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NODA・MAP第27回公演 『正三角関係』

俳優陣にピンと来ず、グズグズしているうちにチケットが取れなくなり、当日チケットもハズレ続けて見逃してしまった本公演。年末年始の配信にてそういえば鑑賞していた….ので、記憶がまだ残っている内にメモを残しておきたい(3月にはWOWOWで放送するらしい)。


芝居の構造と要素

今回の芝居の入口になっているのは、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」。この三兄弟の物語を「日本のとある場所のとある時代の花火師の家族」、つまり「唐松族の兄弟」の物語にすると、入口では想像しえなかったような出口が見えてくる….というのが今回の趣向。

https://www.nodamap.com/seisankaku/

すでに公式でもネタバレ解禁?しているようだが、出口には1945年8月6日から8月9日の長崎を経て辿り着くこととなる。

基本的な骨組み・話の骨格としては「カラマーゾフの兄弟」。その法廷劇の構造・人物の三角関係を土台に、原爆の開発競争・当時の政治状況の三角関係が重ねられ、戦中の花火師(*1)の物語や、戦後史における原子力開発の記録(*2)、長崎出身である野田秀樹の長崎時代のメモワール(*3)まで時空を超えて重ねられたのが今回の『正三角関係』である…ように思われる。

(*1) 戦中の花火師、戦後初の花火

NODA・MAPの今回の芝居に関しても、今まで自分が深く考えてこなかった歴史や、その歴史にまつわるコトバがふんだんに盛り込まれていた。まず、戦中戦後の花火師および花火をめぐる話である。

このように順調に技術を発展させていった花火であるが、昭和に入り、日中戦争など戦火が拡大する世界情勢下で、停滞期を迎えることになる。花火製造は禁止はされないかわりに高い物品税がかけられたが、それでも当初は出征兵士壮行の花火や、英霊を迎える慰霊花火など、慰霊祭や戦勝祈願の花火が上げられていた。しかし戦火の拡大により隅田川川開きの花火大会も1937年に中止となった。そんな中、花火製造業者は防空演習で使用する発煙筒や焼夷筒(焼夷弾の音を再現する)を製造していた。

第二次世界大戦敗戦後は1945年9月に長野市の諏訪神社で花火が揚げられるが、翌10月に連合国軍総司令部(GHQ)により火薬製造が禁じられた。しかし、1946年7月4日には、各地のアメリカ軍基地で日本業者がアメリカ独立祭の打ち揚げ花火を揚げ、戦後初の花火大会として1946年8月10日、岐阜市の長良川河畔で全国煙火大会(後に全国花火大会となる)、9月29日と30日に茨城県土浦市で開催された第14回全国煙火競技大会(後に土浦全国花火競技大会となる)、1947年の新憲法施行記念で皇居前広場(皇居前広場では最後の花火打ち上げとなった)などが行われた。

花火(wiki)

禁止されていた花火製造及び花火の打上げがいつ解禁されたのかを調べてみると、昭和23(1948)年8月とある。

花火の製造業者は、日本の伝統文化にもなっていた花火の製造及び花火の打ち揚げの復活を再三再四GHQに陳情します。日本の花火に魅了されていたGHQは、製造業者の訴えに耳を貸し、昭和23年8月から限定的ではありますが花火の製造と販売を解禁します。これに伴い、昭和23年8月1日、両国川開き大花火が復活することになりました。そして、この日を記念して、8月1日が花火の日に制定されました(昭和42年制定)。 このほか両国川開きが旧暦5月28日であったことから、5月28日も花火の日となっているのです。

徳島県火薬類保安協会「花火の日」

つまり、wikiに記述のある戦後すぐの花火大会の数々は、当時のGHQによる差配がどう動いていたの分からないものの、火薬製造禁止下における花火大会だったということになる。単純に祝いの花火ではなかっただろう。

戦後初の花火大会を見た、元・軍国少年の記録を見つけたので置いておく。このあたりは、鈴木先生が「果てこん」に写し込んだ感情だったりもするように思う。

(*2) 戦後史における原子力開発の記録 

アメリカにおける原爆開発の内幕(マンハッタン計画)については、先日「オッペンハイマー」で観たばかりだが、『正三角関係』では、極東利権を日本と奪い合っていたロシア陣営における原爆開発が描かれる。

1940年の時点で、充分な量のウランがあれば、ウランを用いた核連鎖反応により、強大な破壊力を秘めた爆発を起こせる爆弾を製造できる可能性があった。

ソ連による原子爆弾開発計画

"ロシアにはウラン鉱石と点火装置が足りない"と劇中語られ、それがどこまで史実に基づくのかは不明であるものの、花火師・唐松富太郎(ドミートリイ、松本潤)が点火装置の開発を担い、ウラン鉱石は岡山の人形峠から発掘するという展開となる。

この人形峠は、戦後にウラン鉱床が発見された場所。

人形峠付近には1955年に発見されたウラン鉱床がある。1960年代から1970年代にはウラン濃縮原型プラントも建設された。現在は採掘は中止されている。

人形峠(wiki)
人形峠におけるウラン鉱開発の成果と課題をAIに聞いてみた。

日ソ中立条約の破棄から対日参戦に至るその過程にて、花火を禁じられた花火師がソ連の原爆開発に協力するという話となり、そこに戦後のエネルギー開発のイメージまでも重ねられることで、芝居は現実を、時間を超越していく。

(*3) 長崎時代のメモワール

唐松兵頭(フョードル・カラマーゾフ、竹中直人)と富太郎との乱闘シーンには1967年発表のこの曲がかかる(公演中2回くらい聞いた気がする)。

この頃、長崎出身・野田秀樹は12歳で上京前。野田自身も父と喧嘩したりしたのだろうか。ここも時間が歪められている部分ではあるが、国際関係・戦争への抵抗という大きな物語に対して、エディプス・コンプレックス/父に対する抵抗が小さな/個人的な物語として裏表にされているようにも感じた。

三角関係≠正三角関係

さて、そろそろ芝居の核心に迫っていこう。この芝居には"三角関係"が多く見られるが、そのどれも「正三角関係」ではない。素晴らしい論考を発見したので引いておこう。

第二次世界大戦中における日本、アメリカ、ソ連という3カ国。唐松家の三兄弟。その3人に重ねられた、ビジネス(長男)、科学(次男)、宗教(三男)というジャンル。父親と長男が奪い合うグルーシェンカとの三角関係──。それらがひとつとして正三角形にならないのだ。

国の話で言えば、国力や外交力が最初から対等でなかったのが、敗戦を前後して圧倒的にいびつな関係になり、原爆もシベリア抑留も国際法に照らせば違法なのに、戦後、公平と思える交渉はないまま現在に至っている。原爆投下に照らせば、科学は判断を誤り、宗教は力尽き、ビジネスだけが生きながらえたが、その構造は、正どころか三角形の形をとどめない。三兄弟に関しても、強権的な父の前で、お互いの長所でお互いの欠点を補い合う仲であったはずが、途中で三男は次男を恋愛対象として見ていることが告白され、兄弟を結んでいた三角形もシンプルなものではなくなる──。

そんな「一体、正三角形はどこにあるのか?」を抱えて2度目の観劇をしているうち、ふと思ったのが、これは“三角形であれどんな形であれ、均等になれない/なれなかった関係性”を描いているのではないか、ということだった。そして“正”とは、“正しい”とは何か、という問いがなされているのではないか、だった。

https://note.com/k_tokunaga/n/n8d9b18dc3f11
正三角形はどこにも見当たらない。

というような話は、出演者のインタビューでも語られており、それも一応貼っておこう。

"正"を探して

"正"を探してもどこにも見当たらない。その極致に原爆投下がある。この投下の場面は、『フェイクスピア』をも思い出す機内(B-29)から、地上の浦上天主堂にいる聖職者の三男・在良ありよし(アリョーシャ、長澤まさみ)に視点が移り、上空⇔地上の関係性において作られない"正"が象徴的に表現されていた。

浦上地区
長崎市の北部の地域で、17世紀から19世紀における潜伏キリシタンの中心地として現代には原子爆弾の被害を受けた中心地として知られている。歴史上、初めて浦上という名前が出現したのは15世紀。16世紀には全村がキリシタンと言われていた。17世紀に入り、キリスト教の禁教令が出たのちも、約250年間にわたって、信仰を守り通した。
(中略)
1945年8月9日 長崎市松山町の約500m上空で、原子爆弾が炸裂した。一説によると、当時この地区には約15,000人の信者が住んでおり、そのうち10,000人あまりが亡くなったと言われている。

https://artsandculture.google.com/story/uwXRRfqvSwUA8A

在良は、この浦上の地は浦上四番崩れをも耐え抜き、信仰を守り通した聖地、そこに爆弾が落ちるはずがない!…と話していた。一方、上空では教会こそ見えたものの、きっとカソリックだろうと笑いながら投下地点を決定する。キノコ雲は黒い雪となって地上に降り注ぎ、すべての罪を覆い隠す。裁判において被告は裁かれることもないのだ。

長崎への原爆投下は、知らない話ではない。義務教育で誰もが習う話だろう。しかし、今回の観劇を通じて自分の考えは全然足らなかったと思い知った。むしろ、知らなかった、ことに気づけた。長崎へも是非足を運んでみたい。戦後の自分たちはここから出発したのだということを、無法のさばる今こそ考えたい。

出演陣

さて、出演陣だが、いやはや良かった(当たり前か)。特に池谷のぶえ氏は出てきた瞬間に劇全体の骨格が定まる程のインパクトを感じた。

ウワサスキー夫人
https://www.instagram.com/takashi_okamoto/p/C-MA3sDSngE/

また、長澤まさみは「モテキ」「海街diary」のイイ女系役柄しか自分は観たことがなかったのだが、少年に最適解があったとは。『THE BEE』にも出演してらっしゃるようなので、そちらも是非観てみたい。

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