見たら、なんだお前のペチャ鼻はって思われてるぞ〜」
とか。
大人になった今になって、自分でも気付かない所でコンプレックスになっていたんだなあと感じます。
でも、自分は気にしていても周囲の人からしたらそんなことなかったり。
そういえば父方の伯父もそんなタイプでその気無しに子供心を抉ってくる人でした。

そんな父は私が中学生になった頃から中国へ単身赴任することが増え、
中学生時代はほとんど家にいませんでした。
中国の事を批判するわけではない前提ですが、時期的にはその頃から父親は母親や子供たちによく暴言を吐くようになりました。
リビングの真上が私の寝床だったのですが、毎日早朝から父母の言い争う声が聞こえてきて、目覚ましよりも早く目が覚め、盗み聞きをする毎日。
父親が母親に対して手を挙げたり、下手をしたら包丁を持ち出すのでは、、と恐れる位でした。
なので毎日毎日、目覚めからヒヤヒヤして、何か少しでも物音がしようものならすぐに向かって母を守らなきゃ、とか考えてました。

ことの発端は高校1年生の冬、通学前の朝
朝から機嫌が悪く母と言い合いをした後、通学の準備が済んだ私に対して
父「おい、部屋片付けろよ」
私「あー(うん、のつもり)」
程度のやり取りをし、父は自室へ戻りましたが、しばらくした後いきなり戻ってきて私の顔に右ストレート!

何!?何がどうした!?(思考フリーズ)

世界が一瞬止まって見えた。
本当に殴られると星が見えるんだなー、とか。笑
強い衝撃(いろんな意味で)を受けると人間何も考えられないんだなーと思いました。

父が家族に手をあげたのはこの時だけで、
母や他の兄弟に暴力をしなかったのは本当によかったと思います。
でもその時をきっかけに、完全に父と、他の家族4人の間では
見えない壁ができてしまいました。(家族のLINEグループも4人だけ)

私はというと、その後通学しないわけにもいかず
クラスに好きな男子もいて、通学時にばったり会うと一緒に学校へ行く、なんていう甘酸っぱい青春もあったりで
痛む頬と涙を抑えながら冬の寒空の下チャリを漕いで通学したわけですが
電車で彼と一緒になったものの、そんな悲惨な顔を好きな人に見られたくもないし、悔しいし理不尽だしで泣きながら通学。
友人からはわからないよと言われたけど、殴られた後の部分がすごく腫れているように感じて
授業中に耐えられない頭痛に襲われ(殴られたし泣いたせいだと思って)
保健室へ行くと38℃の発熱。
母に迎えに来てもらって、なんとインフルエンザでしたとさ。
学校は楽しかったし行きたかったけど、そんなメンタルで笑顔でいられるわけもないから
少しだけインフルエンザに感謝しました。笑

父親のヤバめエピソードは、これからもまだまだたくさんありますが
今日はこの辺りで。

〜ジエンド〜

いいなと思ったら応援しよう!