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(第5回)スマホ普及の説得力
スマートフォンの所有がなくてはならないほどに定着した今、皆さんのまわりでも、きっとこれを欠かせなくなってしまった方が多いのではないだろうか。
以前友人と旅行で高野山へ行ったことがある。
高野山と言えば、和歌山は紀伊山地の山々に囲まれた一角でひっそりと存在している弘法大師・空海が拓いた真言密教の聖地である。
歴史でも必ず出てくる空海は、平安時代初期の日本が生んだ最高の哲学者にして、美しい文章を綴る一流文学者だそうだ。
奥の院に続く参道は名だたる戦国武将たちの供養塔が置かれていることに、実在したことを思わざるを得ない説得力を感じる。
そんな歴史の深さを感じながらも、やはり現代人の私たちはスマホを手放せなかった。むしろ歴史をその場で調べる大活躍っぷりだ。
とは言え、時を忘れるほどの凛とした静けさと、荘厳な歴史空間の中では、もはやスマホなぞチャラいアイテムであり、使うには少し気の引ける思いがあったのも事実だ。
その日の宿泊も「宿坊」と呼ばれるお寺に泊まる体験だった。
寝室となるお座敷に通され、おそらく修行中であろう僧侶から施設の使い方、翌日出発までのスケジュールなど諸々の説明を受けることとなった。
宿坊体験というだけあって、食事が精進料理、食後に写経、翌朝早朝のお勤めへの参加など、お寺で過ごすということとはどういうことかを知らされる。
枕投げなど言語道断である。
静けさのある部屋で、僧侶を目の前にそのような説明を受ける。まさにスマホなど触ってはならぬ雰囲気が漂っており、緊張も頂点に達していた。
友人も私も、自然と背筋が伸び、傾聴の姿勢をもって向き合っていることに気づいた。
時の経過すら尊いと感じられたが、ふとしたタイミングで不明点も生まれてしまう。なんせ初めての体験だ、仕方がない。
発言のタイミングに気を配りながらも恐る恐る質問した。
「えぇと…写経は何時からでしょうか?」
すると僧侶は「えぇとですね…」と何やらお腹にあるポケットのような場所を探り出した。
スケジュールの書かれたメモを取り出して確認をする、そんな数秒先のイメージをしながら見守っていると、おもむろに最新のiPhoneを取り出して時計を確認する僧侶の姿があった。
そのこなれ感たるや。
瞬時に「ドラえもんかよ」と突っ込み、スマホ普及率の高さを体感した二人であった。
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