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ラヴェルの『ボレロ』とドライ・オーガズム (2024/12/08)
ここでは『オーガズム開発の研究』から零れ落ちた、小さなエピソードを思いつくままに描いていきます。
■ラヴェルの『ボレロ』とドライ・オーガズム (2024/12/08)
作曲家モーリス・ラヴェルが同性愛者だという説があることを知ったのは『ホモセクシャルの世界史』(海野弘著、文春文庫)でした。
それ以来、『ボレロ』がドライ・オーガズムを表現した曲にしか聴こえないのです。
有名な曲ですから、聴けば「ああ、これか」と思うはずです。知らないうちに何度も聴いている可能性が高いからです。例えば水谷豊主演の『相棒』でも使われています。『踊る大捜査線』のスピンオフ映画『交渉人 真下正義』でもクライマックスでとても印象的に使われていました。
一定のリズムを、一定のテンポで最後まで。
そこに2種類のメロディがまとわりつきます。
楽器が徐々に増えていき、最初のスネアドラムの静寂から、ラストの奔流、エクスタシー的最高潮へと上昇していきます。
これがドライ・オーガズムに酷似しているのです。
というか、ドライ・オーガズムを音楽にするとき、これ以外の表現があるだろうかと思わされるのです。
だから「ドライ・オーガズムってどんな感じ?」と聞かれたら、
「ボレロみたいな感じ」だと答えるようにしています。それが一番正確な表現だと思うからです。
ところで、ドライ・オーガズムという言葉には、本当に問題があるのです。
ドライという言葉が一見、専門用語的ですが、たんなるスラング(俗語)に過ぎません。
ドライ・オーガズムは一般的に「男性における射精を伴わないオーガズム」と定義されています。通常は前立腺を刺激する方法で行なわれます。
「男性における」とはっきり限定されているのは、「ウェット(濡れた、つまり射精のこと)」に対する言葉として「ドライ」が使われているからです。
つまり単なる「対語」に過ぎません。
すると論理的には射精の無い女性にはドライ・オーガズムが無いということになってしまうのですが、とんでもない間違いです。
ここでも用語の不在、用語の欠落という問題が生じています。
ドライ・オーガズムではなく、
「オキシトシン・オーガズム(あるいはオキシトシン系オーガズム)」
と呼ぶべきです。
正確な知識があれば、それが論理的必然です。
このあたりの詳しい説明は長くなるので『オーガズム開発の研究――知識・文化・芸術としての』で述べます。
(Illustration by Yuki)