禍話リライト「こわいものが出た」
── 彼らのタイミングを、こちらが知る術はない。
◇◇◇
普通、トイレの花子さんといえば、ノックをして呼びかけると出てくるものだが、そうじゃないトイレもあるらしい。
関西にあるその小学校には、人の寄り付かないトイレがある。
特別教室のある棟の、さらに奥まったところにあるので元々利用者は少ないのだが、そこには『お化け』が出るというのだ。
その昔、一人の女子児童がそのトイレの奥の個室で首吊り自殺をしているそうで、その女の子の『お化けが出る』らしい。
トイレの個室で首吊りなんて、なかなか難しそうなものだが、該当個室の横には用具入れがあり、そちらのフックや何かにひっかけて、器用に行ったそうだ。
実際にそんなことがあったなら、まとめて使用不可にするなりしても良さそうだが、なぜかそうはならなかった。
そして不幸にもそのトイレの掃除当番になってしまった子供たちによれば、掃除中いきなり用具入れのそばにある水道から水が出てきたり、掃除前なのに水浸しになっていたことがあるらしい。
他にも、見回りでそのトイレを見に行った先生が、清掃後できれいになっているはずなのにメチャメチャに荒らされているのを発見するなど、不可思議な現象・噂の絶えないトイレとなっている。
そうしてそのトイレは『ノックをしなくても出る花子さん』がいると言われるようになり、先生や生徒から恐れられ、『お化けが出るから近づくな』と言われるようになった。
◇
── そんなことありえるんだろうか。
冬近いある日、学校に残ってテストの丸つけをしていた僕は、ふとその話を思い出して被りを振った。
この学校で自殺した児童がいたのは本当の話らしいが、その後のお化け話はなんとなく胡散臭さを感じる。
現に僕自身、この目で見たことがなかったから。
しかし、信じている先生は多くいるようで、遅くまで学校に残る先生は少ない。今日だって職員室に残っているのは僕一人だ。
── さて、もう一息。
暖かいコーヒーでも淹れようと席を立ったところで、廊下の奥の方からバタバタバタと複数名の足音が聞こえてきた。
「せんせい!せんせい!」
慌てたような声で息を切らせて駆け込んできたのは、低学年と思われる児童
3人。
僕は高学年の担当なので名前はわからないが、学校指定の上履きも履いてるし、うちの学校の児童だろう。
「どうしたんだ?」
「あのね、トイレでね、」「いたの!」「ノックしたらね」「〇〇くんが」
半ベソで肩で息をしながら、それぞれが喋るので要領を得ない。
要約すると、〇〇くんが肝試しをしようと言い出し、例のトイレにみんなで行って、よくある『ノックして花子さんに呼びかける』ようなことをしたらしい。
そして個室のドアを開けると、本当に出た。
というか、いた、らしい。
トイレの個室の隅っこに立って何やらブツブツ言っているのを見て、逃げ出してきたのだという。
泣き出す子もいるし、どうしようどうしようとパニックになっているので、なんとか宥めすかした。
勘違いだとか、個室の隅は影になってより暗くなるから見間違えたんだ、とか言ったのだがおさまる気配はない。
そして困ったことに、
「〇〇くん、置いてきちゃった!」
らしい。
パニックで動けなくなってしまったのかもしれない。
なんてこった。
「わかったわかった、先生が見てくるからここで待ってなさい」
コーヒーを淹れようと思ったカップを自席に置き、代わりに職員室にあった非常時用の懐中電灯を持ち出して、特別教室棟のほうへ足早に向かった。
◇
日が落ちるのも早くなった。時間のわりに外が暗い。
特別教室棟の出入り口へ向かうと、本来なら施錠されているはずのドアが開け放たれている。
やっぱりこっちか、まったく。
それにしても、子供たちが残っていたのは意外だった。肝試しのためだったのだろうか。
── 保護者に電話して迎えにきてもらったほうがいいだろうか。
そんなことを考えていたら、あっというまに特別教室棟の奥、噂のトイレにたどり着いた。
暗い。電気は点いていない。
女子トイレの方のドアに近づくと、中からシクシクすすり泣く声がする。
「おーい、いるのか?」
声をかけると、嗚咽の混じった声で
「はい、うぅっ……」
返答があった。置いていかれたという、〇〇くんだろう。
「入るぞー」
声をかけて、ドアを開ける。
薄ピンクのタイル張りの床に、男の子がへたり込んでいた。
薄暗い室内を見回すと、戸を開け放された個室が4つ。一番奥のほうの個室は閉まっていて持ち手が違うので、そこは多分用具入れだ。
「うわぁぁ、こわいよぉー」
「もー、なに言ってんだ。何もいないだろ」
普段はクラスのリーダー格っぽい感じで、低学年にしてはすこし体躯のよい彼に近寄る。僕は泣いている彼を安心させるつもりで、戸の開いていた一番奥の個室をパッと照らした。
照らしたら、いた。
まぁるいライトの形に照らされたトイレの隅に、背中を預けるようにして。
こちらを向いて立っている女の子が、いた。
「え」
思考が止まった。
── いる。
── いた。
いて、何かをブツブツを言っている。
見たものが信じられないし、否定したいし、見たくないし、聞きたくない。
なので。
僕はとりあえず、個室のドアを閉めた。
「えー?」
軽くパニックになっていたが、倒れていた男の子が、
「うわーせんせいにも見えるから、やっぱりいるんだぁぁ」
喚き出してしまったことで我に帰った。
── いかん、いかん。
「大丈夫だから。ほら、立てるか?」
「立てないぃぃ」
たぶん、腰でも抜かしてるんだろう。
「もー。ほら手ぇ出せ」
「うぅ……」
差し出された彼の腕を掴んで、はたと気づいた。
今は、日が落ちるのもすっかり早い、季節はほぼ冬に近い頃である。
あれ?
── なんでコイツ、半袖なんだ?
え、なに? 1年中半袖の元気な子なの?
いや、そんなわけない。
── あれ、こわい。
こわい。
気持ち悪い。
「……せんせい?」
どうしよう。どうしよう。
そして思いついたのが、
「あ、先生な。ちょっと腕ケガしててさ。だから、他の先生呼んでくるわ」
なんとも苦しい言い訳だ。
しかし彼は、待ってますぅ、と弱々しく返事をしてくれたので、そそくさとトイレから出た。
そして、ドアを閉めた。
◇
意味が分からない。
とりあえず職員室まで戻ってきたが、あの低学年の子たちがいない。
── どうなってるんだ?
もう本当に意味がわからない。
職員室の前で突っ立っていると、廊下を誰かが歩いてくる音。そちらを見やると、見覚えのある顔がいた。見知った警備員だ。
「あのー、まだ丸つけして行きます?」
言外にそろそろ施錠したいんですが、という年若い警備員に言われて、ああそうだった、と現実に立ち戻る。
「あの、実はですね」
僕は警備員にこれまでのことを簡単に説明した。
「── それで、子供たちがここに残っていたはずなんですが、」
3人の、低学年の子供達が。
しかし、警備員は首を傾げる。
「いやー、さっき来た時は子供たちはいませんでした、けど」
「けど?」
「保護者の方が、」
3人。
なにやらゲラゲラと楽しそうにおしゃべりして盛り上がっている声がするので見にきたら、大人が3人いたという。
そして、『先生にご挨拶にきたんです』と言っていたらしい。それから、いないからなのか用が済んだのか、帰ってしまったそうだ。
── そんな人たち、知らない。
とはいえそれより、問題はあのトイレだ。
もし残してきた男の子がただの年中半袖の元気少年だったとしたら、ちゃんと連れて帰さなければいけない。
気は進まないが、警備員さんと一緒にまた特別教室棟に向かうことにした。
◇
トイレの近くまできたが、男の子のすすり泣く声は聞こえない。
「誰かいますかぁ? 開けますよー?」
警備員さんが女子トイレのドアを開けた。
気味が悪いのでトイレの入り口から、室内をそーっと覗いたが、タイル張りの床には誰もいなかった。
── だれも、いない。
その場に倒れ込みそうだった。
あの男の子も幽霊か何かだったのだろうか?
「だれもいないですねェ」
警備員さんが室内を懐中電灯で照らす。
4つ並んだ個室の一番奥が、用具入れの手前の、そこのドアだけが、
なぜかしまっていた。
「だれかいますカァ?」
警備員さんがノックして、ドアを開ける。
身構えたが、だれもいない。
いない。
よかった。
ホッとして、下を向く。
よかった。
「じゃあ、戻りましょう」
そう言って顔上げた。
それから、個室のほうを、見た。
見たら、なぜか警備員が個室の中に入っていた。
「え?」
警備員は個室の隅の、影が濃くなる部分を背中にして、立っていた。
あの時見た、女の子と同じように。そして
「だれもいないでスヨォ?」
こちらを向いた警備員がそう言った。
あきらかに言動がおかしい。
「だ、だいじょうぶですか?」
「だいじょうぶデスヨォ?!」
── いや、おかしいだろ。
その後は、少しテンションがおかしくなった警備員と特別教室棟を出て施錠して、テストの丸つけは終わってなかったけど、もうそのまま帰ることにした。
◇
翌日、嫌な体験だったな〜、と思っていたのだが、学校に着くとあの警備員が声をかけてきた。
「すみません、あの、僕、昨日なんの用で先生のところに行ったんでしたっけ?」
職員室の方へ行ったのは覚えているが、その後の記憶が綺麗さっぱりなくなっているらしい。
僕はその日、残業せずにさっさと仕事を終えて帰宅した。
そして友人たちに電話して愚痴として話しまくったのだが。
〈えー、なにそれ〉
〈きもい〉
〈ごめん無理〉
と、散々言われてしまった上に、即切られてしまった。
── 友達甲斐のない奴らだ!
まったくもって酷い話である。
仕方ないのでさっさとお風呂に入って、気持ちをサッパリさせることにした。
久々にしっかり湯船に浸かって、身体の芯までしっかり温まってお風呂から上がったのだが、すぐに背筋が凍ってしまった。
お風呂に入っている間、不在着信が何件も入っていたのだ。
登録していない知らない番号だったが、学校の番号と下数桁が違うということに気づいてしまった。
時間帯的にも人はもういないはずの学校から、かかってきているのだ。
── 彼らは、彼らのタイミングで、くる。
── それを知る術は、ない。
ちなみに、記憶をなくした警備員は数日高熱を出して寝込んだそうだ。
◇◇◇
**本稿は、青空怪談ツイキャス『禍話』を元に再編集したものです**
出典:元祖!禍話 第十夜(上)