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過去のダメな自分のことが、少しずつ癒されて好きになってきました。

こんばんは!

私、元々子供たちと関わる仕事をしていました。

でもその時に、先輩の同僚から「よく子供達のことが見えているね。でも対応が…下手。」と言われたことがありました。

喜んでいいのやら、落ち込んだ方がいいのやら
よく分からなかったのを記憶しています。

でも今ならよく分かります。
たぶん、私の才能なのかもしれないけど、よく周りが見えるんですね。

見えるならば、そこをうまく使って、より子供達の能力を伸ばしていけるはずだ、と思うじゃないですか。

でも見えているのに、対応が下手だから、結果的に上手くいかないんです。
うまく子供達の能力を伸ばせないし、問題の解決もできない。

だから私は、その仕事をしていて、だんだんと疲弊していってしまったんです。
悩みが尽きないし、見えているのにどうにもできないもどかしさ。
どうしたらいいのか、全く分からなかったんです。

それが今、なぜ対応が上手くいかなったのか、その原因が分かりました。


それは…
自分にフォーカスがいっていたからです。
つまり、自分が「どう見られるか」「どう思われるか」ばかり気にしていたんです。

上手くやらなきゃ。
分かりやすく伝えなきゃ。
あの人みたいに、笑顔でいなきゃ。

などなど、基準が常に他人で、出来ていると思われる人と比べては、自分はダメだと卑下していたんです。

だから対応が遅れるんです。
ちゃんとわかっているのに、思考で「正しい対応をしなくては」と修正してしまうので、反応が遅れることに加え、本当はその子にとってベストな方法が分かっていたのに、自ら違う行動をしまうんです。

生身の人間を相手にしているのに、見ているのに、その子達がどうしたら最高な時間を過ごせるのかということが分からなかったんです。

いつも思考優位でした。
他人からどう思われるか、と
他人との比較。

だから私は「見えているのに、対応が下手」と言われたんだ!とやっと今、納得できました。

その先輩も、もちろん悪気があったわけではなく、私のことを思って言ってくれたのかもしれません。

でもその頃の私は、その本質を、その原因を理解するにはまだまだ自分のことを信頼していなかったし、
内観をするなんてことすら知らなかったし、だから仕方がないと言えばそれまでです。

でもこうやって、その頃のことを含め、言語化できて、腑に落とすことができると、過去すら書き換わってきます。

ダメな私。という過去が、単に「他人の目を気にしすぎて、自分ではなく他人が基準だった」というだけのこと。
これがわかれば、いくらでも修正がいくし、過去の経験は何ひとつ無駄ではなかったんだと思えます。

そして、腑に落ちることが増えると、どんどん過去の自分が癒されていきます。
すると、自分の人生に誇りが持てます。
そうすると、どんどん自分が好きになり、大事にしたくなります。

すると、不思議なことに、周りの人から、他人から好かれるようになってきたんです。

面白いですよね。
人間嫌いで、人間関係が一番の悩みだった私が、少しずつ癒されて、
もっと人と関わりたいと思っていること。

本当は人が大好きだったんだけど、傷つくのが怖くて、避けていただけだったんだということ。

どんな自分すら、愛おしく感じられるようになってきたということ。

いまやっと、これまでの人生が一気に癒しに向かっている気がします。

もし何か、自分の嫌いなことや、治したいこと、引っかかることがあったら、
そこは癒されずに傷を持ったままでいるのかもしれません。

でもそこには、自分にとってとても大切な、キー🔑となるヒントが眠っているんじゃないかと、
私は思います。

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