[ショートショート]最後の時計
深い悲しみを癒すには、時間が経つしかない。
泣いている私を慰めるパパ。
そんな記憶に残っているパパの声も、どんどん忘れていってしまう。
人はそうやって悲しみを乗り越えていくんだ。
パパの7回忌。
ママと姉、そして私の3人でパパの遺品整理を行っていた。
「ねぇ。ママ。これはどうするの?」
パパは、定年も間近で病院に運ばれ、そのまま帰らぬ人となった。
脳卒中だった。
姉も私も成人し、社会人になっていたこともあって経済的な打撃というのは少なかったもののママの精神的な打撃は非常に強いものだった。
「ねぇ、ママ。パパってさ、退屈じゃなかったのかな?」
「そうね。パパはあなたたちが大好きで、あなたたちの成長を何よりも楽しみにしていたからね。退屈より大変だったと思ってるわ。」
どうしようもなく、パパは家族を愛していて、アルコールやタバコ、ギャンブルを好まず自己啓発に心血を注いでいた。
書庫には、ぎっしりと様々なジャンルの書籍が綺麗に整頓されたまま残っている。
小学生向けの宇宙の図鑑だったり、マクロ経済学。心理学だったり。
私がまだ大学生の頃。2年付き合っていた彼と別れた。
よくある話しで、サークルの後輩ちゃんだったらしくて、私よりも後輩ちゃんを選んだだけのこと。
努めて冷静に、面倒くさくない女であろうとしたけど、家に帰って泣いてしまった。
部屋で泣いて、さっぱりしようとお風呂に入ってお風呂で泣いて。
着替えて部屋に入ると、やっぱり泣いてしまった。
泣いて、泣いて。気が付いたら夜中。
ココアでも飲もうとキッチンに行くと、パパが本を読んでいた。
チチチチ・・・ボッ・・・
コンロに火を入れ、やかんに入れた水が熱を帯びていくなか、時計の音だけが響く。
パパは何も言わない。
時折、ページをめくる音が聞こえてくる。
お気に入りのマグカップにココアを入れ、マシュマロの袋を取り出す。
マシュマロの袋のガサガサっという音がうるさく感じてしまう。
トンっと、小気味のよい本を置く音が響く。
パパが本を置いたみたいで、邪魔してごめんって思っていたら
「そのココア、父さんにも作ってくれ。でかけるぞ」
え?ヤダよ!パジャマだし!メイクしてないし!
なんてことを言ってたと思うけど、パパはお構いなしで私を車に乗せて出発した。
寒いのに、わざわざ屋根を開けて車は走っていく。
見慣れた近所から都市高速に乗り、ひた走る。オレンジ色の道路照明灯が幻想的に前から流れてきて後ろへと消えていく。
「父さんな・・・」
うん。なに?と答えても何も返答がないまま、車が流れていく。
しばらくして、サービスエリアの駐車場について、再びパパは口を開いた。
「父さんはな。お前を泣かす男は誰であろうと、釣りの撒き餌にしてやりたいと思ってる」
ウイーンと、開いていた屋根が閉まる。
「お前はいい女に育ったと思っている。母さんと一緒に心血注いで育てたんだ。」
そしてやっと私の顔を、目をまっすぐに見てくる。
子供のときから変わらない。お説教されるとき、叱られるときとまったく変わらず、目をまっすぐ見てくる。
「お前を振った男を見返してやろうとか、復讐してやろうとか考えるな。今は悲しめ。そして、もう一ついい女になるためのステップを上がればいい」
勝手なこと言わないでよ!私の気持ちなんてわかるわけないじゃん!
「そうだな。父さんとお前は親子だろう。しかし。別人格だ。お前の気持ちはわからんよ。」
だったら、ほっといてよ!なんで寒いのに!夜中なのに!
「ほっとけないんだよ。父さんはお前を失いたくないからな。父さんのエゴだよ。」
なにそれ、最低。
「そうだな。男親ってのは得てしてそんなもんだよ。仕事が忙しくてめったに子供には会えない。余裕が出てきてやっと一緒に過ごせると思った頃には子供は大きくなってしまってる。じゃあ、今までの分を含めてお前を愛してやりたいってな。」
・・・・
「父さんにとってお前は、美人に育った自慢の娘であると同時に、まだまだ小さい頃のままの娘でもあるんだよ。理解できんかも知れんが。」
・・・キモイんですけど。
「そうだな。父さんは特別そうかもしれんな。お姉ちゃんもお前も、父さんにとってはまだまだ子供なんだ。夏休みにプールに連れて行ってはしゃいでる頃のお前たちなんだよ」
・・・
「反抗期でもないんだから、素直に父さんに吐き出してみろ。父さんは、お前のお父さんなんだから」
パパのお葬式の日。私は、あの日以上に泣いた。
もう涙も枯れてしまって出なくなるんじゃないかと思ったけど、書斎や車、磨きあげれた靴やカバン、ママがアイロンをかけたワイシャツ。どれをみても涙が次から次へと溢れてきた。
ママだって泣きたかったけど、私が泣き続けてしまったことで泣くに泣けなかったと後から聞かされたくらい泣いた。
「ねぇ、ママ。書斎みてくるね」
「あんまり触っちゃダメよ?」
「大丈夫だって!」
書斎の引き出しから一つの腕時計が出てきた。
子供のおもちゃともいえるような腕時計。
ほんの短い時間だけど録音の機能がついていて、何度でも録音した音声を再生することができるものだった。
ピッっと小さな電子音が鳴る。
「パパ、大好きだよ!ずっと大好き!」
「おう!そうか!ありがとう!」
すごく古い私とパパの会話。
私がこの時計をもらって、楽しく遊んでいたけど、すぐに遊ばなくなって、捨てたはずだったのに。
ピッ
「パパ、大好きだよ!ずっと大好き!」
「おう!そうか!ありがとう!」
ピッ
「パパ、大好きだよ!ずっと大好き!」
「おう!そうか!ありがとう!」
なんども聞いてしまう。
私はまだ7年たってもパパを失った悲しみが癒えてないんだと思う。
ピッ・・・
ピッ・・・
何度か繰り返し聞いていた。
ピッ
「パパ、だい・・・」
ふいに訪れる静寂。
パパ・・・
また私を置いていくんだね。
私からパパの声まで奪っていくんだね。
押すんじゃなかった。
涙が後悔を後押しにして、7年分流れてきた。
電池が切れて動かない時計と書斎は、生前のパパのように静かに私を包み込んでくれた。
ただ、そこに温もりはなく残酷な現実だけが残っていた。