アニー・エルノー『嫉妬/事件』
一冊の本に出逢いました。
アニー・エルノー『嫉妬/事件』
ふたつの小説で、『嫉妬』は文字通りの内容。
衝撃的だったのは『事件』
フランス映画「あのこと」の原作となった私小説です。
人工妊娠が違法とされた60年代フランスが舞台となっています。
あとがきも秀逸で、いやはや、参りました。
フランスではもともと人工妊娠中絶(IVG)は
1920年の法律により禁止。重罪とされてきました。
こうしたなかで、ボーヴォワールは実存主義的立場から
「将来に向けて自分を発展させていく行為のみが、
現在の自分の存在を正当化する」とし、
自分が主体であるのに、
女性は「他者」が運命を決めていると述べました。
(かなり端折っています、すみません)
妊娠することで、
女性の活動すべてが麻痺させられてしまう。
つまりは妊娠によって
自分主体から他者主体になってしまうということでしょう。
ボーヴォワールは
「子を持つことが女性にとって重荷になっているとすれば、
それは風習が、女性に子を持つ時期の選択を許さないから」
とも。
つまり、
人が生きていくということ=いつも選択をし続けていることで、
そこに人間が人間たる本質があるのなら、
生むこと・生まないことも選択とする考え方も…と。
1972年のボビニー裁判(強姦されて妊娠したための堕胎罪)において、
アリミ弁護士は最終弁論で以下のように述べたそうです。
「女性を従属させるための方法について、
ボーヴォワールによれば
『女性にあらかじめ定められた運命を作ればいい』のだと。
生物学的運命とは、逃れられない運命で、
私たちの運命は母親となること。
男性は、
仕事や社会での居場所により自分を定義・存在する。
女性はといえば、結婚した男性や子どもにより定義される。
これが私たちが否定するイデオロギーだ」
「子を持つという行為は、自由な行為の最たるもの。
自由のなかで最も根源的・本質的な自由だ。
ならば女性がそれを行わないと決めた時には、
何人たりとも女性に生命を生み出すことを強制することはできない」
(こちらも端折っております)
この裁判を受け、
1975年にIVGは合法化されました。
その後も、費用が保険対象となるなど、変化し続けています。
人工妊娠中絶について、こんなに考えたことなかった…。
私に問題提起してくれた一冊です。
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