30代中盤で海外勤務を決めた理由とその後のキャリアに与えた影響
こんにちは!
【個人起点100%エージェント】株式会社ミライフでキャリアデザイナーをしている中尾恵(めぐもん)です!
私は、2016年から2年3か月に渡り、ベトナム社会主義共和国へ駐在し、現地で人材紹介業の仕事をしていた経験があります。
そのことを経歴に入れていると、必ずと言って良いほど聞かれる質問があります。
「なんで海外で働こうと思ったの?」
「海外で働いてから、何か変わった?」
海外で勤務している方や勤務経験がある方は、日本全国で見ればたくさんいらっしゃるとは思うものの、全体の割合で言うとかなり低いこともあり、多くの方が未経験だと思いますので、そういう意味でも気になる経験なのかもしれません。
また、私の場合で30代中盤という中堅層でもあったので、その年齢的な背景も気になる部分かと思います。
本日は海外勤務を決断した際の背景、また、その後のキャリアに与えた影響について書いていきたいと思います。
今のキャリアでモヤモヤしている方はもちろん、海外で働くことを視野に入れている方、新たな挑戦をするかどうかで悩んでいる方など、少しでもお役立ていただけると嬉しいです!
海外勤務を決めた背景
▼当時の私の状況
当時は、エンワールド・ジャパンというハイクラス領域を専門とするエージェントの中で、コンサルタントとして4年目を迎えていました。
4年目となると、仕事に慣れて一人で完結できることが増えたのはもちろんのこと、仲の良い同僚も多く、さらに後輩指導も任されるなど、充実した環境で仕事をしていました。
充実している一方で、「このままでいいんだろうか?」と、漠然とした不安感がどこかにありました。
当時は34歳。これから30代後半を迎えるにあたり、今のままの仕事を続けて良いのか、40歳になった時、今の私と何も変わらない自分がいるのではないか、なんとなくそんなことを考えることが日常的にありました。
それでも自分が3年以上かけて培ってきたComfort Zone(仕事のしやすさ、仲良い同僚と笑いながら仕事する職場環境など)は、とにかく居心地が良く、ずっとこのままだと良いな~とお気楽に思っていました。
▼ベトナムに行きませんか?という話は突然に・・
2015年の秋頃、全社会議で「ベトナムの子会社にて、チーム立ち上げのマネージャーをしてくれる人を募集しています」とアナウンスされたことを覚えています。
それ自体は全く不思議なことではなく、海外子会社に異動した人や転籍した人の前例を見ていたので、また募集するんだな~くらいに思っていました。(完全に他人事)
少しして、コーポレート部門の方達が、急に私にベトナムの興味を聞いてきたり、なんとなく周囲がザワザワしているような感覚があるなーと思っていたら、
「ベトナムに行かない?」
と具体的に聞かれるようになり、本格的に話が展開していくようになりました。
最初こそ、そもそも海外勤務自体に全く興味がないし、自分が培ってきたComfort Zoneを抜けてまで行く理由が持てなくて断っていたのですが、当時の社長を始めとして海外事業に関わっていた方達が、私が行く理由を熱心に説明してくれました。
「チームの立ち上げを何度もやってきたんだから、次は海外でやって欲しい」というのが主旨でした。
▼最終的に決断した2つの理由
最終的には、2つの理由で決断をしました。
1つ目は、この経験が自分のこの先のキャリアの中で、希少性に繋がると感じたこと。
当時、オーストラリア人の社長は「この経験は君の今後のキャリアの中で、将来の選択肢を広げる経験になるよ」と言ってくれたことを覚えています。
確かに、周囲で海外へ渡航して仕事している人の数は数えるほどしかいないし、人材業界に絞って考えるとなおさらです。
この経験は、きっと自らの大きな強みになることを感じました。
2つ目の理由は、30代半ばの今だからこそ挑戦したいと思ったことです。
会社は、良い意味で私の年齢や性別にとらわれることなく、海外勤務のポジションに抜擢してくれました。
そのことに純粋に応えたいという気持ちもありましたが、この年齢が最後のチャンスになるのではないかという思いもありました。
もちろん、当時は独身でしたので何か生活で縛られるものがあったわけではないのですが、少し海外渡航の決断をするのは勇気がいる年齢であったことも事実です。
でも、もっと年齢を重ねたら新たな挑戦はさらに厳しくなることも想像できる・・
それなら挑戦するなら今しかないんだ!という考えになり、海外勤務の決断を大きく後押ししました。
結果、海外に行くことを秋に決断した私は、バタバタと仕事の引継ぎなどを行って年度が1月に変わるベトナムに合わせるために、2015年12月31日に日本を飛び立ち、ベトナムのハノイへと入りました。
海外勤務経験がその後のキャリアに与えた影響
ベトナム赴任後、1年目は北部のハノイでのチーム立ち上げ、2年目には南部のホーチミン市に異動して大きなチームを引き継いでの再立ち上げなど、奮闘した2年はあっという間に過ぎ去り、2018年3月に日本へ帰任しました。
それから早6年以上が経過していますが、振り返るとそこから私のキャリア感が変わったように感じています。
小さいことを挙げるとキリがないですが、大きく変化を感じるのは下記3点です。
1:チャレンジすることへの敷居が低くなる
海外に行く前も、私は異動や転職はもちろんのこと、全くカルチャーが異なる子会社へ転籍した経験など、自分なりに挑戦をしてきました。
ただ、海外に出て働く経験はそれらとは全く異なる挑戦だったこともあり、大きな転機となりました。
誰も私のことも知らなければ、私の常識など興味が無い人達の中に入って仕事や生活をする。
渡航前にはその生活が想像もできなかったし、当たり前が通用しない世界では苦労はありましたが、それでも気づいたことがありました。
どんなに新しい環境でも、始まってしまえば、あとはそれに慣れて日常にしていくだけ。
チャレンジした回数や、変化の幅が大きければ大きい程、適応力は増していくはずなので、またその適応幅が広がった!と思うようになりました。
以降、培ってきたComfort Zoneを抜けて、新たな環境へ行くことや新たな人間関係を作ることに対しての心のハードルは、かなり下がったように思います。
2:柔軟性やコミュニケーション力の向上
海外で「自分が外国人」という究極の状況を経験し、赴任前よりもさらに考え方が柔軟になったり、コミュニケーション力が上がったように思います。
母国語も育った文化も違うスタッフ達に囲まれていたこともそうですが、ベトナムで関わる企業のお客様についても、日本で仕事していた時と異って、職種や業界も多岐に渡っていたこともあり、初めて関わるようなタイプの方が多い環境でした。
そんな中でいかに早期に自らを理解してもらい、相手を理解できるか、というのが重要だったこともあり、オープンマインドで接することや、相手に合わせて話をする力を自然と身に着けていったように思います。
(特に表情のコミュニケーションは得意です!)
日本に帰国後、人材業界からIT業界に転職をしたり、バックグラウンドが異なる方達とのコミュニティに所属をしたりしましたが、そういう時にも持前の柔軟さとコミュニケーション力を活かして、早期に自分が居心地良く感じる環境を構築できてきたと感じています。
3:時間軸の考え方が1年単位になる
これは私特有のことかもしれないのですが、当初は任期1年という期限をもって赴任したこともあり、1年の捉え方がそれまでと大きく変わりました。
今年中に数字目標は○○〇USD、そのための必要KPIも理解していたので、赴任してから「ゆっくり慣れていこう」といった時間などなく、最初の1週間で全体のルールや情報収集をした後、2週目から新規開拓に全員で舵を切るなど行動の前倒しを意識しました。
1年は長いようで本当に短い。
ただ、その1年に明確な目標を持てていれば前倒しで行動ができて、実現が近づく体験をしたこともあり、それ以降も1年の捉え方が大きく変わっていきました。
今でも今年1年はこれをやる!こうなりたい!といった目標を立てて動くことが当たり前になりました。
最後に・・
今回は、自分自身が30代中盤で海外勤務を決めた理由と、その後のキャリアに与えた影響について、今の考えを書いてみました。
今回はたまたま海外勤務をテーマにしていますが、自分にとってチャンスや挑戦となる機会があった時、思い切って決断することで、その後のキャリア感が大きく変わることを私の感想ベースでお話させていただきました。
私自身は、現在、人材エージェントにてキャリア支援を行う立場ですが、皆さんのキャリアを支援する立場であると同時に、「自分自身も挑戦を続ける」、そんなキャリアデザイナーでありたいなと思っています。
新たなことに踏み出すことに迷っている方、
実際の海外勤務って本当のところどうなの?と聞いてみたい方、
とりあえずお話してみたい方などがいらっしゃれば、
ぜひ一度ざっくばらんにお話しましょう!
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