コロナワクチン
コロナの弱毒化やも収束の兆しが見えて、次のステップを模索した前向きな話が多い中、
ふとしたきっかけで、コロナワクチンに反対している人のSNSを見てしまいました。(2022年9月)
ワクチンによる悪影響(と思われる)事例を取り上げ、
「時間が経つにつれ、ワクチンの悪影響が明るみに出てきた」
「ワクチンを2回打ってギリギリ戻ってきた人はいるけど、それ以上打った人は戻ってこれない」
「経済産業省がワクチンの悪影響を認め始めた(経済産業省グラフリンク)」
「偉い人の言うことを鵜呑みにする思考停止」
等。
なにかすごく疲れました。
ワクチンを打つ打たないは、コロナもワクチンも全てのデータが出揃っていない状態で、皆さんワクチンを打つべきかどうかを判断したと思っています。(世論の流れで売った人もいるかもしれません)
未だ、絶対にこっちが正しい。という結論は出ない(たぶんずっと)
と思いますが、
ワクチン反対派は、なぜこんなに執拗にもワクチンを打った人を馬鹿にする発言を繰り返すのか(世の中が打つ流れのほうが強いので被害妄想があるのかもしれません)と思ったりします。
思えば、戦時中に日本人のほとんどが「戦争に行くことが名誉」と思いこんでいた時期もありましたから、今回もそのような可能性もゼロではないとも思っています。
ですが、議論の言い分はともかく、どうしてもワクチン反対派は自分の価値観と違う人(ワクチンを打った人)をコケ降ろさないと気がすまないような人が多いことが気になっています。
今の時期になって、まだワクチンの話に捕らわれているのか、、、と。
ワクチンを打った人は、もうワクチンの話は終わって、未来の話に向かっている。
おそらく、ワクチンを打った人はもう「ワクチンを打ってない人」にはなれないけれども、ワクチンを打ってない人は「ワクチンを打ってる人」になれる可能性があるから、なのか、
やはり、世の中が「ワクチン打つべき」という論調が強いので、それに対抗するためには強がらないといられないのか、、、
会社をやめて独立した人に対して「やっぱ、会社をやめたら終わりだよね」と言っているサラリーマンに似ている気がします。(会社に残っている自分が正しいと思いたい)
自分の選択が正しいと主張せずにはいられない。。。
ワクチン打つか打たないかなんて、どっちのデータで判断するか、どっちのデータを信じるかのいわゆる宗教みたいなものだとも思います。
打つも打たないも、個人の判断でいいじゃない。。。その選択肢に口を挟みたくなる人の「心理」のほうが、私は気になります。
「不動産買うやつは馬鹿だ」
「ブランド物買うやつは馬鹿だ」
「家族持つやつは馬鹿だ」
一人ひとりの勝手だと思うのに、自分の選択と違う人をわざわざ馬鹿にする「心理」。
さらに、「馬鹿」と思われたくない(思いたくない)から、馬鹿にした人の方につく「心理」
ワクチン反対の人の気持ちにも寄り添いたいとも思いますが、理論をよく聞いても、どうしても論理性がない。。。
そして、発言から感じる人間性を見ると、どうしても、オトモダチにはなれないと思ってしまいます。
あえてスピリチュアル的に言うと、負のエネルギーを感じて、すごく疲れるのです。
負のエネルギーを感じないようにするためには、同じ派閥に属するのがいい(ワクチン否定派)になる、ことなのかもしれませんが。
本当に「ワクチンから人を守りたい」と思うのであれば、「ワクチン肯定派」を攻撃するのではなく、他の方法があると思うのです。
ワクチンには見えてるメリットもデメリットも、見えてないものもたくさんあるので、どちらでもいいと思います。
ただ、「ワクチン肯定派」には過激な人はあまり見かけないのに、
「ワクチン否定派」には過激な人をよく見かけるのが気になります。。