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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑳


 野村さんには、海南島に娘や息子、家族のようにされている方がたくさんいます。中でも阿珍さんは本当の娘のようです。昨年の秋、阿珍さんは結婚しました。私も結婚式にお邪魔して、幸せそうな阿珍さんに会うことが出来ました。そして先月、阿珍さんはママになりました。

阿如のこと


 阿娜が海を渡り香港へ移民してから間もなく一年になるが、元気に生活をしていると聞き安心している。阿娜との別れから数日後の事だった。落ち着きを取り戻した阿如にも春が訪れた。阿如は七仙嶺にある少数民族リー族の子供として生まれた。阿如の家は、阿珍の住むミャオ村に近い、地元の農場が管理している敷地内にあった。阿如と出会ったのは、彼女が小学一年生の時だった。父親は、とてもハンサムで働き者だったが、酒癖が悪く、酒に酔っては母親に暴力を振るっていた。その頃は、母親は私が管理をしているホテルで働いていたので、子供と遊ぶ暇もなかった。まだ一年生の阿如は、お昼になると学校から戻って自分で料理をして食べていたという。阿如の母親は双子で、その双子の妹も私のホテルで仕事をしていた。ふたりがあまりにも似ていたので、入社当時私は二人を間違えてばかりいた。阿如の母親は真面目な社員だったので、ホテルが廃業した後も、次の会社でも評判が良く、今も引き続き頑張って勤務していると聞いている。
 阿如が小学三年生の頃、父親のあまりの暴力に耐え切れず、母親は離婚を決断した。阿如の将来の事も考えると本当に辛かったそうだが、阿如も毎日のように暴力を振るう父親を見て、幼かった彼女にも母の苦しみが理解できたようだ。父親は離婚したくなかったようで、時々ホテルにやってきて和解を申し入れていた。でも、阿如の母親の決意は固くて最終的には親族会議で父親を説得させ離婚をした。それ以来、この母子は必死で生きてきた。そんな姿を見ながら、この私は影ながら支援をしていた。少しでも収入になるように残業をさせたり、母親が手作りした米の酒をレストランで販売したりしていた。母子家庭の状況を知っていた派出所の警察官たちも、私の手助けを理解してくれていた。両親の離婚後、阿如も明るい性格となり元気に学校へ通っていた。帰宅をしてからの家事仕事も文句を言わず一所懸命母を助けていた。
 私は、阿如が12月24日に誕生したと聞き、毎年のクリスマスイブには阿如のお祝いもしていた。そんな私の気持ちをわかってくれて、いつのまにか私の事を母子揃って「ママ」と呼んでくれるようになった。ホテルが廃業した後は、毎年のように夏休みや冬休みには阿珍と一緒に我が家で過ごしている。
「ママ~!ただいま」と
日本語が飛び出すほど、我が家は子供たちにとって憩いの場所となった。そんな阿如も反抗期の頃には、誰の言うことも素直に聞けない時期があった。これは誰でもが経験する事だと、私は母親に助言をした時があった。
阿如が中学三年になった時だった。母親に縁談話が舞い込んできた。母親が、いくら一人で頑張っても所詮は女性、もしも自分が病気になったらと不安だったのだろう。結局、阿如の母親も子供の将来を考えて、昨年の冬が訪れる前に再婚の道を選んだ。再婚相手は、元銀行員で、性格は真面目で、酒やタバコ、マージャンもしない男性だそうだ。再婚相手も一度結婚に失敗して、阿如と同年齢の男児がいる。立派な家があり、店舗も所有しているのでテナント料の収入もあるようで、生活の面ではまったく問題はなかった。しかし、阿如にしてみるとやはり不安なことが多かったようだ。この問題は時間が解決してくれると私は信じているので、阿如には上手に説得をした。中学生ともなれば、自己主張をするのは成長の過程だと思う。我が家へ来た時の阿如は弁論大会の弁士のようだった。
「ママ!聞いてください。私のお母さんは・・・」
この日本語から弁論が始まる。30分くらい黙って聞いていると、彼女も疲れてきたのか話は途中で終ってしまうのだった。私は、面白いから冗談で彼女に言った。
「阿如の気持ちは、ものすごく理解ができますよ。だから、阿如の話を録音しておこうかなぁ~。もう一度、最初から話してくれますか」
すると、
「えぇー、私の話を録音するの?何のために録音しますか」
私は、もっと楽しくなってきた。
「だって、いつか阿如が結婚してお母さんになった時、あなたの子供に聞かせようと思っているの」
そんな事を言われた彼女は、大きな瞳を輝かせて困った顔になった。そんな様子を見て
「冗談だわよぉ~」
と笑って安心をさせた。母親の再婚は、正直なところ阿如にとって複雑だった。でも、彼女は母の背中を見て育った心の優しい子なので、義父とは上手に付き合ってくれることだろう。
 こうして私の大切なもう一羽の雛鳥は、幸せな人生に向かって歩き出した。ただ、この子の場合は母親も了解しているので、短期間でも我が家で生活をする事が許されている。阿如の将来も、この私が心配をする事はなくなった。そして、「阿如、阿娜」この二人は、もうこれからの生活については心配する必要はない。私は、この命がある限り、そっと見守りたいと願うだけだ。
 ただ、阿珍だけが、いつも心の中で気がかりだった。彼女も、今年は短大生になる。私が海南島にいる間は人並みの生活もできる彼女だが、もしも私がいなくなれば誰を頼りに生きていくのだろう。そんな事ばかり考えながら12年が過ぎ去った。
 2010年、11年は私の人生転換期でもあったような気がする。そして、この二年間は命の尊さを身に沁みて考えさせられた。私は一人では何もできない人間だ。そして、この間数多くの中国人に助けられて生きてきたことを、決して忘れてはならない。今日を迎えられたのも決して自分の力ではない。数多くの人に支えられて生きてこられたのだ。この海南島へ辿り着いて12年、本当に長い旅だったような気がする。でも、これからの私は、決して過去を振り向いてはいけない。そして、これからの人生も、ひたすら自分に負けないように生きて行くだけだ。


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