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日本人のジャスティスの受け取り方

【クラファン終了まで残り60日】

あまみのもりのほいくえんでは毎日の様に誰かと誰かが喧嘩している。
おもちゃ貸してくれない!だの
おもちゃ取られた!だの
叩かれた!だの
遊んでくれない!だの

その様子を見ていて思うことがある。「子どもは脳内の思考を躊躇せずに言語化しているのだろうな?」ということ。
だから喧嘩になる
だけど大人だって脳内は同じ様なこと感じてるし、思っている、だけど理性が働いて言葉にはしない。
そして、ストレスが溜まったり
相手を嫌いになったり
自分を嫌いになったりする
いつからこんな思考になったのだろう?
恐らく大人になるまでの、周りの大人達の関わり方の問題なのかもしれない。(つまり教育の問題)

喧嘩両成敗ではなくて

子ども達が喧嘩をしだすと大人はどちらが悪いか?をジャッジしようとする。私も子育て期はそうしていた気がする。
そして、それを子ども達に伝えていた。だけどもし相手が大人だったら?ジャッジすることそのものが相手を尊重していないことなのだ。

英語のジャスティスは日本語では正義と訳されるが、英語では天秤の様な意味合いがあるのだそう。
つまりどちらが正しくてどちらが悪か白黒つけたい日本人とは違って、どちらの主張も天秤にかけてバランスしていくのだ。

気候正義も同じ。どちらが悪でどちらが正義なのか?目の前のことで争っている場合ではないと感じる。
とにかく待ったなし!どちらも頑張って、もっと大きな課題である地球の未来を考えてみれば答えはきっと一つになるはず。
そんなことを思った朝です。

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