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夜更けに金色瞳猫 1

女生徒と指輪

 学校から持ち帰った課題の最後の設問に回答を書き込んだ時、ちょうど誰かが階段を昇ってくる音がする。随分古い家なので忍び足で歩こうが意味はなく、木材が軋んでギシギシと音をたてるのだ。
 すぐに部屋の扉がノックもなく開かれる。
「銀子、金華のご飯は?あげようと思ったのに見当たらないんだけど」
「ああ……」
 手元のノートから気怠げに視線を外して顔をあげた銀子は左手の親指をチラと見た。母が銀子の視線を追って、やや顔色を変える。
「指輪はどうしたの?」
「学校で没収されたまま忘れていました」
「没収?あれは没収しないようにって学校に言ってあるのに」
 呆れた様子の母に、銀子はのろりと口を開く。
「母様、今は新学期ですから。事情を知らない新任の先生に目をつけられまして。とられてしまったんです」
「全く……先生も先生だけどあなたもあなたよ、大人しく渡さないでちょうだい」
「校則では指輪が違反なのは確かですから、外せと言われれば抵抗する理由がありません。真面目にしている他の生徒もいます」
「全く……指輪の制限がないのをいいことに逃げ出したんでしょう。早く連れ戻してきなさい。今は銀子しか金華は追えないでしょ」
「分かりました」
「学校には、改めて指輪の件は言って頂くから」
「はい」
 端的に返事をして、銀子は椅子から立ち上がり母と共に一階に降りて外に出る支度をする。
 母は居間の方へ廊下を曲がっていったので、すぐ指輪を取り上げられたことを報告するのだろう。そして父から祖父へ伝えられ学校へと連絡が繋げられる筈だ。

 土間で靴を履いたところで、自分がまだ学校の制服のままだったことに気がつく。面倒で帰宅してからも制服のままでいることが多い。
 今日は夕食後に課題をしていたのでかなり時間が経過している。腕時計を見ると、アナログ時計の針は九時過ぎを示していた。
(この時間に制服は目立ちますが……)
 着替えている余裕がない。すぐに家を出て銀子は駆け出した。すん、と鼻を鳴らして匂いを探る。
 金華に物理的な匂いがあるわけではないが、気配を匂っているようなものだろうか。迷いない足取りで金華の気配に駆け寄って行く。
 匂いが薄い。結構遠くまで行っている。
 道をいくつか曲がったりして間もなく辿り着くだろう、そう思ったところで背後から声をかけられた。
「君?ちょっといいかな」
 振り返った銀子は、自分を呼び止めた巡回中の警官に胸の中で舌打ちをした。
「なんですか」
「なんですかじゃないよ、こんな時間に何してるの。それ、澤野学園の制服だよね?」
 補導されてしまう。
 警官の物言いは比較的穏やかだが、言い逃げられそうもないことを予感する。補導自体は銀子は構わないと思っている。学校と親に連絡されるだけだ。そもそも金華の足枷である指輪を没収したのは学校の教師だし、ここぞとばかりに逃げ出した金華を連れ帰るようにと銀子に言ったのは他でもない母親なのだ。
 まずいのは補導されることによって、金華を捕まえるのが遅くなること。そう簡単に悪さをするとも思わないが、金華の性質を考えると百パーセントの補償はできない。

「こんな時間にひとりで何してるのかな?」
 警官はその場に乗っていた自転車を停めスタンドを立てる。
「少々取り込んだ事情がありまして、手短にすませて解放していただけると助かるのですが」
「そうは言ってもねぇ。取り込んだ事情ってなんだい?君、名前は?」
「……志田山銀子です」
「しだやま、ぎんこ、ね。変わった苗字だなぁ。学年とクラスは?」
「二年一組です」
 警官はポケットからメモを取り出し銀子の返答を書き込んでいく。
「担任の先生の名前は?」
 そういえば新任の教師にあまり興味を抱いていなかった銀子はすんなりと名前が出てこなかった。指輪を没収されたことも忘れてうっかり帰宅してしまうほどに。
「えー、確か……」
「竹川ですよ、お巡りさん」
 そう、竹川だ、と納得しかけて銀子は軽く息を飲んで振り返る。そこには担任の竹川がにっこり笑って立っていた。
「え?あなたが担任の先生?」
「そうなんです。塾の帰りに偶然行き合わせたので、これから自宅に送っていくところだったんです。さっきすぐそこの交差点ではぐれてしまって探していたところで」
 竹川はそう言ってさりげなく銀子の前に立つ。
「彼女の親御さんにも言っておきますよ。塾といってもこの時間は遅いですからね、女の子なんだし迎えなり来てあげないと」
「そうかぁ、先生も大変ですね。じゃあこの子、送って行ってあげてくれますか」
「はい、最初からそのつもりでしたから」
「なら頼みます。私は見回りがあるので」
「ご苦労様です」
 巡回の警官は自転車のペダルに足をかけ、キシキシと音をたてて漕ぎながら銀子から離れていった。

「……金華」
「わ、バレてたのか?」
 竹川の顔をした金華は先程までの落ち着いた雰囲気を崩して銀子に振り返る。竹川の風貌と内心を隠さない金華の動作はチグハグだ。
「バレバレです。逆にバレてないと思うあなたのほうがどうかしていますよ」
「でも助かっただろ?」
「……礼は言いませんからね」
 竹川の姿はもうない。その代わりに銀子の足元を一匹の猫が素知らぬ顔で歩き、銀子を見上げてくる。
「礼は期待してない。お説教は覚悟してる」
 猫が人間の言葉でそう話した。
「だったら最初から逃げ出したりしないでもらいたいものです。今頃はお爺様にも話がいってますから私ではなくお爺様に叱られるんじゃないですか」
 銀子は塾になど通っていないし、あの場を取り繕うための金華の嘘だ。金華から血の匂いがしないので酷い悪さをしていたわけではないようだが。
 やれやれと溜息を吐いて、銀子は金華と共に帰途についた。



 一方、澤野学園の職員室では竹川が居残りで明日の小テストの作成をしていた。辛くなってきた右肩の凝りをほぐそうと右腕を回したりしてみる。その時、慌ただしく走る靴音に何事かと腰を浮かせた。とっくに日も暮れて生徒が居るはずもない時間だし、残業しているのは着任したばかりで少し作業に慣れていない自分だけだった。
「竹川君!」
「校長?お帰りになったんじゃなかったんですか」
 時間を考えて校長がここにいるのは普通ではない。それは校長の表情からも窺える。もしかして生徒に関する事件でも起きたろうか。
「君、竹川先生。志田山君の指輪を没収したというのは本当かね!」
「指輪……ああ、そういえば確かに取り上げましたが、なぜご存知なんですか」
「志田山の家から電話をいただいたのだ。いかん、いかんよ。君……あ、あの指輪は没収しちゃいかん」
「いかん?しかし、校則にもある通りアクセサリーは禁止です」
「違う違う……。あの指輪はそんなんで着けとるんじゃないんだ。そうだ、今日は猫の鳴き声は聞こえとらんかったか?」
「そういえば鳴き声が聞こえましたが……猫と指輪が何の関係があるんです?猫なんて野良でも飼い猫でもどこにでもいるでしょう」
「志田山君の家は大正の頃からこの辺りに住んどる。この学校も代々通ってもらって付き合いが長い」
「はぁ……」
 それが一体何だというのだろうか。
「分からんか君には……。しかし言っておくよ。明日の朝一番に志田山君に指輪を返すんだ。そしてもう二度と没収しちゃいかん……あれは志田山君が身に着けておかなければいけないんだ」
「はぁ」
「納得はしてくれんでもいいが、竹川先生もなるべく早く帰った方がいい」
 校長はもうこの場を辞したいと言わんばかりで落ち着きがない。
「猫の声には気をつけるんだね。私の死んだじいさんの話だが……この学園の裏山にはじいさんが生まれる前からずっと生きとる猫がおった。猫がそんなに長く生きるはずないが、子供の時には裏山には入るなとそれはもうきつく言われたそうだ。悪戯心を起こして裏山に入った人間は」
 そこで校長は息を止めて妙な表情をした。
「人間は?」
「帰ってこん。帰ってくるとしたら骨だけになって帰って来る。」
「骨?」
 想像していなかった不穏な言葉が出てきて、自分が妙な顔をしてるだろうと竹川は思った。
「そうだよ、骨だ。化け猫に食われたんだと大人の皆が言ったそうだ。それを志田山家が封じてくれたのがあの指輪だ。それ以降裏山には子供も大人も自由に遊びに入れるようになった」
「封じるって、あいつの家は霊能者でもやってるんですか」
「霊能者かどうかが関係あるか?関係ないんだよ。志田山家がこの土地に来て、裏山に入ってから化け猫は出ないようになった。……結果論だがね。しつこく言うが気を付けたまえ、志田山君が指輪を着けていないということは例の化け猫が野放しということだ。指輪は明日、早々に返すように」
 まだ四月の終わりで暑くもないはずなのに、ハンカチでこめかみの辺りを拭きながら校長は竹川に背中を向け、暗い校舎をいそいそと戻っていった。
 一人残された竹川は釈然としないながらも、猫の声が聞こえるとドキリとして業務を早々に終わらせ帰宅した。翌朝、登校してきた志田山銀子をこっそり呼び出して指輪を返却したのは勿論である。

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