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【人はどのように進化していくのか?】
子どもの頃(多分5歳ぐらいまでの社会というのを知らなかった頃)、大人から「大きくなったら何になりたい?」と聞かれたら、迷わず「サイボーグ009」と答えていた。
私の時代だと、アニメとかまだなかったので、おそらく漫画をみていたのだと思う。物語の内容は、悪者に誘拐されて、サイボーグに改造されてしまった少年が、仲間達と一緒に地球を悪から守るために戦う漫画です。
サイボーグ009とは(株式会社石森プロ会社概要より)
「解説」
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世界中に戦争を引き起こし、兵器を売りつける謎の組織「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」に誘拐され、最強の兵士=兵器であるサイボーグに改造されてしまった少年・島村ジョー。数々の戦闘テストに合格し、ゼロゼロナンバー9人目の戦士・009となった彼は、同じように改造された8人のサイボーグ戦士たちとともにブラック・ゴーストから脱走する。戦争のための人間兵器として改造手術を受けながらも、9人のゼロゼロナンバーサイボーグたちは組織に反旗を翻し、世界から争いを無くすために戦うのだった。
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そんなあらすじで毎回、みているだけでワクワクドキドキしていたのを思い出します。当時の私は主役の「島村ジョー」になりきって、自分よりも小さな近所の子ども達を集めて、スカーフの代わりに風呂敷を首に巻いて、謎の組織「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」と、地球防衛軍として、戦っていたのです。
それにしても、私は何故サイボーグ009にひかれたのだろうか?
5歳ぐらいの女の子なら、おままごととか、着せ替え人形とか、そんなことをやっていそうなのに、私は「地球防衛軍」に入りたかったのです。
その訳は、ずっと、「実は男の子になりたかったのかな?」とか思っていたのですが、どうも違うぞ!と、思い出したのです。それは・・
最近「愛着障害」と言う本に出会ったことがきっかけです。
私が「地球防衛軍」に入った目的。それは、弱き人たち。特に当時は今よりももっと弱い立場にいた「女性(主に母親)」を守りたい!と思っていたのだ。と、言うことに気がついたのです。
これは、大好きな私の母親が当時いじめられていた?(子ども心にはそのように映っていたのだと思う)から、私は悪の軍団のメンバーである、祖母や父や小姑(笑)から母親を守らなければ!という使命感に燃えていたのだと思います。でも、子どもである事、そして、子どもながらに大っぴらに「母さんをいじめるな!」と言えない空気を察していたのだと思います。自分がそんな事を言うと、さらに母親がいじめられる。という事を肌感覚でわかっていたのです。(そう言う意味でも大人が隠し通していると思っていることのほとんどを子どもたちはわかっている)
面と向かっては何も言えない。子どもながらに善人の沈黙を守らざるを得ない環境だったのかと思います。
そんな想いを発散する場にもなっていたのが、近所の公園とかでスカーフをなびかせて走り回る。「009ごっこ」だったのです。そこでの私はまさしく正義の味方。
危機に遭遇した時の人間の原始的な反応というのがあるらしく、そしてそれは二つの選択肢しかなく「戦うか」「逃げるか」のどちらかなのだそう。
私はどうも「戦う方」を選ぶ子どもだったようです。
【戦うか?逃げるか?】
人は進化の過程で常に危険に身を晒されてきた。ジャングルの中で、獲物や木の実を集めないと「飢え」という命の危険にさらされる。しかし、狩猟採集時代は飢えを解消するための行為そのものが、命の危険にさらされるといった過酷極まりない状況出会ったことは想像できます。
ジャングルで人間と同じく獲物を探している猛獣に出会った時に。「戦うのか?逃げるのか?」を瞬時に決める力、これこそが生存能力に直結していた時代。そしてそれを、ホモサピエンスだけが、言葉を使い、コミュニケーションを通して、互いに協力し、進化することで、乗り越えてきたからこそ、人類は霊長類のトップに君臨し、生き残ったとされています。
現在社会は、飢えに苦しむというようなことは滅多にないと思う。(逆に食べすぎて悩んでいる人の解消法としてたくさんの運動法や食事指導などがあったりする)コンビニに行けば、食べるものはいくらでもあるし、安価で手に入る。災害時でも水があり、お湯を沸かす事さえできれば、カップヌードルなど、ひとまずの空腹は満たすことができる近代社会を作り上げてきたのです。
【人はパンのみに生きるにあらず?】
マズローの欲求段階説によると人間の欲求は段階的に出てくるらしく、「生理的欲求」や、「安全の欲求」が満たされないと、次の「社会的欲求」は出てこないのだそう。
わかりやすく説明すると・・・
第一段階「生理的欲求」・・・「眠気」「空腹(飢餓レベル)」「トイレ」など、人間としての肉体から来る原始的欲求。
第二段階「安全の欲求」・・・命の危険にさらされていない状態(内戦とか、治安維持。虐待も入る?)が満たされている状態。
第三段階「社会的欲求」・・・上記の二つが満たされた上で初めて出てくる欲求社会参加したい!お友達を作りたい等、所属したいといった欲求。
そのように考えると、例えば愛着に障害がある家庭で育った子どもたちは第二段階の「安全の欲求」が満たされていない状況では第三段階の「社会的欲求」は出てこないのかも知れませんね。
社会的欲求が満たされるとそのコミュニティの中で承認されたい!という欲求
第四段階「承認の欲求」が出てくる。自分が所属しているコミュニティの中で認められたい!役に立ちたい!といった欲求です。
そしてそれが満たされると、
第五段階「自己実現の欲求」もっと良くなりたい!といった向上心が出てくるといいます。それが、「人の心理的行動」なのだそうです。
【「欲求」と「欲望」の違いは何か?】
カウンセリングの世界では以下のように二つの言葉の違いのポイントを書いていたりします。
欲求
気持ちが冷静で、身体や魂が欲している状態をきちんと把握できており、またコントロールできる自信のある状態
欲望
どちらかというと興奮状態であり、身体が魂が欲している衝動を抑えきれていない。場合によってはその衝動に自分が支配されている状態の可能性も。
結局エネルギーをどうするかが問題
どんなエネルギーがあるのか?
どこへ向かわせたいのか?
この2つを知ることがまずは必要。
とのこと・・。
仏教的に言うと「煩悩」でしょうか?仏教ではこの「煩悩」から解放されるための様々な学びがあったりします。
以下の図は人の欲求をマーケティングという手法を使い、経済活動に生かしていく。段階に応じたサービスを提供しようと言う「マーケティング型マズローの欲求段階説活用法」が描かれています。https://ferret-plus.com/5369
逸脱した欲は危険ですが、成長段階にある人間の欲は社会的にみても、多少なりとも必要なのかも知れませんね?
人の欲求の最上位にある「自己実現」の欲求。これが満たされたらどうなるのか?
【ミレニアル世代やZ世代】
消費しない世代とか言われているのがミレニアル世代(デジタルネイティブ)とかゼット世代(ソーシャルネイティブ)とか言うらしい。彼等はバブルを知らない世代。AI ITは当たり前。シェアリングエコノミーが普通。
彼らにとって、ブランド物で身を固めている人は、みっともない!恥ずかしい!と思うのだそうです。それよりももっと価値のあることに自分の時間やお金を使いたいと思う世代が出てきていると考えると、人類は更なる進化を遂げているのかも知れません。人はどこへ行くのか?見届けたい。