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ドイツ軍が町で唯一、焼かなかったカフェ(上)ベルギー1

おとなの街歩き ベルギー1

ベルギー、フランダース地方ルーヴァン市
Brasserie Gambrinus

 

Gambrinusの外観


レンガ造りのファサード、革張りのどっしりした椅子、年季の入った壁画、蝶ネクタイのギャルソン。歴史と文化を感じさせる欧州の古いカフェやブラッセリ―(食事も酒も出す気軽なカフェ)で食事やコーヒーを楽しむのは、欧州の街歩きの醍醐味の1つだろう。
 ベルギーの大学町ルーヴァンの中心にあるGambrinusもそうした老舗ブラッセリ―の1つで、1896年創業。レンガ造りの建物にアールヌーボーの鉄の装飾が施されたファサードが美しい。出す料理は、ウィットローフ(シコン、もしくはアンティーブ)のグラタンや小エビのコロッケ、ウナギの香草煮など、フランダース地方の伝統料理で、どれも丁寧にきちんと作ってあり、期待を裏切らない。シンプルで昔ながらの盛り付けが、レトロないい味を出している。


落ち着いた店内でベルギービールを楽しむ


圧巻は、店内をぐるりと取り巻く天使の壁画だ。1896年、オーストリアの画家E.Mayerの作。よほど入念に手入れされているのだろう。保存状態がよく、約130年も経っているとは思えない鮮やかさ。市の中心部にあって観光客も多い場所だが、少し周辺の店より値が張るせいか、客層は少し年齢が高めで、雰囲気はとても落ち着いている。この店で地元の上品な初老のご夫婦などが、ゆったりワインやベルギービールを飲みながら食事を楽しんでいる様子は、まさに古きよきフランダース、といった風情がある。


19世紀の壁画に囲まれて食事をする


 Gambrinusは現存するルーヴァンで最も古いレストランとされる。築200年以上の建物も多い欧州で、19世紀末の店が最古とは、少し新しすぎる気がするが、この店が「最古」になったのには理由がある。ここでは、このエレガントなブラッセリ―がたどった数奇な運命について紹介したいと思う。
 

パニックになったドイツ兵士


町に残る銃撃戦の跡。後ろは市議会議事堂であるタウンホール

  1914年8月19日、第一次世界大戦で侵攻してきたドイツ軍はほとんど無血でルーヴァン市内に入った。ベルギー軍がすでに撤退していたためだ。
 ルーヴァンはブリュッセルの西25キロほどの位置にある。ドイツ軍には「あともう少しで首都を陥落させられる」と勢いづいていたことだろう。

 だが、その一方で、ドイツ兵たちは怯えてもいた。 
 ルーヴァンに駐留する前、ドイツ軍は途中にあるディナンやアールスコートなどの町を占領し、子供などを含む一般人を何百人をも虐殺してきていた(ディナンでは約600人)。市民が教会の前に集められ、一斉射撃された町もある。

 圧倒的な武力の前に自分の町を占領され、弾圧された市民がどうするか。 

おとなしく従うそぶりを見せながら一部の市民が抵抗運動(レジスタンス)の闘士となりテロや待ち伏せをし、占領軍に夜襲を行うというのは、洋の東西を問わず戦時によくあるパターンだ。実際、ベルギーの被支配下の町でも市民による「フランティレール」と呼ばれる対独抵抗運動が起きていた。抵抗は粘り強く、激しかった。そのため、大威張りで占領した町を闊歩する一方で、内心はびくびく怯えていたドイツ兵も少なくなかった。ドイツ兵たちが「フランティレール恐怖症」だったと言われていたぐらいだ。

 陥落から1週間あまりたった8月25日の夜のことである。
 市内中心部の数か所で30分にわたって銃撃戦が起きた。銃撃戦の後、路上にはドイツ兵の死体が見つかった。

 何が起きたのかは、いまだによく分かっていない。
 レジスタンスによる攻撃だったという説もあるが、ドイツ兵たちが酒に酔った挙句、同士撃ちをしたという説も根強い。確かに、勃発した時間は8月の20時過ぎで、緯度が高い欧州ではまだ明るい。レジスタンスが闇討ちをかけるには早すぎる時間である。

 いずれにせよ、ドイツ兵が死んだことに変わりはない。占領部隊は報復に出た。
 市街地の建物に押し入り、ワインや貴重品を奪うと、家具やカーテンを居間に積みあげては、火を放った。
 欧州の家はレンガ造りなので、外には延焼しにくい。そのため、兵士たちはご丁寧にも市中心部の一軒一軒に押し入り、見事なほどの段取りの良さで、奪っては、焼き、奪っては、焼いた。その結果、ルーヴァン市だけで2,000以上の建物が破壊された。駅からまっすぐ伸びる大通りBondgenotenlaanの建物などは、ほとんどが壊されたと言っていい。中世から続くルーヴァン大学の誇る図書館も焼き討ちにあい、中世からの写本など貴重な書物が焼失した。

 ところが、Gambrinusは焼かれなかった。市の中心部にあったにも関わらず。他の名だたるレストランは奪われ焼かれたのに、この店だけドイツ兵は手を出さなかったのだ。

 なぜか。 
 当時のオーナー(戦後に売却され現在は別のオーナー)がミュンヘンのビアハウスが醸造したビールを町で独占販売する権利を得ていたためである(注1)。
 ベルギーのビールは世界に名だたる質の高さと多様性を誇るが、ドイツビールとは味わいも、のど越しも異なる。ドイツ兵士たちは、占領先の異国でも故郷のドイツビールを飲めると知り、この店だけは守ることにしたのである。

 初代オーナーが親ドイツだったのかどうかは定かではない。だが、町でビールの販売権を独占するほどにドイツに縁があったのは確かである。(下に続く)

<メモ>

Gambrinus:伝統的なベルギー料理が楽しめるブラッセリ―。おすすめは、春先のホワイトアスパラのフランダース風ソース、シコン(アンティーブ)のグラタン、シェーブル(ヤギのチーズ)のサラダ、牛肉のシチュー、ホタテ貝のグラタンなど。中でも自家製アイスクリームは絶品。店内での食事のほかテラス席でベルギービールなどを楽しめる。予約したほうが無難。
Gambrinus
Grote Markt 13, Leuven, Belgium
電話:016 20 12 38
メール:info@gambrinusexploitatie.be
 
ルーヴァン市の歩き方:ブリュッセル中央駅から国鉄ICでリエージュ方面で約30分。駅からGambrinusのある市の中心部Grote Marktまでは徒歩で15分ほど。駅から広場に続くBondgenotenlaan(連合軍通り)は直線なので迷わないだろう。Grote Marktにあるタウンホール(市議会議事堂)は1400年代に建てられた壮麗なゴシック建築。Gambrinus前のシントピーターズ教会は世界遺産。途中、左手に見える大きな塔のある建物はルーヴァン大学図書館。第一次世界大戦でドイツにより放火された(当時は違う場所)ためアメリカなど連合軍がプロパガンダを兼ねて再建した。日本も再建に参与したが、第二次大戦でもドイツの焼き討ちにあった。
 世界遺産は、十字軍ゆかりのヘギンホフ(大小2か所)、カリヨンのあるシントピーターズ教会の3か所。世界最大のビール会社アンハイザー・ブッシュ・インベブの本拠地であり、ルーヴァンではステラ・アルトワを製造している。風向きによっては駅周辺にある工場から、ビールの酵母が匂うこともある。
 ルーヴァンで楽しむ料理には典型的なベルギー料理のほか、ネパール人のコミュニティが大きいため、ネパール料理のモモや麺類を扱う店が他都市に比べて多い。90年代から始まったネパールの政治的混乱により、もともと住んでいたネパール人を頼って移民する人が増えたため。
 学生街のため、治安が比較的良く、若者で活気がある。 
 
参考リンク:
1.       Hans Van Themsche:https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Van_Themsche
2.       Hidden Belgium:Gembrinushttps://www.brusselstimes.com/art-culture/451800/hidden-belgium-gambrinus
3.       Resisting resistance. WWII resistance movements as milieux de mémoire in post-war Belgium, 1945-present https://research.flw.ugent.be/en/projects/resisting-resistance-wwii-resistance-movements-milieux-de-m%C3%A9moire-post-war-belgium-1945
4.       Vrt Canvas:Bariloche
https://www.vrt.be/vrtmax/a-z/bariloche/
 
参考文献:
1.       ヴォルフガング・シヴェルブシュ、「図書館炎上 二つの世界大戦とルーヴァン大学図書館」、福本義憲訳、法政大学出版局、1992年
 
(注1)壁にBürgerliches Brauhaus München(ビュルゲリッチェス・ブラウハウス・ミュンヘン。Bürgerlichesは大手のLowenbrauの前身)とある。

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