[ショートショート]玉響に薫る鈴の音
私の名前は、父が勝手に選んで付けたそうだ。
勝手に出生届けを出して、母に激怒されたそうだ。さもありなん。
冬。まぁ、冬といっても早春といって差し支えない、色々なものが芽吹く力を蓄える頃。
ちょっとスタートが遅いけど、4歳になった私はピアノの習い始めた。
これには、かなりの理由があったそうだ。
よくある話し。
比較的裕福で、箱入り娘だった母と、モテたい一心でバンドを始めた父。
母に一目ぼれした父は、強引にもほどがあるナンパ。
それでも口下手だけど、熱意だけで母を口説き落とした父は、耳や鼻のピアスを外し、髪を染め、カットして、先輩の紹介で会社員となった。
母はドン引きしたそうだ。
そして、私に音楽をさせるか、させないか。でかなり揉めたそうだ。
父は、俺に似て絶対バンドを始めてしまうと反対し
母は、クラシックなら大丈夫。それに私と同じバイオリンならいいじゃない?と賛成した。
結果。
父が折れるも、習わせるならピアノだけは譲れないと、習い事はピアノになった。
私はピアノが好きだったが、特別に上手いわけではなかった。
コンクールに出ても、表彰されたことはただの一度もなかった。
しかし、父のギター、母のバイオリンに合わせてピアノを弾くことは、このうえなくすごく好きだった。
途中、父が悪乗りしすぎて、母に怒られる。なんてこともよくあった。
多分、振り返ってみても、これは幸せなんだと思う。
別に、私はコンクールで優勝したかったわけじゃない。
別に、私は難しい曲を弾けるようになりたかったわけじゃない。
音楽を、音を楽しむのが好きだった。
日曜の朝。
ピアノを弾いてる父。私はギターを抱えて父のピアノに合わせ曲を弾く。
「お前はズルいよなぁ!ピアノもギターも弾けるんだから。つーか、いつ練習してんだよ、マジで。俺はギターじゃねぇと弾けねぇって」なんてことを言いながら笑ってて。
母はそのやりとりを見ながら笑って、家事がひと段落するとバイオリンで参加を始める。
3人の、誰のためでもない家族だけの音楽会。
楽器を交換して、曲を変え、アレンジを変え、続く。
「ことねちゃん!俺とコーヒー飲もうぜ!」
という父の母を誘う声が、いつの間にか暗黙の了解になっていた。
これが私の日常だった。
どんなにスマホを買い替えても、家族でセッションした音楽会の動画はずっと引き継いできた。
悲しいとき、辛いとき、嬉しいとき、楽しいとき、その動画を観ると私は元気が出た。
多分。いや、そう。うん。
もう二度とその幸せな時間は訪れないことを、誰よりも私が一番知ってる。
あの輝かしくて、眩しくて、温かくて、安らげる瞬間は、私の手のひらから零れ落ちてしまった。
零れ落としたのは、父でも母でもほかの誰でもない、私自身だ。
別に、父が嫌いだったわけじゃない。
別に、母が嫌いだったわけじゃない。
思春期だったとか、傷つきやすかったとかでもない。
父は父だったし、母は母だったし、両親とも私が好きで、私も両親が大好きだ。
「
ありがとう。お父さん。お母さん。
私はあなたたちの子供に生まれてきて幸せでした。
お父さん。
お母さん。
私のところに来たらまた3人の音楽会をやろうね。
どうやら、私はここまでのようです。
もう目の前が暗くなってきました。
どうか、泣かないでください。
どうか、笑顔がこぼれますように。
ありがとう。
愛してる。
怖い!
怖いよ!ねぇ!お父さん!
助けて!お父さん!お父さん!お父さん!
助けて!お母さ・・・
」
「おい!山木!こっちだ!担架もってこい」
すずねのスマートフォンだけが帰ってきた。
スマートフォンには一つの動画と一枚の写真だけが保存されていた。
俺と妻。そして、すずねの3人で楽しそうに笑ってカノンを弾いてる。
こんなにも眠いのは春だからか?それとも眠れない毎日だからか?
コト。
鍵盤のフタを開く。
鍵盤はイマイチ、ギターと違って覚えきれない。
たどたどしく、Dコードを右手だけで弾く。
ダンパーのおかげで綺麗にサスティンがかかる。
熱い何かが涙腺を刺激する。
妻がやってきて、バイオリンを抱える。
Aコードにうつる。
しかし。ここから俺は、もう弾けない。