割れた世界の片隅にいる君へ
自分もそうだった。
↑のnoteを読んで、そう思った人はきっと少なくない。
私もそうだからだ。
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『環境が違うことの残酷さ』に打ちのめされたのは、大学受験の時だ。
種子島で生まれ育った私は、小学生の頃から明確に『デザイナーになりたい』と思っていて、大学も当たり前にデザイン系の学校に行きたかった。
でもね、貧乏暇なしというような、休日は農作業が当たり前の家に生まれて、家族旅行なんて『高校の時に私の絵が美展に入選し、県立美術館に飾られるから見に行く』くらいしかしたことがないような環境だったから、東京の華やかな美術系大学なんてテレビの中の絵空事だ。
そもそも通っていた高校には美術部すらなかったから、中学時代の後輩の入学を待って立ち上げたくらいだしね。
親と話し合った結果出た条件が『公立短大の美術・デザイン系なら受験・入学をしてもいい』だった。
美術系・デザイン系の学校を受験したorしようと思ってる人なら知ってると思うけど、そんな学校は数校しかない。
当時見つけられたのは、大分県の美術短大、静岡・東京・神奈川の大学校の4つ。
しかも静岡学校に至っては次年度からの募集なしだったので、実質3校しかなかった。
ただ、高校の時の美術の先生はすごく親身になってくれた。
美術系学校の受験はデッサンが全てだから、受験に不要な教科以外の授業の時間もデッサン練習できるように取り計らってくれた(テストは受けた)。
夏休みは鹿児島市内で行われるデッサン講習に出られるよう、ウィークリーマンションを借りて(お金は親が出したのか先生が出したのかは不明)くれた。
自分でもわかるくらいにはよく描けるようになったと思う。思ってた。
けれど、第一志望にしていた大分の短大には落ちてしまった。
受験会場には、私がなんとか獲った美展の入選は当たり前、それ以上のレベルの賞を持ってる人がゴロゴロいたのだ。
唯一行った家族旅行の美術展で、最優秀賞として飾られていた絵の描き手もいた。
レベルが違った。
そもそも、環境が違いすぎた。
知らない人も多いけど、美術展は出品料を払わないとそもそも参加できないし(出品料ない美展もあるけどね)、作品の搬入搬出にもお金がかかる。
サイズが大きければそれだけかかるし、私のいた環境ではまず離島料金追加が当たり前。
美展に応募できる = そもそもの環境・経済状況が整っている
それを痛感した瞬間だった。
もっと絵の才能があれば、短大には受かったのかもしれない。
才能のなさを、環境のせいにしていると思う人もいるだろう。
才能がないのであれば、より学ばないといけないのに、その絵を学ぶ環境がないのだ。
環境がなければ、体験もできない。
美術館のない小さな島で、才能もお金もない平凡な私は、頭を垂れることしかできないのだ。
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結局、産業デザイン科がある神奈川の短期大学校に入学した。
大学ではなく『大学校』なので、専門学校とか職業訓練校とか、そういった分類になる学校だ。
県立の学校だから、神奈川県内の人がほとんどだった。
私からすれば、テレビの中の世界の住人である。
学校はかなり大変だった。
一般的な大学と違って毎日フルで授業がある。課題もある。夏休みは4週間。
バイトをして生活費を稼ぎながら通っていたので、課題の多さに徹夜することもあった。
1年も経つとクラスの人数はかなり減っていた。
”ココ”には、選択肢が多いからだと思うと辛くて羨ましかった。
実家の、限られた選択肢しかない世界が寂しかった。
学校を卒業し、新卒で中規模のデザイン会社に入った。
クラスメイトは某大手ゲーム会社に行った子もいるが、大きい会社は避けて就活した。
だってきっと、自分とはかけ離れた好環境で生まれ育った人間しかいないのだ。そもそも、”ココ”に生まれている時点で恵まれている。
そんな人たちの集まりだろうという偏見と、大きい会社であることに胡坐をかいた人たちとはきっとウマが合わないという直感があった(ちなみにこの直感は後々に当たる)。
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上述のnoteにある通り、世界はいくつにも割れていると、私も思う。
以前別のnoteにも書いたが、お金がないと勉強すらできないという状況が日本にはある。
鈴さんは、いつかの私だ。
もしかしたら、鈴さんのかつてのクラスメイトかもしれない。
でも今は、小さいながらもデザイナーとして生計を立てている。
それが私の密やかなる自慢だ。
私は運良く環境を変えられて、夢を叶えたけれど、それが難しい子はいくらでもいる。
鈴さんのnoteのコメント欄にも、たくさんの『ふつう』が溢れていて、その『ふつう』すら昔の私には羨ましい。
鈴さんの声をきっかけに、割れた世界に気づく人が増えますように。