備忘録8.義家族とのお出かけ

とても、強い人だ。

初めてお話した時から、そんな印象のあるお義母さん。対照的にお義父さんはとてもほわっとした印象のある方で、人込みをかき分けるようにサカサカ進む母息子に対してとてもゆっくり歩く人でした。

どこかに出かけるときは私とお義父さんが後から追いかける形で歩きます。桜を見に行ったり登山に出掛けたり、たぶんそれなりに色々出かけた記憶は残っています。逆に、夫が私の家族とそういうことをしたことは一度もなく、結婚ってそういうものだろうか?と今になって思うことも多いです。

結婚後初めての遠出。

免許を持っているのが私と夫しかいないので、交代で運転しながら進みます。この頃は、割と義両親の前でも喧嘩らしきことはしていたように思います。ああでもないこうでもないと白熱する私たちをお義母さんがなだめてくれるようなこともありました。

そうして出かけた次の日は、私は必ず体調不良で寝込んでいました。仕事に行かなくては、と起きようとした時、体はおろか頭を動かす事もできず、やっとのことで携帯に手を伸ばし休む旨を会社に伝えそのままダウン。重い時には3日程度続きました。楽しんでいるようで、ずっと緊張状態にいたのだなと思います。決して出かけること自体が嫌いではなかったけれど(元々ものすごい出不精ではあります。自分が行きたいところへはどこへでも一人で行くタイプですが……)、夫との心の距離が離れるにつれ、徐々に助手席で私が会話をすることが少なくなってゆきました。

そんな私に気づいていたのかいないのか。半分眠る振りをしている私を見て「疲れているんだね、寝かせてあげなさい。もう少し運転してあげなさい」と声をかけているのを聞いたのがもういつのことだったのか。

休みが取れると、遊びに行こうよと声をかけてくれていた義両親。思い出すのは百名山を登る後ろ姿。山頂では必ず集合写真を撮り、降りてくる。

もともと写真を撮られるのが苦手な私は、いつも歪な笑顔を向けていたような気がします。出来上がった写真を見ると、意外と普通に笑っているように見えるのがまた面白く。

出かけるたびに美味しい空気や食べ物もたくさん食べ、「普段はどこに行くにも荷物を持って電車に乗るのが大変、乗っているだけで目的地に着くなんて嬉しい」と言って、ガソリン代を出してくれるようなご両親。巷でよく聞くような嫁姑問題なんていう話とはほぼ無縁の生活をさせてもらえていました。それには、たぶん別々の家に暮らしているという距離感にも助けられていたと思います。


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