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shinkokyu

根っこが劣等感の塊人間なので、誰かの優しさが酷に思える時がある。あれやこれやと良くしてくれて感謝の気持ちはあるけれど、なんだろう、自分の無能さに虚しくなってしまうんだろうか。人の優しさを無償で受け止める度量も、それを返す器量もないのだ。

「頑張らなくていいよ」という言葉が、私は苦手だ。もちろんこれも、相手の優しさから出る言葉であることは重々承知している。それでも、私はこの言葉を添えられる度になんだか息苦しくなる。ああ、頑張ったらダメなんだ、今私醜いのかな、なんて、どこか卑屈に捉えてしまう。

とても烏滸がましいけれど、頑張った結果として私から生まれる何かしらを自ら認めてあげたいし、周りの好きな人たちにも認めてもらいたい。自分で「頑張った」なんてなかなか言えないけれど。私はいつだって頑張りたくて頑張ろうとしているし、付き纏う劣等感を拭いたいと前向きに思っている。

とは言え、自分の中で「これは頑張るところじゃないな」という物事は見極めながら動いているつもりだ。そんな中、頑張り方を見誤り失敗するときがどうしてもある。その度に込み上げてくる劣等感を鎮めるように、何度も何度も不恰好に音や詞にしてきた夜。それらは紛れもなく、頑張った結果として私から生まれた大切なものたちなのだ。

そうして生まれたものたちもまた、決して気軽に人前で歌えるものでは無い。ライブをどれだけ重ねても、頑張らずに立てるステージなんてひとつも無い。あの言葉をかけてくれる人たちの真意は、きっとそういう事ではないんだろうけどね。

だからこそ、言葉と気持ちのギャップに息苦しさを感じてしまうんだと思う。だって、誰も悪くないんだもん。強いて言うなれば、私の劣等感や頑固さがもたらす物事への気圧の変化のせい。そして、こうしてフラットな文章にしていくことが私なりの深呼吸なのかもしれない。

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