タイム写シーン07「早瀬橋」
こんにちは。めぐるスイッチ・まつもんです。
今回のタイム写シーンは、新河岸川にかかる早瀬橋です。公文書館さんのデータには「新河岸川平沼橋(現早瀬橋)昭和29年」と書いてあります。
ああ、平沼橋って早瀬橋だったのか、とまず思いました。
というのも少し前に、平沼橋を探したことがあったのです。それは「新河岸町会創立五十周年記念誌」に載っていた、新河岸に長年住んでいるお婆ちゃん3人の記事でした。
吉田 実家に行って来なって言われて、徳丸橋の上まで行くと、何て言うのこう胸が開けるのね。(身振り、手振り)
春日 そうでしょうね。あたしらは平沼橋だったけど。
吉田 向こうから帰ってくると、徳丸の橋の処に来ると胸がギュッとなるの、そういう思いをしたの。
小原 皆、親の居る処へ来てるからね。
戦争のあおりを受けて、崖付近から新河岸地域へ嫁いでいった3人の話は、当時の空気感が伝わっておもしろく、座談会形式で読みやすい記事でした。この文中の「平沼橋」を読んだときに「そんなのあったけ?」と思って調べたのですが、見つからず、そのまま忘れていました。
そんな「謎が解けた!」喜びも胸に、早瀬橋へGO!
空と水面がきれいです。奥に見えている水色の橋が早瀬橋です。
つきました。写真は北側から撮っていると思われるので、北側に渡ります。古い写真と比較してみましょう。
すぐ南に板橋市場の大きな建物があるため、それより向こうは見えません。
これで、とりあえず撮影ができたと満足して帰ったのですが。ふと、昔の写真の位置関係をたしかめようと国土地理院の空撮で調べてみると……
なんということでしょう……橋の位置が変わっているではありませんか!
つまり、平沼橋と早瀬橋は、役割的には同じかもしれませんが、実際は別の橋だったのです! 再び現地に向かいます。
平沼橋があった付近は、スルースゲート(水門)になっていました。川沿いは護岸の壁がつづくので、写真的にはイマイチかもしれませんね……
こうなりました。というわけで、見本と同じ場所に行って撮影するタイム写シーン早瀬橋(実は平沼橋)が完了です。
あと1つ、なぜか空撮と比べて写真の道の曲がりが逆向きなのが、気になっています。見えている建物の配置も左右が逆に見えるため、「写真が左右反転している?」という疑問がわきます。そんなことあるでしょうか?
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(以下 2021/9/28 追記)
公文書館の方に疑問をぶつけました。「所蔵写真が、左右反転しているなんてこと、ありえます?(すみません、無いですよね?のトーンで)」
すると、ちょっとギョッとされ、「いえ、お恥ずかしながら、そういうことがないとは言えず、過去に天地が反転したものが見つかったことがありました」とのこと。おおお……
今回の早瀬橋については、もともとが「伸びゆく板橋区」という昭和31年に作られた映像フィルムから写真に焼き出したものだったそうです。その動画も見ることができます。
この映像の中では、提供いただいた画像と同じ向きになっています。そこで公文書館さんとしても「元の映像作品と、画像は同じ向きだと確認できます」とのこと。うむ。
そこで国土地理院の昔の空撮を見せて画像を見比べると、「たしかに、向きが反対な感じがしますね…」。昔のフィルム映画では、編集作業の際にフィルムを切り貼りしてつなぎます。もしかして、該当のカットが左右反転していたなんて可能性も……「ないとはいえませんね」とのこと。
映像が逆なのか、別の理由なのか、いつか謎がとけることを祈っています。
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