価値観についてレベルを上げる
前回は運がよくなる話でした。チャンスの神様カイロス、セレンディピティ、プランドハプンスタンスセオリーのじじコラボの法則をお話ししました。では幸運とは何か、あるいはさらに幸福とは何か、人によって違いうんじゃないかという話でした。
そこで、今日は価値観の話です。価値観について考え、皆さんのステージを2段階あげます。興味深いお話なのでついてきてくださいね。
なんとか観って言葉ありますね。例えば?
人生観、作品観、世界観とか価値観を表すために「観」を付ける言葉がたくさんあります。
遊園地観、ダンス観、ゲーム観、アニソン観…。何でもありそうです。
人間の思考行動全てに価値観が関係しています。
価値観は意思決定の材料の一つでもありました。
前にwill,can,mustの話をしましたが、mustやるべきが価値観でした。
本校の6つの力のうち「他者と協働するための資質」は健康で基本的生活習慣を保ち、チームワークや他者理解に秀で、望ましい倫理観・道徳観を持つ状態でした。
「アントレプレナーシップ」は主体性、好奇心、冒険心、チャレンジ精神やチャンスを活かす気持ちを持つことです。
どちらも価値観の形成に深いかかわりがあり、本校で目指すところです。
約百年前、ドイツ新カント学派は価値観を真・善・美(des Wahren, Guten und Schönen)の3つで説明しました。
「真」は真偽で正しいか正しくないか、「善」は善いか悪いか、「美」は美しいか醜いかの価値観を示しています。
正しさの認識は学問の中で学び、善行の倫理は道徳で学び、審美は芸術で学ぶとも言われます。
「真」は真偽で正しいか正しくないか、「善」は善いか悪いか、「美」は美しいか醜いかの価値観を示しています。
正しさの認識は学問の中で学び、善行の倫理は道徳で学び、審美は芸術で学ぶとも言われます。
今の世界では、〇か×かという勉強ばかりしていますので、何かというと「正しさ」が突っ走りがちです。
善いことや美しいことの視点も大切だと痛感しています。
次は職業の三要素です。働くことには三つの要素がありどの要素も必要です。
ただ、自分にとってどの観点を強く意識して働くかが勤労観だと言えるでしょう。
経済性は、生活のため、お金を稼ぐため、ほしいものを買うためといった理由で働くという考え方です。
個人性は、自分のやりがいのため、自分の信念を通すため、好きなことを仕事にするためなど自分のために働くという考えです。
社会性は、世のため人のために尽くしたいから、人に認められたいから、出世をしたいから、勤労の義務を全うするためなど、社会の構成員の一人として働くという考えです。
学ぶことの意義の理解つまり人はなぜ学ぶのかも、勤労観(人はなぜ働くのか)に似ています。
将来の就職に有利であるとか仕事の技術を身に付けるというのは経済性、自分の学びがいのため、好きなことに没頭したいというのが個人性、人類の共有財産である知識や技術の習得というのは社会性かもしれません。
それでは価値観はどのように身につくのでしょうか。一人一人の抱いている価値観はそれぞれ多様です。
価値観は他者に強制されて身に付けるものではありません。親から教えられたり、書物から吸収したり、地域や国ごとの生活とともに身に付けていきます。
これから大人になる人々が、実際の社会に身を置くことでだんだんと身に付けていくものです。
最初は家庭からそれから幼稚園や学校から事業所や地域共同体などの大人の社会で、たくさんの価値観と巡り合い、徐々に身に付けていくものです。
一方、価値観は他者に否定されるべきものではありません。
一人一人が尊重される人権を持っており、しっかりとした価値観を身に付けた大人として扱われているからです。
子供は人権は尊重されるけれども価値観はこれから身に付けていく途中だと考えられています。
他者と協働するということはお互いの価値観を認め合うことで、それによってこれまでの価値観を超えたより価値の高いものを生み出していくことになります。これが分かれば大人なんです。
「みんなちがってみんないい」です。これが分かれば十分なんです。
で、これからステージをあげます。
「他者の価値観を否定する価値観」は否定できるか。メタレベルです。ここまで聞いてきてこんな風に思った人はいませんか。
なるほどと思った人も今ステージが上がりました。よくわからない人は後で周りの人に聞いてみてください。これが世界の課題になっています。
本当はここで「みんな考えてみよう」と言って終わりにしようと思ったのですが、もう一つステージをあげます。
答えを出すということがステージをあげることだと思います。この答えは私が、こうなんじゃないかなあという「感じ」です。体感的に私のステージが上がった感じをお伝えするものです。
「他者の価値観を否定する価値観」は否定できません。
そうすると相手を認めなくて起こる価値観の相違による争いは絶えません。
その通りです。人類は常に争いの火種を抱えた未熟者なんです。
でも、私はすべての人が「他者の価値観を否定しない価値観」を持つまであと少し、である気がします。
それはなぜか?それは自分が先生として生徒を大人に育てている感覚です。
それは先生という仕事をしている人だけが持つ感覚でしょうか。そうではないと思います。
自分の仕事が世の中の役に立っていると思うから仕事に誇りを持っているという人はたくさんいます。
そう思っていなくてもすべての仕事は回り回って多かれ少なかれ世のため人のためになっている。
つまり「すべての働く人が仕事を通して世の中を良くしている」と思う。
この感覚が世界を変えていっていると思うのです。
皆さんはどのように感じましたか? 私の話は以上です。
冬休み明けて皆さんの顔が見られてとてもうれしいです。
校長室のドアが開いていたらいつでも入って構いません。最近起こった良い話を聞かせてください。
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