自分を丁寧に扱いましょ
いぜん、心屋系の心理学で前者、後者というのがあった今でもあるっぽい
個人的にどっちでもいいやんとう根底なのでおそらく私は後者なのかもしれない
どっちでもいいとは思うけど、
ある程度自分をカテゴライズすることで自分に目を向け自分の性格を把握することで心理的変化を自覚しストレスを軽減するにはいいと思う
これは西洋東洋ひっくるめた星占いや数秘術や手相など占いもおなじだとおもった
自分に目を向ける為のきっかけになる
しかし、これに「私はこう」「あなたはこう」とレッテルを張るものではないなと感じた
レッテルは縛る
自分の自由も他人の自由も縛る
時間を縛るのは実際にはできないけど
時間を縛り人の自由を奪う
奪われた時間によって浪費しそれが人生に反映されてしまう
縛るって
なんだか自分を乱暴に扱ってる感じがしてあんまりよくないんじゃないかなと思ってる
思ってるだけで何もできなかったりする
人間は沢山の洗脳のトラップを踏んで生きている
洗脳のトラップは幸せの判断すら鈍らせる
把握するとレッテルを間違って選択してしまうとけっこう危険かもしれない
把握する のと レッテルをはる を混同してる人もかなり多い
私もまだ微妙に判断しにくいところもある
デブとブスという破壊的な言葉を他人から投げられると心が痛む
痛むということは自分の中で納得してるということだ
納得して心を痛ませてる
おバカさんだ
この、『心が痛む』を納得してはいけないんじゃないかと最近思ってる
痛ませてるのは自分の中で自分にレッテルをはって自由を奪っている証拠なのではないかと感じてる
と、久しぶりに前者と後者という文字をみて色々考えてしまった
そんなわけで
そういう傾向かな?とタイプを探って対策をたてるくらいにしておくのがちょうどいいと考える
そこに強迫観念や固定観念を入れてしまうとバランスが悪い
そういうタイプかもしれないし、そうじゃないかもしれないを必ず頭の片隅に私は置いておくようにしたい
用心深いのか心配性なのか性格がひねくれているのかわからないが
前者も後者も含めた心理学も占いのほとんども
『他人』がつくりあげている
その他人を信じていくのが悪いというわけではなく
他人がつくったものにいとも簡単に振り回されて生きてる人が多いなと
私もそうなってるときがある
渦中にいればいる時ほどきがつかないからコワイ
誰かに振り回されていると感じている人も多いだろうが
自分で自分を振り回してるだけで
それがバカらしいと気がついたら振り回すのを辞めたらいいだけなので
ごちゃごちゃしだしたら
一度立ち止まって自分に目を向ける必要がある
目を向けて自分のレッテルを探す必要がある
物事は複雑に感じるかもしれないけど宇宙を含めた自然の世界は案外シンプルにできてるのかもなと
この間は種だったのに二週間後の忘れそうな頃に芽を出したレモンバームをみて感じた
猫は自分の機嫌が良くなることが好きで機嫌が悪くなることが嫌い
人は他人に目を向きすぎてる
だからごちゃごちゃする
人として生きてるとごちゃごちゃしやすくなってしまうのは色々仕方はないけど
幸せって自分を大切にするところが基本だと年々感じる
生 と 死
この2つを大切にすることが人として幸せになれる方法かもしれない
そのシンプルさに目を向ければもう少し悩まなくてすむのかもしれない
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