他者と関わり合うことで生まれる「何か」への期待。(後編)【事例インタビュー】
こんにちは。メンタルヘルスのあれこれ・大人の居場所について考える座談会などを主催しているオトナノタマリバです。今回は、「じぶんの取説対話ワーク」を体験いただいた方へお話を伺ったインタビュー記事をお届けします。
お話を伺ったのは、挑戦する人のメンタルヘルスを支援する「Re(アールイー)」の代表 小林さん。
後編では、小林さんご自身の不調経験や、今後のメンタルヘルス対策のあり方に焦点を当てたお話を伺いました。
1. メンタル不調を経験して起こった変化
尾森:小林さんご自身のメンタル不調体験について少し伺ってもいいですか。不調をご経験される前から、ご自身でも、「うつ病とはこういうものだ」と理解をされていたと思います。
一方で、実際に病を経験してみて、病の理解に変化はあったでしょうか?
小林:理解の変化は、かなり、ありました。
具体的には、「ダブルスタンダード」ってこういう感じなんだという理解が深まりました。
うつ病は脳神経が損傷している状態だと捉えているのですが、そうすると、色々な物事に対して過度に不安になります。中学生で初めてカレカノができた時のように、「今何してるの? なんで連絡くれないの?」と既読がつかないだけで不安、既読がついても返ってこなかったら不安になるような感覚を体験しました。
頭では「皆忙しいし、タイミングが合わないだけで、特に嫌われてるわけではない」ということは理解しているんです。中身はおっさんですからね(笑)。それでもやっぱり、不安、みたいな。
あとは、その脳のエラーによって「いなくなりたい」とも思うようになりました。当時私は35~6才でしたが、これは人生の中で一度も思ったことがない気持ちです。どんなにハードな時でもそんなことは思ったことがなかったのに、よく言われる希死念慮のテンプレを自分は持つようになっていました。当時は全く気付いてはいませんでしたが、回復した後に、あれはまずかったんだな、と気づきました。
これと関連して、希死念慮を持つ人と関わる自分のスタンスにも大きな変化がありました。私のような自ら事業を起こしている人は、ある種のアグレッシブさを持っています。そういう人でさえ、希死念慮を持つ可能性があるということがよくわかった。ということは、希死念慮を誰かに表現された時、ちゃんと止めてあげなければだめなんだと思うようになったんです。
振り返ると、思慮深い彼ないしは彼女が希死念慮を表現した時、「俺が嫌だから」「死はダメ」だとか、短絡的な理由で止めるのは、相手へリスペクトがないなと私は思っていたんです。目の前の人に対して尊敬の気持ちを自分が持っており、かつその人が色々考え抜いて死にたいと言ってるのを止めるのは失礼じゃないか?と。
でも、自分が病気を経験して、「これは脳のエラーだから止めてやんなきゃダメだ!」と思うようになりました。「エラーが起きているっぽいぞ!俺もそういうことあったぞ!」と。以前よりもこれを堂々と主張できるようになったかなと感じています。
ただ、やはりチープな言葉で止めるのはいやなので、「少なくとも俺は泣くし、俺は寂しいから死なないで。」という言い方にはしてるんですけどね。
尾森:そうですね。自分が誰かから、希死念慮を表現された時…。どのようにその人と接するかは多くの方が迷うところではないでしょうか。そのヒントになる、大切なお話だなと思いました。
2. 小林さんの目に映るメンタルヘルスの現在地
尾森:小林さんは現在、ご自身でも経営者のメンタルヘルスに関わる事業をされていますよね。現場でさまざまな経営者さんと関わると思います。肌感覚で良いのですが、メンタルヘルスの重要性は理解が進んできていると感じますか?
小林:はい、昔よりは、理解は進んでいます。経営者に対しても、名のあるベンチャーキャピタルさんとかが、メンタルヘルス大事だよねと言ってます。「起業家のコンディションって大事」といっている記事も最近出てきていますよね。
ただ、力の抜き方がわからなかったり、休むよって声をあげられないところはまだあるかな。理解はしてるし、「なにかあればちょっと休もうかな。」と前よりはハードルは低くなったけれども、結局走ってる状態は変わらない。逆に周りが走ってるのを見てると役員も休めないのもありますね。
ねじれというか、理解してるけど休むところまではいっていない、まだ浸透してないよね、という感じかなと思います。
3. 理想は、精神疾患が日常に溶け込んだ世界
尾森:小林さん視点で、メンタルヘルスへの理解や対策が、今後こうなったらいいなと思う理想があればぜひ聞かせてくれませんか?
小林:休み文脈で言うと、どうしても「働いてなんぼ。休むのは悪い。」みたいなのがなくなっていない。もちろん、だいぶ緩和されましたけどね。逆に、休んでいる・緩めている方がいけてるよねっていう価値観も、ちょっとずつ、育ちつつあるなと思っています。それがより育って、「休みながら、サステナブルに働く」文化が浸透してくると嬉しいです。
メンタルヘルス文脈で言うと、「精神科、メンタルクリニックが、全く偏見のない世界」を見たいなと昔から思っています。
「あ、俺、今日うつひどいから、ちょっと病院行ってくるわ。」「行ってらっしゃい。」みたいなやり取り。病院の風邪で病院行くのは誰も心配しないように、「そうなんだね、気を付けてね。」ってなる世界。
うつ病だから精神科行ってくると言うと、急にみんな構えちゃうのが現状です。普通の風邪ぐらいの認知をされて、「そういうこともあるよね」「気を付けて。なんかあったら言ってね。」と、さらさらっと日常生活に溶け込めたらいいな。そうしたら、 精神疾患の特殊性は解決するだろうなと思って、その世界を目指しています。
尾森:そうですね。その理想は、私も願っている姿です。精神疾患は、触れちゃいけないもの、怖いものという印象が強いのかな。
こうやって人と一緒に話しながら、対応していけるといいですよね。私自身、自分のうつ体験を話すようになってから、病の捉え方や対応の引き出しが変わっていったので、 そういうことを続けたいなと思います。
ここまでお話を聞いてみて思ったことなのですが。
どうしても、「そうは言っても休めない代表や役員」の話があったじゃないですか。それって多分、自分・会社の目標と自分の健康を天秤にかけて、健康の方が軽い世界観があるように聞こえました。でも、今の小林さんは、その2つ(目標と健康)は天秤にすらのせないよという世界観へと変わっているように聞こえました。どう思いますか?
小林:そうですね。「自分の事業もダメだったら潰せばいい。」ぐらいのことを考えてるし、ちょっと話はズレますが、なんなら私の事業って本当は潰れてた方がいいですよ。(笑)「医者と警察は暇な方がいい」じゃないですけどね。
目標と健康を天秤にのせて戦う時代は終わった。でも、うつは自分でなんとかできるっていう勘違いをしている人はまだ少なからずいるように見えます。「俺は大丈夫。メンタルは弱くない。弱くないから俺は大丈夫。」って言っているうちはそもそも理解をしていないのだろうなと思います。
確かに私自身は、目標と健康を天秤にはのせていないかな。うん。
尾森:そうなんですね。かつてとは違うルールの中で小林さんが生きているように感じました。
4. インタビューを終えて
ご自身も起業家でありながら、起業家に伴走するお仕事をする小林さん。
そのご職業から、お話をするまで、私はギラギラとした空気をまとっている小林さんを想像していました。でも、それは私の勝手な想像であったことがすぐにわかったインタビューでした。
小林さんとお話しながら、仕事に一生懸命になる生き方が持つある種の「美しさ」への許容と、自分の健康を大切にする「自己への健全な尊重」の二つを強く感じたのでした。
大人だって肩の荷を下ろす時間が必要だ
オトナノタマリバでは、休息や大人にとっての居場所などをテーマに、対話ワークの提供や、座談会の企画運営を行っています。
いつもとは違う場に身を置き深呼吸をしたくなったとき。
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