
私が見た南国の星 第4集「流れ星」⑩
そういえば「SARS」ってありましたね。死亡率が高くてすごく怖いと思いましたが、それほど長引かず、日本ではそれほど流行しないで済んだという記憶があります。それに比べて今の、「コロナ」はいつになっても収ましませんね。まさに今、海南島では感染が広がって大騒ぎです。
「SARS」問題
やがて5月の大型連休も終わったが、中国では「SARS」問題で政府からの厳しい管理体制が始まっていた。
三亜市までの公共道路では検問が始まり、ニワトリやアヒルの輸送に関しても厳しい検査をされるようになった。また、県外からの観光客の自家用車や観光バスに対しても検問が始まり、苦情や宿泊のキャンセルが相次いで起こり、営業にもマイナスが多くなってきた。旅遊局の会議では、経営側の衛生検査と宿泊客や社員の体温検査を義務づけられた。問題が発生した場合についての対処と、その義務に違反をした場合には、法律で罰せられるとの通達が来た。客からは苦情も多く、経営していても利益も出ない状況が続いたので、ホテルの営業を一時ストップして臨時休業にした。休業中は、館内の清掃や設備点検をして、社員を交替で休暇させるようにした。近隣のホテルでは、客足は少ない状況だったが、そのまま営業を続けていたようだった。
このSARS問題については、世界中のマスコミも取り上げていたが、解決策が見つからないままの状態に不安を感じるだけだった。しかし、私のホテルでは、社長が医師なので、体温計や高度の防菌マスクなどが手に入り、本当に助かった。町でもマスクは店内から姿を消すほど売れて、体温計までも在庫切れの状態だったので、どこのホテルも困っていた。ある日、旅遊局長がホテルを尋ねてこられ、社員たちの使用しているマスクを見て驚いていた。
「これは、外国製ですよね、日本から送られてきたのでしょうか。私にも売ってもらえませんか」
と少し恥ずかしそうに言った。
「これは売り物ではありませんので、宜しかったら一枚ですが差し上げます」
と、言った。政府の関係者なので無下にすることも出来なかったのだ。彼はそれでも社長に聞いてほしいと言った。
「社長からも局長には差し上げて下さいと言われていましたからお持ち下さい」
嘘も方便ということで、上手に答えておいた。嬉しそうな局長は、
「社長には、くれぐれもお礼を言っておいて下さい」
と上機嫌だった。このSARSという伝染病は大陸の各地で流行していたが、唯一この島だけは流行を免れていた。大陸のお金持ちは、家族の安全を考えて海南島へ一時避難をする人が増えてきたので、省政府も、空港や船舶、そしてバスなどの交通に対して24時間体制で警備をする状況となった。旅行会社などは、次々と営業休止、廃業する会社まで出てくる始末だった。
トラブルメーカー将徳理
暫く続いたSARSの流行も収まってきたので、業務を再開することになった。客足は徐々に増えて、以前のように営業が出来るようになったのだが、今度は社員の問題で悩まされることになった。原因は、客室主任の将徳理が、部下との間にトラブルを起こしたことにあった。彼は軍隊出身なので、部下の指導が厳しく、社員から見れば彼がどうしてそんなに厳しいことを言うのか理解できなかったようだ。その上、女子社員に対しても、軍隊で経験したように管理していたようで、ある日、彼に反発した女子社員を殴ってしまったのだった。彼女はこの村に親戚があるので、身内にでも訴えられたら、大騒ぎになってしまう。少数民族は昔から家族や親戚の絆を大切にしているので、このようなことを身内が知ったら、将徳理は間違いなく仇討ちをされてしまうだろう。場合によっては命さえも危なくなる。賠償問題へと発展する恐れもあるので、ホテルとしても大きな問題になってしまう。私は直ぐ、彼女の状態を見なければと、女子寮まで駆けつけた。ところが、彼女は既に親戚の家へ帰ってしまった後だった。急いで村の親戚まで行き、彼女と叔父に謝罪をしたのだが、彼女は泣いてばかりいて本当の原因がつかめなかった。
「今回の事は、私の管理不足ですから、穏便なご配慮をお願いします」
と、私は、とにかく誠心誠意で謝罪した。彼女の叔父が、思っていたよりも理解を示してくれたのが幸いだった。ところが、彼女は心が傷ついていたのだろう。
「将徳理を許せない」
と、興奮しながら言って、ホテルの仕事を辞めたいと言い出した。とりあえず、この問題を解決するために彼女を連れてホテルへ戻った。将徳理を呼び、事実を確認した私は、将徳理に謝罪を求めた。
「貴方が犯した暴力行為は、どのような場合でも謝罪をしなければいけません。早く彼女に謝りなさい!」
と言っても、謝罪しないので、とうとう私は大声を出した。それでも、彼は謝罪を拒否したため、頭を掴んで土下座をさせようとした。横で見ていた阿浪もびっくりしていたが、そうでもさせなければ彼女の両親や親戚が許さないと思った。それだけ少数民族は団結心が強く、自分の命を捨てても身内を守る人たちなのだ。
「地面に土下座なんてプライドの高い中国人はするはずがない」
と、聞いたことがあるが、そんなプライドよりも自分の命を大切にした方が良いと思った。
最初は拒否していた彼だったが、私が彼女の近くへ行き、先に土下座をしている姿を見て、自分も謝罪をする気になったようだった。結局二人で一緒に土下座をした。それを見た彼女は、びっくりして、
「もういいです!」
と一言だったが、許してくれたようだった。その後、将徳理も私に対して、
「ママ、すみませんでした。これから気をつけます」
と言ってくれた。その言葉だけで全てが解決したわけではないが、少なくとも彼の命は救われた。
それから数カ月後、彼女は隣町の税務局職員と結婚をするため退職をした。彼女が幸せに暮らせることを祈っていたが、幸せを掴むことができなかったようだった。ホテルの売却決定した後のある日、久しぶりに彼女から電話が掛かってきた。せっかく皆さんに祝福されて結婚をしたが、離婚したと彼女は言った。その話を聞いても私にはどうすることもできなかったので、話題を変えて、いろいろな話をした。すると彼女は、
「ママ、私は貴女の存在は一生忘れません。社員のために自分まで土下座をしたママの愛は、本当に感謝をしています。でも、ごめんなさい!私は幸せになれませんでした」
と言った。彼女の言葉は、私に救いを求めてきているように思えたのだが、その時の私には、どうしてやることもできなかった。
彼女が結婚を報告に来た時、
「絶対、幸せになります。どんなことがあっても、私は耐えて頑張りますから、ママ心配しないでね」
と本当に幸せいっぱいの様子だったのだ。だから、なおさら離婚は辛かったのだろう。その電話が彼女と最後の会話だった。あれから、どうしているか知る由もないが、きっと笑顔を忘れずに頑張って生きていると信じている。
「人間の本当の幸せ」って何だろう。お金があっても、お金では買えないものは数多くある。自分自身が今日の日を大切に生きて、毎日の生活の中で笑いがある人生を送ること、それが本当の幸せだと私は思っている。海南島へ着てから何度も挫折した私だったが、社員たちと一緒に笑って過ごした日々は本当に幸せだった。将徳理とも親子のように暮らした数年間は、私の大切な思い出になっている。しかし、彼は協調性に欠けるところがあるので、その後も私を悩ませた。