[ショートショート]夏休みの7月23日
夏ってさ、どんなイメージ?
青い海や空、入道雲?息苦しくなるような熱気?
それとも、浴衣?夜店の光や、夜空を飾る大輪の花火?
どれも綺麗で、どれも素敵だと思う。
でも、俺はちょっと違う。
俺は・・・
俺の腕の中で、しなだれかかる姉を思い出す。
俺の姉は、いわゆる神童と呼ばれる部類で、周りにちやほやされていた。しかし、成長とともに「いわゆる普通の女の子」になった。と本人から聞かされてきた。
理由は「私は見世物じゃない」からだそうだ。
「いわゆる普通の女の子」になったはいいが、ほどなくして難治性の病気を発症してしまい病院に住むことになった。
バイトが終わり、病院にむかう。
すさまじい炎天とセミの鳴き声、湿気と熱のこもった空気をかきわけていく。そしてそんな炎天が嘘のように、病室は空調の音が聞こえるくらい静かで、別世界のようだった。
「なぁ、はじめくん。姉さんは、もう何年も夏を体験していない。先生の許可もでたから、祭りに行きたいんだが?」
「あの先生が?嘘でしょ?」
「そうだな、嘘だ。だが、姉さんは外に出たくて仕方ないんだよ」
「てゆーか、看護師さんと一緒に屋上に出てるじゃん」
「君はバカだなぁ。それは外に出ただけであって、夏を体験しているわけではない」
「いやだって姉さんが「外に出たい」って言ってたのに」
「君はもう少し、人の話しを聞くべきだな。そのままだと彼女なんてできんぞ?」
そんな会話をした次の週。
車の助手席には姉が座っている。
黒くて長い髪。病的な肌の色。そして年齢に見合わない幼い顔立ちとガリガリの体と身長。
それでも、成人女性らしい胸のふくらみが主張している姉。
すべてが背徳的に目に映った。
なぁ、はじめくん。
君が年齢=彼女いない歴なら「女性が寝巻のまま外出するという屈辱」を理解できないかもしれないが、私も一応成人していて寝巻着のまま外出するってのは抵抗があるんだが?
という言葉のボディブローを受けたので、白い子供っぽいワンピースを買ってみたところ、「君はいい趣味をしている」と皮肉を受けながらも姉は喜んで着ていた。
姉が提案した「夏っぽいこと」は
草原っぽい山で、セミの鳴き声をききながら青空を眺めたい。
咲き誇るひまわり畑の中心に立ってみたい。
ソフトクリームが溶けるか、食べるのが早いか挑戦したい。
砂浜から海と空を眺めながらバーベキューをしてみたい。
海辺で夕暮れから夜になっていくところを眺めたい。
夜、線香花火をやりたい。
姉が俺を連れ出したのには、理由がある。
姉は「今も神童」なんだ。
姉自身が言った、姉を救える遺伝子を探しだすには俺は無力すぎた。そして何より姉自身がすでに「もたない」ということを理解していた。
怖いと泣く姉を病院に置き去りにできるか?
俺には、できなかった。
俺は姉を連れて、車をゆっくり走らせた。
暑いのでクーラーを点けたかったが、姉が暑いのを体験しておきたいというので、窓を全開。我慢せざるを得ず赤信号を呪った。
そんな長い旅じゃない。と、姉は事前に調べていたらしく
姉が理想としている草原っぽい山に向かい、
姉が理想としているひまわり畑に向かい、
姉が理想としているソフトクリームを食べた。
予約していた宿につくと、女将さんが姉のファンだったらしく
姉が持ちネタを披露してあげると、ひどく感激して。
また、現状を聞いて、ひどく泣いていた。
バーベキューに火がつかない。
人生初のバーベキューの相手が姉。
姉はタープの下から動かないから、俺一人で奮闘するが、とにかく火がつかない。
俺がニヤニヤと眺めている姉にクレームをつけると「空気の流れをつくらないからだ」と逆に怒られた。
バーベキューをやりたいといいつつ、食べるのは俺ばかり。
姉は食べてる俺をみて、嬉しそうに笑っているばかりだった。
旅館で風呂に入り、空がオレンジ色に染まり始めた7時過ぎ。
姉が「夕方から夜に変わるところをみたい」と言い始めたので、海岸へ向かうことになった。
昼間の狂気のような暑さも和らぎ、カップルだったり、老夫婦がベンチで座ったり散歩したりしていた。
姉を先にベンチに座らせて、俺も座る。
潮騒がゆっくり、耳をなでる。
なぁ、はじめくん。
呼ばれて姉の方を向くと、姉はまっすぐ海を眺めたまま話しかけてきた。
なぁ、はじめくん。
おかしな話しもあったと思わないかい?私のなつみって名前はさ、「夏の海」って書くだろ?でも、私が夏の海に来たのは、はじめくんと来た今日が最初なんだ。
「そうだっけ?小さい頃行ってなかった?」
あぁ、行ってないな。お父さんもお母さんも、私を売り出したいばかりだったからね。そして商品価値がなくなったらすぐ病気。海なんてまた遠い夢の向こう側だよ。
「そっか。でもこれてよかったじゃん」
そうだね。まぁ、よかったといえばよかった。でも願い事ってさ、叶っちゃうと次の願い事がでてくるって初めてしったよ。
「確かにそんなもんだね」
そうなんだ。なぁ、はじめくん。私の次の願い事ってわかるか?
「さぁ。でも、もっと海に来たいとか?」
そうだね、まぁそれも願い事の一部だからね。
・・・。
私だって・・・
なぁ、はじめくん。私だって、学校行って、友達作って、彼氏作って、勉強したり遊んだりして成長して。部下をこき使うドS上司やりながら、イケメンな部下に告白されてデレてみたい。好きな人と結婚して子供だって生みたいと思うよ?
でも。
でも、それは叶わない。
「・・・」
そうだね、はじめくん。君が沈黙したように私はもう、もたない。
前にも言ったが、怖い。
私の体はタンパク質の塊になるだろう。でも、この今怖いという感情や心はどうなる?どこへ向かう?機械のように肉体がタンパク質になれば、感情や心も消えるのか?それともこの暑さすら感じないような状態で永遠に彷徨うのか?
なぁ、はじめくん。
私とはじめくんは姉弟だ。
気持ち悪いだろう?こんな状態の私だから。色気もない。可愛げもない。
それでも今から3時間だけでいいから、恋人になってくれないか?
普通なら、断るところだろう。何言ってんだ。元気になるからって。そんなことは本当に好きなやつとやれよ。軽口叩いて終わらせるだろう。
でも、姉は違うことを俺は知っている。だからこの旅に出た。姉の言うことはなんでもかなえてやろうって。
「いいよ、姉さ・・・ごめん。やりなおす。ゴホンッ!なつみ。大好きだよ」
太陽が少しずつ海に溶けていく。
なぁ、はじめくん。ちょっと冷えてきた。膝の上に私をのせて抱きしめてくれないかな?恋人っぽいだろ?
なぁ、はじめくん。寒い。抱きしめながらキスしてくれるかい?
「え?それはさすがに・・・」
なぁ、はじめくん。時間がないんだ。お願いだ。
俺と同じものを食べているのに、姉の甘い香りが俺の口の中で広がる。
なぁ、はじめくん。ちゃんといるかい?私を抱きしめてくれているかい?
なぁ、はじめくん。星は見えているかい?
なぁ、はじめくん。私をちゃんと抱きしめてくれているか?キスをして愛してるって言ってくれ。なつみ、愛してるよ。って言ってくれ。
なんどもキスをせがまれた俺は、ためらいもなく姉にキスをし、愛してるを伝えていた。
なぁ、はじめくん。君はあったかいなぁ・・・
なぁ、はじめくん・・・
少し待つが、何も言わない。
「どうした?」
姉を顔をのぞき込む。
なんだ、幸せそうじゃないか。
小さな姉を抱きしめ、吐き気のようにこみあげてくる嗚咽を止められない。
俺は声の限り泣いた。
潮騒は、ただ静かに続く。