2nd and a half day in Seattle.
毎晩、寝る前に今日のことを振り返りながら書くnoteは、心を落ち着けてくれる気がしている。
思い出してみると、シアトル滞在二日目は、Costcoに行く前に、Kirklandのダウンタウンまで散歩がてら行っていた。
Kirklandには地元の住人には十分な広さと言える商店街がある。その趣は、まさに田園調布に近いと思う。少し高めの雑貨屋さんや、ジム、少し歩けば公園もあるし、図書館もある。ちょうどハロウインシーズンだったから、かぼちゃを選ぶ人たちの姿もあり、文化の違いに、新鮮な空気を味わった。
一人だから、少し寂しさを感じつつ、でも、澄み切った空気の中、知らない土地を歩くのは悪くない。
シアトルといえば、カフェ文化。とは、ここにきてこそ実感した。Kirklandダウンタウンにも、ブロックごとにカフェがある。日本で言えば、コンビニの数ぐらいのカフェがあるのではないかと疑うほどだ。
シアトル(というか、ワシントン州)滞在で初めての観光で、やっぱり、Starbucksは行っておきたくて、KirklandのStarbucksに入る。私はいつでも大抵ブラックコーヒーを頼むが、ここでは味の違いを楽しみたくてカプチーノを頼んで、しばらく仕事をしつつ、翌日からどこに行こうかと本当のSeatlle市内の観光スポットを下調べした。(実のところ、Starbucksはよく出来ていて、日本との差を感じないほど、同じ味を楽しめた。)
こんな、なんでもない時間でも、しばらくぶりだった。
......
犬が病気になってからは、なるべく独りにさせないようにと、気をつかったし、そうでなくても、発作を起こしているんじゃないかと気がそぞろで外にいられない。さっさと家に帰って、犬の元気な姿を見て、今日は大丈夫だった、とホッとしたかった。
「猫は場所について犬は人につく」と言われる。
私は子供の頃から、犬を飼っていた。だから、慣れているし知っていると思っていたが、犬を一人で飼うということはそれなりに工夫が必要だと今更ながら理解した。
犬が死んだ今、その時間は取り返せないが、
会社員として、働き、残業も夜の飲み会も厭わずに暮らしてきた自分を省み、小さな生き物に、ひとりの時間を長く長く過ごさせたことに、
ひどく後悔する。
8年と3ヶ月の間、たくさんの時間を、一緒に過ごさないで来た。
写真を見ると、今年の正月明けくらいから、目が弱々しい。
ある朝、散歩の際に見せた眼差しがとても優しく、とても儚く見えた。
私は、その時、心の中で、
この仔、今年死んじゃうんじゃないか。
そう思った。
怖くて、instagramでは可愛い瞳、などと
茶化してアップした写真だったが、
本当は怖い予感を消し去りたくて、そう表現した。
残念ながら、その予感は当たってしまい、
弱々しい眼差しを見たその午後、
初めてにしてひどいてんかん発作を
何回も何回も何回も繰り返し、
一転して病院通いの生活になったのだ。
犬よ、ごめんね。
ごめんよ。
ごめん。
本当に、よく頑張ったね。
私は、悪い飼い主だったように思う。
だから、次は絶対に、一緒に居られるように、働き方を選ぼうと思った。
......
そんなことを日本から遠く離れたStarbucksで思い出し、
ウルウルと涙しそうになりながら
深呼吸して
自分の仕事に集中した。
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