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torauma

「突然ですね」と言われることがよくある。
それは大抵、頭の中でずっと考えていたことをその時初めて相手に伝えたというだけであって、私にとっては至って突然なことではない。

そう考えると、私にとっては突然に感じたあの子の不機嫌な態度も、あの子にとっては突然ではなく、気付かぬうちに私が何か気に触ることをしてしまっていたのかもしれない。

真相がどうであれ、私は傷付いた。
そしてあの子も、きっと傷付いている。
お互いに傷跡を残さないためにも、言葉にして話し合う必要がきっとある。

人と話すのは元々大好きだった。それに蓋をし始めたのは小学生の頃。当時の担任の先生に私は嫌われていたようだった。汚いとか、臭いとか、そんな類いの言葉を毎日のように小声で言われていた。その担任と一緒になって、それまで仲良かった男子たちにも言われるようになった。それがとてもショックだった。

ところが学年が変わり担任が変わったとたん、その男子たちは何事もなかったかのように、また普通に接してくるようになった。謝罪とか、そういうのも全くなかった。それまでの悲しい気持ちがなんだか置いてけぼりになってしまって、虚しくなった。

今思えば、彼らにとっては悪ふざけの遊びに過ぎなかったのだろうけど、人に不信感を抱くようになるには十分だった。人は突然変わるもの。傷付く方が気にするだけ馬鹿みたいだと思った。

でもそれと同じ頃、私のたった一つの不用意な発言と行動で、仲の良かった友達を傷付けてしまった事があった。もちろん、傷付けるつもりはなかった。その発言にはちゃんと理由があった。発言の真意を伝えようとしたけれど、その時にはすでにクラス中の人たちの憶測が飛躍して、収まりがつかなくなっていた。彼女は孤立し、私は後戻りすることも一歩踏み出すことも出来なかった。人生で一番、後悔している出来事だ。

彼女にとっては突然だっただろう。真意もわからず、きっと深く傷付けた。時間が経っても、前述の男子のように何事もなく話しかけることは私には到底出来なかった。たった一つの発言が何かを狂わせてしまうならば、何も言わない方がいい。そう思って、いろいろと見て見ぬ振りをした。

そうやって、中学に上がる頃には人と話すことも、人と関わることすらも苦手になっていた。それと同時に、思いを言葉にして伝えることの重大さも感じていた。そう思うと余計に、発する言葉を選ぶようになり、うまく話せなくなった。

私がずっと抱えているトラウマ。
音楽に出会うまで、人と話すことがとにかく怖かった。今でも難しく考えてしまって、すぐに言葉に出来ない事が多々ある。

そんな中、時間をかけて思いを言葉にした曲を作って歌う事は、私の人生における大きな革命だった。作った楽曲を通せば、人と関わることもいくらかは平気だった。そうやって今もなお、少しずつトラウマを克服している途中。

だからこそ、冒頭のあの子ともちゃんと話し合いたい。何故不機嫌だったのか。私が原因であれば謝りたい。私が傷付いたこともちゃんと伝えて、どうすればお互い心穏やかになれるのか。傷を残さずに済むのかを。

人は突然、変われるもの。
言葉一つで、変われるもの。

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