私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑫
今日の海南島は台風の影響で冷たい雨が降っています。海南島にも秋がやってきたようです。
阿浪の部屋探し
4月10日の夜、阿浪は夢を膨らませて辿り着いた日本だったのに、たどり着いた日本は想像していた日本とは違っていた。結局、社長の寛大なお気持ちに甘えてしまうことになるが、阿浪と私は気を取り直すことにした。
明日からは一人暮らしのできる部屋探しをしなければならない。やっと先が見えてきて、嬉しそうな彼の笑顔に満足した。
次の朝、日本語学校へ電話を掛け「寮の入居は中止します」と陳氏へ伝えた。ところが彼は、
「ここ事は私だけでは決断ができません。理事長と相談しますから少し待ってください」
電話の向こうでは、何やら相談話が微かに聞こえていた。
「申し訳ないですが、寮の一年分は返金できないそうです。昨日、阿浪が書類にサインしましたので・・・」
驚いた。いつの間に阿浪にサインさせたのだろう。日本語学校を訪問した際、私が車中で待っていた時にサインさせたのだった。まだ言葉もわからない彼に契約書のサインをさせるなんて本当に卑怯なやり方だ。納得できない私は、理事長である中国人の女性と話をした。さすが上海女、早口でまくしたて、気の強さは私も負けてしまうくらいの勢いだった。いくら口論していても今は意味がないと思い。最終的に、この問題は河本氏が落ち着いてから対処をしてもらう事になった。
朝から気分が悪かったが、阿浪のアパート探しをしなければならなかった。メルパルクで紹介をされた不動産会社を訪ね物件を斡旋もらい、阿浪の部屋は運よく学校近くに見つかった。さっそく社長に相談をして快く了解の返事が頂けた。
「阿浪、良かったね。社長が保証人になって頂けるそうですよ。一年分の部屋代や管理費、そして火災保険など全てを援助してもらえるのです。感謝を忘れないでね」
ここまで援助してくれる方がどこにいるだろうか。阿浪は幸せ者だ。彼も大変喜んで笑顔になった。
次の日、社長は夕方過ぎ不動産会社に到着をされ、全ての契約が終了した。その日は、社長に美味しい日本料理をご馳走になって阿浪も大変満足そうだった。そんな彼を見て私は
「社長のご恩を一生忘れず頑張ってほしい」
と、何度も言った。
次の日からは、生活用品の準備をした。彼の部屋は、ワンルームマンションの4階だった。冷暖房設備やユニットバスなどは、フローリングの床もピカピカ磨かれて清潔感が部屋中に漂っていた。生活用品は殆ど購入したが、ベッドや布団は明日にならないと届かないので、その日も仕方なくホテル泊まりだった。
訪日6日目にして、やっと彼の生活がスタートした。ホテルを出た私たちは、直ぐマンションへ向かった。マンションは、このホテルからタクシーで10分もかからない。思ったよりも早く到着をしたので、部屋の片付けをしながら購入した荷物の到着を待っていた。お昼になっても荷物は届かなかった。お昼になったので、マンションの下にある喫茶店へ行った。
「いらっしゃいませ!」
店主の元気な声で、店の活気を感じた。この店は、親子で経営をされているようで、息子は好青年だし、母親は名古屋弁の優しそうな女性だった。「ここなら阿浪も安心かも・・・」そんな思いが私をほっとさせた。さっそく昼食を注文して、食事をしながら店主と話しに花を咲かせた。店主の女性はとても面倒見が良さそうだった。阿浪が心配だったので、何度も頭を下げてお願いした。やっと一息つけた事が何よりもの成果だった。
この日も、いつの間にか夜になり、私は阿浪に別れを告げてホテルへ戻った。心の中は、阿浪の事で頭がいっぱいだったが、明日は海南島へ戻らなければならなかったので、夜中まで準備に追われ、寝不足のまま朝を迎えた。