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私が見た南国の星 第2集「苦しみを乗り越えて」⑩

今回も楽しいお話です。山のホテルの従業員の皆さん、素朴てとっても可愛らしいんですね。このホテルに行ってみたかったと、つくづく思います。

カラオケ


 それでも、この2001年の年には楽しい思い出も多かったような気がする。思い起こせば、まだ馮さんと出会う前の2000年12月中旬のある日の出来事だった。仕事が終わった女子社員の「黄秋梅」と一緒に町へ買い物に出掛けた時の事だった。商店で買い物を終えた私たちは、ホテルへ戻ろうと思い車に乗り込もうとした。その時、急に一台のオートバイが近づいてきた。運転していた青年は、見るからに体格が良く健康そうな顔色をしていた。後部座席には、もう一人の青年が何やら海南語で声を掛けてきた。黄秋梅は彼等に笑顔で返事をしている。
「この子たちは一体誰なのかしら」と思ったが、言葉を掛けても通じないだろうと思い、私は無言だった。すると黄秋梅が
「ママ、私の友達です」
と、紹介した。お互い会話も出来ないので、
「ニーハォ」
と、私は一言だけ挨拶した。彼等は私が日本人と知っていた。二人とも海南人なので浅黒い顔と大きな黒い瞳が印象的だった。
黄秋梅は5分ほど会話したが、私が無言だったので気を遣ったのだろう。彼等も
「再見!」
と言って走り去っていった。ホテルに戻って彼女から聞いたのだが、彼等は公安局の警察官だそうだ。でも、その時は私服を着ていたので警察官とは思えなかった。
夜の8時過ぎになり、部屋で着替えをしていた私の所へ黄秋梅がやって来て、
「ママ、私は実家へ帰ります。明日の朝8時までに戻りますので良いですか」と言った。彼女は念入りに化粧し、綺麗な洋服を着ていた。
「阿梅、今日はすごく綺麗だわね。デートですか」
と言った私に、真っ赤な顔をしながら答えた。
「違います、友達に会うだけですから」
と恥ずかしそうな顔をした。
「気をつけて帰りなさいね。夜はお酒を飲んだ人が、いっぱい歩いていますから綺麗な人を見ると近寄ってくるかもしれませんよ」
と、冗談交じりに注意をした。
「きっと、今日出会った青年たちと会うのでしょう」と思いながら自分の若い頃を思い出した。私も昔、仕事が終わると友達たちに誘われて遊んだりしたものだ。いつの時代も同じだと思った。若い頃は、何をしても楽しいものだ。私もそんな事を思う年になってしまったとつくづく感じ、若い人たちが羨ましくも思えた。
 
 次の朝、黄秋梅が明るい声で挨拶をしてきた。
「ママ、おはようございます」とても軽やかな日本語での挨拶は、昨日の余韻が残っているようだった。
「阿梅、昨日は楽しかった?」
と尋ねてみた。
「はい、すごく楽しかったです。友達とカラオケに行たり、お茶を飲んで話をしました」彼女の弾んだ声は館内に響き渡るようだった。
「良かったわね、今度は私も誘ってね」
と冗談を言ったのだが、彼女は本気にしていたようだった。
その夜、私はシャワーを済ませて一人テレビを見ていると、
「ママ、カラオケ好きですか」
と、彼女の声がドア越しに聞こえてきた。声が聞こえた方へ視線が行くと、少し開いていたドアの隙間に彼女が立っていた。
「どうぞ入ってください」
と声を掛けた。私は、その昔、飲食店を経営していたことがある。カラオケは自分の経営する店にもあったので、毎日のように歌声を聴いていた。ここへ来てまで人の歌を聴きたいという気持ちにはなれなかったのだが、とりあえず彼女の言葉に
「はい、好きですよ。でも私は歌うのが苦手ですから聴くだけならね」
と答えた。彼女は、私が好きなら連れて行きたかったのだろう。
「そうですか、では今度一緒に行きましょう」
と彼女に言われてしまった。彼女の真剣な顔を見ていたら、気の毒になってしまい
「最近は忙しい仕事がありますから月末ごろに行きましょう」と言って、話題を変えてしまった。その頃は、まだ龍氏の退任も控えていたので、正直なところ気分転換したいという気持ちはあった。
 2000年12月23日に龍氏が退社した。その数日後、社員たちを連れて隣のホテルが経営しているカラオケ店へ行った。歩いて5分くらいの所だったので、急用ができても直ぐ戻る事が出来るので安心だと思って出かけた。
 店内はかなり広く、中央にはダンスが出来るホールとなっていた。舞台も設置してあり、大きなスクリーンは日本の店と変わらない。この田舎のホテルとしては良い方なのだろうが、少し音響が悪くうるさかった。次々、社員たちが自分の歌声を披露してくれた。この地でカラオケを楽しんだのは初めてだったが、時間を忘れて社員たちとの交流が出来た。ちょうど1時間が過ぎたころだった。
「今度はママが歌って下さい」
と言われとっさに
「日本の曲がないから歌えません。皆さんだけ歌って下さいね」
と言った。ところが残念がった社員の一人が何処から捜したのか「北国の春」を見つけた。中国では、この曲がヒットしているらしく、田舎のカラオケ店でも置いてあった。
「だめよ、この曲は演歌ですから私は自信がないの」
と謝る私を見て、黄秋梅が変わりに歌ってくれた。彼女は歌が好きだと言うだけあって、本当に綺麗な高音の歌声だった。日本の若い歌手たちにも引けを取らないくらい上手だった。その歌唱力のある歌声を聴きながら、遠く離れた故郷を思い出していた私だったが、夜も更け、11時が過ぎたので、社員たちに
「もう、帰りましょうか」
と言った。彼らは、まだ歌いたい気分らしく、返事が返ってこなかった。
「では、私だけ先に帰りますので皆さんは12時までに戻って来て下さいね」
と言葉を掛けると、
「はい、わかりました」
大きな声で返事が返ってきた。やはり、楽しみのない山奥の生活なので、この若者たちにとってはこんなことが、楽しみなのだろう。
 私が席を立つと数人の女子社員たちが
「ママ、一緒に帰ります」
と席を立ち始めた。残った社員が少なかったので、少し可哀想な気がしたが、ホテルへ戻る事にした。ホテルへの道は街灯のない農道だ。本当に真っ暗で、まるでお化け屋敷の中を歩いているようだった。そして、肌に冷たい夜風が少し不気味で、社員が一緒に歩いてくれなかったら、怖くて一人では帰れなかっただろう。歩きながら
「今度は年明けに行きましょうね」
と言葉を掛けると、嬉しそうな顔をしながら
「ママありがとう!」
と叫ぶような声が、周りの静かな森まで響き渡るようだった。
「もう遅い時間だから静かに歩いて帰りましょう」
暗い夜道を、蛍たちの明かりを頼りに、やっとホテルに辿り着いたのだった。
 

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