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私が見た南国の星 第3集「母性愛に生きて」①

 私が人間に生まれてから一番難しいと思ったことは、親子関係だった。 
他人であれば、上手くいかなければ付き合わなければいいだけのことだが、それが親子ともなれば話は別問題だ。確かに、こうして今の自分がこの世に存在しているのは両親のお陰なのだが、私は苦しいことや悲しいことがある度に、両親を恨んだりしていた。今思えば、それは生まれてきたことに喜びが感じられなかったからなのだろう。
 お釈迦さまは「親の恩を知りなさい」と言われたそうだ。それは、「この世に私が生まれてきたのは両親がいたから、感謝しなさい」ということだろう。それが理解できたのは人生の折り返し点を過ぎてからだった。そして、昔の人が言った通り、両親の愛を理解し、親孝行をしたいと思った時に親はいなかった。
 この三年目からの苦しい生活を振り返ると、母の人生もこの時の私の人生と同じくらい苦しいものだったのではないかと思うようになった。そんな母に私は最期まで、「私を産んでくれてありがとう!」と言えなかった。そして、いつしか時が過ぎ、「お母さん、私はあなたの娘に生まれて本当に良かった」と思えるようになったのは、海南島が私の心を変えてくれたのだと思っている。
 母が好きだった花は、道端に咲いている小さな花だった。どこにでもある雑草のような小さな、とっても小さな花たちだった。
「こんな雑草にだって、綺麗な花を咲かせることができるのだよ」
「目の不自由な人だって、ちゃんと花の香りでわかるのだから」
「耳の不自由な人だって、ちゃんと花の声が聞えるのよ」
そんなことを言いながら母は道端に咲いている小花に話かけていた。
「明日も綺麗に咲いておくれ」
「私がいなくなっても、ここで元気に育ってね」
50年以上前の思い出が蘇ってきたが、今になると、母は花にではなく私に言いたかったのだろうと思えてくる。
 母がいつも口ずさんでいたのは、1938年にヒットした松竹映画の「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」だった。子供の頃は、「なぁに、この変な歌は」って思っていたが、今はそんな母の歳も過ぎてしまったのだと思うと、感慨深いものがある。
 母は、なぜかあの当時は、二番の歌詞ばかり歌っていた。
 
優しかの君 ただ独り
発(た)たせまつりし 旅の空
可愛い子供は 女の生命(いのち)
なぜに淋しい 子守唄
 
この「愛染かつら」の映画には、たぶん母の大切な思い出が秘められていたのだろう。4歳で実母を亡くし、母は母性愛というものに飢えていたのかもしれないが、私は、そんな母の愛に包まれて育った。私は祖母と一緒に生活をしていたので、母がいない日でも寂しさはなかったし、むしろ甘やかされて育った。母に叱られた時には祖母が私の味方だった。 
 しかし、私は自分が母親になった時には、我が子に上手く愛情を伝えることができなかった。私の愛を注げなかった我が子への罪滅ぼしをしたかった。だからこそ、母から受けた躾や教育を海南島の子供たちに伝えたかった。私は母親として、決して許されない罪を背負って生きているが、海南島の恵まれない子供たちに出会って、彼女たちの母親代わりとなって、私が出来る最大のことをしたいと思った。
 
「第三集」
 
   母性愛に生きて
 
阿浪の誕生日
 二年の年月が過ぎ、三年目の海南島生活が始まった。今までの二年間は言葉の不自由があったが、何とか自分なりのやり方で頑張って来た。馮さんが来てくれてからは、ずいぶん楽になったが、やはり言葉の問題は大きなハンディーだった。
 2002年の3月からは、阿浪も私の片腕となり、日々の業務が楽になってきた。3月は彼の誕生日もあるので、入社と誕生日を兼ねてパーティーを催す事にした。彼に内緒でパーティーを計画していた私は、社員たちと相談をしてプレゼントを買うために町まで出掛けた。こんな田舎の商店では、思うような買い物も出来ず一旦は諦め、馮さんに頼み海口市のデパートで洋服を買ってきてもらう事にした。
 数日後、彼の誕生日の3月8日がやって来た。その日の計画を知らなかった彼は、いつも通り朝から業務に励んでいた。まだ入社したばかりだったので、ホテル業務に関する基礎や、周りのホテルを視察しては自分なりに努力をしていたようだ。私と社員たちは、そんな彼を見ながら今日のパーティーが待ち遠しくてならなかった。夜になって、彼が外出をしてしまったら計画が台無しになると思った私は、
「阿浪、今日は外出をする予定ですか」
と彼に尋ねてみた。彼は外出の予定がないと言い、どうしてそんな事を急に言われたのか不思議そうな顔をしていた。そして、
「外出をする用事でもありますか」
と、逆に聞かれて戸惑ってしまった。
「実は、今日の夜ですが貴方の誕生日と入社祝いをしたくて準備してるので、出席をしてほしいの」
と、正直に今日の計画を話した。すると彼は、
「ありがとうございます。でも、僕のお祝いはしなくてもいいから」
と恥ずかしそうな顔をして答えた。あなたのためだけでなく、社員たちとのコミュニケーションを考えての事だ、と彼に説明した。彼は途中入社なので、社員たちに直ぐには溶け込めていなかったし、社員たちにしてみれば、後から入って来た上司には素直に従えないという気持ちもあったようだ。
「彼は大陸人だし、海南島の少数民族である社員たちが、彼の指示を素直に受け止められるのだろうか」
私の心の中には、常にそんな心配があった。阿浪も、そんな私の気持ちを自分なりに感じたのか、
「わかりました。ありがとうございます」
と言って、ニッコリしてくれた。
「貴方は今日で28歳になるのでしょ?」
と、私が言うと、彼は、
「いいえ、違いますよ!僕は、今日で29歳です」
と言って驚いたような顔をした。
「去年は確か27歳だと聞いていたわよ」
というと、
「ずっと28歳で年齢が止まっていれば良いのにね」
と、笑いながら席を立って行った。ここで、ケーキのロウソクが1本足りないことに気づき、慌てて厨房へ走り出した。
「料理長、ケーキのロウソクが足らないわよ」
私の大きな声で、一斉に料理人たちの視線が私に集まった。
「お姉さん、大丈夫ですよ。ロウソクはたくさんありますから」
料理長は、そんな私を見て落ち着いた顔で答えてくれたが、
「良かったわ。彼は今日で29歳なの」
としか言葉が出なかった。安心して事務所に戻り、彼へのプレゼントを眺めながらパーティーの時間を待っていた。
 暫くすると、パーティーの用意が出来たと社員に告げられ、レストランへと向かった。女子社員たちも、それぞれに用意したプレゼントを手にし、楽しそうな表情がとても可愛く見えた。
 パーティーが始まると、司会者の料理長は冗談混じりの司会を始めた。まるで自分が主役のように挨拶をする姿を見て、全員が大爆笑だった。阿浪も今日のパーティーに対する感謝の気持ちを述べ、今後の業務に対する自分の抱負を発表した。社員たちから拍手とプレゼントをもらった彼は、まるで子供のように嬉しそうだった。
 そしてパーティーのメインであるケーキが登場した時だった。阿浪の目の前にケーキが置かれた瞬間、私もびっくりしてしまった。ケーキの真ん中には、大きな「非常用のロウソク」が1本さしてあったからだ。
「何これ?」
私のびっくりするような声で周りの社員たちも大笑い。料理長は平然として、
「これは副総支配人、阿浪の心臓です。周りのロウソクは身体の一部です」
と説明を始めたので、笑いが止まらず、叱る気にはなれなかった。一般的にロウソクの数は、その人の年齢の数だと思うが、ロウソクが1本足りなかったので、上手にごまかしたということだ。私の勘違いが原因だったのだが、このパーティーを盛り上げてくれたのは大きな1本のロウソクだった。このロウソクのお陰で、阿浪は思い出深い、楽しい29歳の誕生日を迎える事ができた。そして、これを機に阿浪と社員たちの間には信頼感も生まれた。
 この楽しかった思い出も、今は心のアルバムの中の一枚となってしまった。家族のように生活を共にしてきた社員たちは、今はそれぞれの道を歩み頑張っている事だろう。
 「社員たちは今どうしているのだろう」と、昔を思い出す今日この頃だ。
 
 

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