見出し画像

私が見た南国の星 第5集「走馬灯のように」⑪

海南島に戻られた野村さん、また目まぐるしく働く日々が戻って来ました。しかし、ホテルが売却されることが決まっているわけですから、なんだか寂しそうです。

再び海南島へ


 今回の帰国は、初めて海南島へ着た頃よりも複雑な思いだった。父母の墓参り、墓前に向かって心から手を合わせ両親に詫びながら、これからも苦境を乗り越えて生きて行く事を誓った。本当に短い帰国だったが、「これからの人生も海南島から始まる」と、力強く自分自身に言い聞かせ、私は日本を離れた。
 名古屋空港を飛び立った瞬間、「この国に生まれ育ち、私は幸せでした。生きてさえいれば、いつの日か再び幸せな日がやってくる。自分に負けないで!」心の中で呟きながら目頭が熱くなった。
日本を離れ、海南島へ戻って間もなくの頃だった。社長からの送金について大変な問題が起きてしまった。外貨送金については、これが最後になる予定だった。送金済みの連絡を受け、会計係は海口市へと向かった。中国銀行から最寄りの銀行へ送金手続きもしなければならないので、なかなか大変な作業なのである。
 今まで何回も送金してもらっているのに、今回の引き出し手続きは出来ないと銀行から言われてしまったのだ。会計係からの報告では理解が出来なかったので、銀行に問い合わせをすると、外貨改正が決定したため、今までのような手続きが出来ないと回答がきた。会社には何の通知も無かったため、抗議をしたのだが無理だった。中国銀行の行員は、
「これは規則ですから、どうしようもありません。送金された日本円は銀行で止まったままの状態ですから、数日後には送金者に返却をされます」
と、事務的に冷たく言った。
 規則と言われては仕方がないが、そんな大切な問題を会社へ通知されなかった事に疑問を感じた。毎年、外国投資企業協会にも多額な費用を支払っているのだから、通知がないというのはおかしいと思った。どうしたらよいのか頭の中が混乱していたので、とにかく本社へ連絡をした。返却されれば、流動資金も底がついているので、社員の給料や光熱費などの支払いも出来なくなる。オークションが成立すればどうにかなるが、不成立の場合には営業を続ける事が出来なくなってしまう。
 この問題が発覚してから、心痛な思いと焦りが、走馬灯のように私の脳裏をぐるぐると駆け巡った。どうしようもないので、私の口座を利用して送金をするしか方法がない。でも、これは法律違反なので罰金も覚悟しなければならない。いろいろ考えてみても、どうしても良い方法が見つからなかった。
 そんな時、河本氏と友人の方を含めて15名が観光に来られる予定が入っていた。「送金が出来なければ持参しかない」と思った私は、直ぐ河本氏へ連絡をした。
「申し訳ございませんが、どうしても外貨の送金が出来ませんから、申し訳ないですがご持参していただけませんか。15名様に振り分けてご持参して頂ければ助かります」
と、藁にもすがる気持ちで言った。無理は承知だったか、どうしてもお願いをしたかった。河本氏は渋々了解してくれたが、仕方なかった。

 15名様は7月9日から二泊三日の日程で来られることになっていた。送迎に関しては現地の旅行社へ依頼をした。7月に入ってからは気温も上昇して、毎日真夏日の天気が続いていた。この数ヶ月間辛い日々を送ってきたので、日本からのお客様が来店される日が待ち遠しくてならなかった。
ご一行は上海経由で、三亜空港に9時半頃に到着をされるので、ホテル到着は11時過ぎになる予定だった。旅行社のバスがホテルの玄関先に到着をして、皆さまが次々に下車をされた。私は社員たちと出迎えをしたのだが、ご一行はお疲れの様子もなく大変お元気な様子だった。
「皆様、大変お疲れ様でした。係りがお部屋までご案内をさせて頂きますので、暫くお待ち下さいませ」
と、忙しく飛び回っている私を見て、以前も来店をされた松本先生が声を掛けて下さった。
「やぁ~、久しぶりだね。元気で頑張っているんだね」
と、以前と変わらぬ笑顔が私を励まして下さった。
「先生も大変お元気そうで・・・」
私も思わず微笑んだ。何度お会いしても、とてもダンディーな方だった。ちょうど私が飼っている子犬2匹も出迎えていたが、先生の事が気に入ったのか側から離れなかった。一匹の雄は中型犬で「レオ」と言い、もう一匹の雌は小型犬で「ジュリー」と言った。ジュリーは、日頃お客様の側へは絶対に行かなかったのだが、今回は先生のところに行ったので不思議に思った。先生もジュリーが気に入られたのか、抱っこしながらロビーを歩いていらっしゃった。
「この子は広州から来たのですが、三亜市の獣医さんから頂きました。でも、仲間の犬にいじめられたようで片目が少し傷ついて、視力もあまり無いのです」
私の話に同情をされたのか、暫く抱いていてくださった。
「可哀想にね、この子を私にくれませんか」
という突然の言葉に驚いた。
「そうですね、ここに居るよりも日本で生活をした方がジュリーも幸せなのかもしれません」
そう答えながら、本当に日本で暮らした方が幸せかもしれないと真剣に考えてしまったが、情も移ってきているので直ぐに返事はできなかった。それに、「これは冗談かもしれない」と、この時は深く考えなかった。
 皆様方は各自部屋で休憩をしたり、露天風呂へと向かわれるようだった。このホテルでは日本の浴衣が部屋着だったので、日本人の方が浴衣姿を着て歩かれる姿を見ると、心が落ち着く気がした。中国人や西洋人の宿泊客が浴衣を着られてもしっくりいかず、まるで道化師のように見えるのだ。やはり浴衣は、日本人でなければ素敵に見えないと思った。そんな事を思いながらも、今回の皆様方に私は旅の思い出の企画を考えていた。日本人が宿泊をされる日には、いつもトラブルがないようにと朝から夜まで神経を使いながら飛び回る私だった。今回は客室が足りなかったので、河本氏と松本先生や名鉄観光の添乗員が隣のホテルで宿泊をされる事になっていた。阿浪や私の就寝時間は深夜の3時頃になったが、管理者としての業務だから仕方がなかった。隣のホテルへは予約をしたくなかったのだが、他のホテルでは少し遠いので仕方がなかった。皆様方が消灯された後も、阿浪は保安係に指示をしたりして業務に励んでくれた。私は、次の朝は6時に起床して、急いで身支度をして、レストランへ行き朝食の確認や、露天風呂のお湯の温度を計ったりして動き回っていた。そして、隣で宿泊をされている3名様を迎えに行かなくてはならなかたので、目が回るような忙しさだった。
 ご一行は朝食後、三亜市へ観光に出掛けられるので、現地旅行社の添乗員と打ち合わせもしなければならなかった。そんな時、隣のホテルで宿泊をされていた名鉄観光の添乗員が、部屋で入浴中に、滑って転んでけがをしてしまった聞き、びっくりした私は添乗員の所へ駆けつけた。
「大丈夫でしょうか、病院で診察を受けられた方が良いかもしれません。私の耳に入ったのが遅くて、本当に申し訳ございませんでした」
と、丁重に謝った。ケガについても心配だったので、念のために三亜市の総合病院で診察を勧め、観光の時間を調整してもらい、病院に行くことになった。病院へは現地旅行社の添乗員が付き添ってくれた。隣のホテルが何も対応してくれなかった事に腹立たしくなった私は、阿浪に隣の管理者から事情を聞くように指示をした。ご一行がホテルを出発されてから3時間後、添乗員のケガについて報告が入った。三亜市の病院で検査をした結果、異常が無かったとの事だったのでほっとした。夕方の5時過ぎに、ご一行はホテルへ戻って来られた。とにかく添乗員は軽傷だったのでよかったが、やはり心配で、
「本当に大丈夫でしょうか、申し訳ございませんでした」
と、何度も頭を下げる私だった。それを見て、
「心配しないで下さい。こちらこそ申し訳ない事をしてしまったのですから」
と、さすが日本人だと思った。中国人ならば、こんな時は、当たり前のように医療費を請求され、宿泊代など絶対に払わない。そして、最後は慰謝料や交通費までも要求されるのだ。玄関先で、ケガをされた添乗員と話をしていた時だった。ロビーの椅子には、隣のホテルから管理者と社員がケガの様子を伺うために待機をしていた。そして、ケガをされた添乗員と私に気付き、駆け寄って来て、
「今回は私のホテルでケガをされて誠に申し訳ございません。治療費や交通費をお支払いさせて頂きますから、どうかお許し下さいませ」
という言葉に、心から詫びる姿勢を感じた添乗員は、何も要求しなかった。
「もういいよ、別にどこも異常がありませんでしたから、心配しないで下さい。でも、浴室の床を改善しなければ第二のケガ人が出るかもしれませんよ」
優しく言われたので、隣のホテル管理者と社員も安心した様子で戻って行った。こんな事で、せっかくの旅行が不愉快な思いをされたらせっかくの旅行が台無しになってしまうと思ったが、一件落着してホッと胸をなでおろしたのだった。
 夕食時には「少数民族村」からショーダンサー達を呼んでいたので、皆さまには楽しい一時を味わって頂けたと思っている。民族舞踊や竹のダンスに参加をされた方々は、とても楽しい思い出になったと喜んでいらっしゃった。私も業務最後の企画として、民族村からダンサーを呼んだ事は、大成功だったと満足感に浸っていた。
 松本先生からも、私の仕事振りにお褒めの言葉を頂いたが、私の心の中は揺れ動いていた。「これが私の最後の企画」心の中で呟きながら、笑顔で感謝の気持ちを表した。
 間もなく、このホテルは売却をされるのだから、自分のできることは精一杯しなければと思っていた。どんな時も、お客様に満足をして頂く事が私の仕事なのだから。サービス業とは、そんなものではないだろうか。もうこんな仕事はしたくないと何度も思ったが、今回のような仕事が出来なくなると思うと、切なさが込み上げてきた。
 ご一行が旅立たれる朝、松本先生がジュリーを抱っこしながら敷地内を散歩されている姿が目に留まった。松本先生は、幼稚園を経営されているので、心の優しさが伝わってくる。こんな子犬にさえも園児と同じように接して下さっていたのだろう。だから、ジュリーも日頃と違っていたのかもしれない。たかが子犬かもしれないが、心優しき人のことは分かるのだろう。ジュリーを心から可愛がって頂けそうな気がして、松本先生にお願いすれば安心だとさえ思った。しかし、ジュリーを日本へ送るにはジュリー自身に問題があった。日本は動物を外国から上陸させる事について、大変厳しい検査があって、ジュリーは日本へ連れて行く事が出来ないのだ。目の問題だけではなくて、呼吸器系にも少し問題のある子犬なので、検査には合格できないだろうと思った。私の愛犬二匹は最後まで、この海南島で面倒を見てやりたいと思っていた。だから、この子たちよりも早く他界できないと思っていた。
 皆さんがバスに乗って、ホテルの敷地から出られる間際、ジュリーは松本先生との別れが寂しくなったのだろう、「ク~ン、クン」と、涙を流していた。人の心を持っているのではないかと思った瞬間だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?