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私が見た南国の星 第1集「蛍と夜空」②

22年前、海南島の七仙嶺の麓のホテル、町でたった一人の日本人の野村房代さんの奮闘記です。「孤軍奮闘」「四面楚歌」・・・頑張った記録です。

パン屋のパンが焼けてない?


 
 ちょうど日本を離れて半年が過ぎた頃だった。
 朝から私は「なんて今日は朝から暑いの」そう呟きながら身仕度を終え、いつものようにレストランへと向かった。毎日、私の朝食はレストランで作ってもらう特別メニューだった。しかし今日は、テーブルの席に着いて20分も過ぎたのに何も出て来ない。私は係りから出されたお茶を飲みながら今日の予定を考えていた。すると、私の補佐役の龍氏が、厨房のドアから楽しそうな雰囲気で現われた。彼は小柄な体格で見た目は若いが、実際のはかなりの歳だった。彼は東京で日本語を学んだらしく、おおよその日本語は理解できるようだった。私の座っている場所に来た彼は、何だか興味津々という表情で、少し不気味だった。
「お姉さん、今日はお天気が良いね。朝ごはんはもう済みましたか」と、軽やかに話かけてきた。私は、
「朝から楽しそうね。私はまだ何も食べていないわよ」と答えた。すると彼は、
「どうして?まだ食べないの」と聞いてきた。私は心の中で、
「うるさいねぇ、この孫悟空!」と思いながらも作り笑顔で言った。
「今日は料理人たちが忙しいのか遅いみたいなの。でも、もうすぐ作ってくれると思うけどね」仕方なく心にも無い言葉を発していた。
 実は海南島の朝食は私の苦手な味が多くて、努力しても食べられなかった。朝から「お酒の入ったお粥」や、油でギラギラしたスープと野菜炒めなど、一日中油料理ばかり、中国料理は油が多いのは知っていたが、この島人たちは特別油好きなのかもしれない。朝からお酒入りのお粥なんて食べたら仕事なんて出来ないはずだが、この島では普通のことだという。
ところで私の朝食はというと、日本にいる時と同じで「パンとコーヒーにサラダ」なのだ。日本にいたら特別でもないのだが、ここでは珍しい「特別メニュー」だった。
 暫くして、龍氏が口を出してきた。
「お姉さん、僕が聞いてあげるよ」そう言いながら、彼は厨房に姿を消した。
私はお茶を飲みすぎたし、一日くらい朝食抜きでも構わなかったのだが、いつもイヤミの多い彼が優しすぎるので黙って待つ事にした。5分程すると、彼が料理長と共に私の所へ来て弁解を始めた。
「お姉さん、今日は特別メニューが出来ないらしいよ」
と劉氏が言った。私は「どうして?」と尋ねた。すると彼は料理長と海南語で話を始めた。私は自分の朝食のことで時間を無駄にしたくないため、
「龍さん、もういいから、私は事務所へ行きますので朝食はいりません」と言った。彼は、
「今日も買い物係りがパン屋へ行きましたが、パンが無いので出来上がるのを待っている」との説明だった。私は呆れ返った。朝の6時ごろには必ずパンは焼きあがっているのに、なぜパンが無いと弁解をするのかと思った。
「そう、お店のパンが全部売れてしまったようだから仕方がないでしょう。私はパンが焼きあがるまで待てませんから、今日の朝食は結構です」と言うしかなかった。それでも話は終わらない雰囲気だったので、
「私も忙しいし、皆さんも仕事がありますからこの件は終わりにしましょう」と言った。
「もう直ぐパンが焼けるから大丈夫です。買い物係りから電話が掛かってきたので心配ないですよ」としつこく言われれば私が気分を害することはわかっているだろうに、龍氏が何を考えているのか理解できなかった。本当はパン屋にはパンがあったのに、買うのを忘れただけなのだ。「パン屋にパンが無いから焼きあがるのを待っている」と自分たちを正当化させ、パン屋の責任にするのは中国人らしいと、今考えれば理解できる。しかし、その時の私は「すみません」の一言を期待していただけなのだった。こちらが何か言えば弁解ばかりを言って、自分を正当化する彼らの生き方は、なぜか可哀想にも思えた。だから、「真実を言うのに時間はかからないです」と言い残してその場を立ち去った。
 こんな調子だったので、こんな生活にいつまで耐えられるのかと心配になったが、とりあえず彼らとは目線を下げて付き合うしかないと思った。
 

トラブル発生


 

ホテルのロビー

 龍氏は私の直属の部下なのだが、彼の方が私より三ヶ月ほど早くこのホテルで勤務していた。入社する前までは、6年間ほど日本で生活をしていたということで、確かに日本語は何とか話せた。しかし、性格的に落ち着きがなくかった。毎日の業務では問題が多く、私は頭を悩ませていた。もちろん人間は誰でも長所もあり短所もあるので仕方がないが、彼の場合は俗に言う「宴会係り」といったところで、社員たちと和気藹々なのはよいのだが、ハメを外すことが多いのが気になった。今日は、朝から朝食の件で、彼自身も気分が沈んでいると感じたので、この日はなるべく優しくしてやろうと心掛けたのだが・・・また問題が起きてしまった。
 いつものように仕事を終えた社員たちは、宿舎で音楽を聴いたりテレビを見たりして、一日の疲れを癒していた。私もこの日は館内の温泉で身体を癒しながら、夜空に輝く満天の星を眺めていると、なぜか急に寂しくなって涙がこぼれそうになった。 
 気を取り直して、部屋に戻ったのは夜の12時頃だった。突然社員の大声が聞こえてきた。一体何が起きたのかと部屋のドアを開けると、廊下には龍氏と女子社員二人が何やら口論をしている。この日は宿泊客も少なかったため館内はとても静かだったのに、雷でも落ちたような大声は私を驚かせた。
私は龍氏に口論の原因を尋ねたが、彼も興奮をしているため何を言っているか分からなかった。時間も遅いのでこんな口論続けていては迷惑だと思い、声をかけた。
「龍さん、こんな時間に何を興奮して怒鳴っているのですか!」
私は少し強い口調で言った。すると彼は、私に対しても喧嘩腰で言い返した。
「あなたは赴任したばかりだから口出しをしないで!」
その瞬間、私の気持ちも一変してしまい、彼への優しさは吹っ飛んだ。確かに私は、言葉や生活環境の違いには苦労をしているが、自分なりに努力をしながら頑張っているつもりだった。彼の言葉を聞いて急に腹立たしくなった。
「仮にも私はあなたの上司であり、このホテルの総支配人です。あなたは私の部下でしょ!」それくらいは言いたかったけれど、それは我慢するしかなかった。頭に血が上るのを感じつつも、「落ち着かなければ私も彼と同じレベルになる」と自分に言い聞かせて、暫く状況を見つめていた。
やがて三人は疲れきった様子で、だんだん無言になり下を向いたり廊下の壁を見つめたりしていた。私は痺れを切らして、
「もう夜中ですから自分たちの部屋へ戻って休んだら」と声を掛けた。
そして、一人の社員が自分の部屋へ戻ろうとした時でした。龍氏が立っているところへ近づき、まるで野生の雌ヒョウのような鋭い目つきで、龍氏に向って、
「私は会社を辞めます!」と言っていたようだった。そう言われた彼は顔面蒼白になり、
「この話し合いは明日にしましょう」と言った。結局、私も自分の部屋へ戻る事にしたのだが、このことが気になり眠れない夜を過ごした。
 


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