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第25週 歴史上の女性 鈴木 その子
はじめに
第25週目の歴史上の女性は美容研究家・料理研究家の鈴木その子さんです。
子ども時代
鈴木 その子(すずき そのこ)さんは1932年(昭和7年)1月20日山中荘能子さんとして、幅広く事業を営む父・山中力松氏と、母・末野さんの三番目の子として、東京目黒区にお生まれました。
株式会社SONOKOにある鈴木その子さんの生涯によると、
山中家は子供たち一人ひとりにお手伝いがつくような裕福な家庭環境だcつたそうです。
荘能子さんはお手伝いさんに背負われながら調理の様子を見ていたせいかもしれないそうですが、2歳になるとおままごとのかわりに実際に料理を始められたそうで、「4、5歳になった頃は、大抵のものが作れるようになっていた」そうです。
こうして幼児期に既に料理研究家の才能を見せておられたようです。
学生時代
山脇学園中学校・高等学校を経て、学習院女子短期大学食品化学科に進まれます。
同上の鈴木その子さんの生涯によると
短大で「栄養学概論」や「生理学」の授業に興味を持たれたそうです。
しかしすぐに、「食品のカロリー計算や栄養の分析など、世にまかり通っている栄養学とは、ただの分析に過ぎないのだということに気が付いた」と語られたそうです。
その子さんのは新しいものやオリジナリティを求めておられました。
しかしその新しさを求めることをその子さんは卒業すぐに行われたというのではないようです。
卒業後
学生時代のその子さんは、社会に出て仕事をしようとは思いませんでした。
明治生まれの母・末野さんも、当然のように「女の子はお嫁に行くのが一番幸せ」という考えの持ち主だったそうです。
ですから、親のすすめで事業家の鈴木康郎氏と見合いをし、短大卒業と同時に結婚されます。
以後、夫との間に一男一女をもうけ、主婦業に専念されます。
新婚生活では、持ち前のアイデアを発揮して、夫を驚かせることもたびたびだったそうです。
また行儀見習いとして預かった住み込みのお手伝いさん達のことも、本気で可愛がられたそうです。
行儀作法から学問まで教え込み、良い縁談を見つけて、嫁入り道具まで揃えてやるなど、面倒見の良さを発揮されたそうです。
レストラン経営
そうした暮らしに転機が訪れるのはその子さんが42歳の時でした。実母に続いて、実父を亡くしたことがきっかけだったそうです。
その子さんは譲り受けた遺産を元手にまず1974(昭和49)年7月、銀座6丁目に新日本料理「トキノ」をオープンさせました。
そのこさんは子ども時代から料理好き、そして人を喜ばせることも好きおと言うことで、起業するならレストランだったそうです。「これは私の進むべき道で、これこそ私の天職なのだ。今までの人生はこの日のための準備期間で、これから私の本当の人生が始まるのかもしれない」と当時その子さんは思われたそうです。
お店の評判は上々でした。
鈴木式ダイエット法開発まで
1976年(昭和51年)、拒食症を患っていた息子さんが、ベランダにいたところ突然倒れそのまま転落死してしまいます。
料理研究家が料理で息子を救えなかったと後悔したこと。
そしてお母さんの末野さんが、美食による肥満から生活習慣病(動脈硬化)となり、没されたこと。
こうして誤った食事が原因で、最愛の人を失ってしまった。という後悔がその子さんを料理と健康を通して、人々の生命を救っていきたいという強い気持ちになりました。
こうしてレストラン「トキノ」の看板をリニューアルして、お店ではお客様にダイエットの指導をし、効果を聞きながら、一心不乱に働きました。
すると、みるみるやせていくお客様が続出します。
効果に確信を得たその子は、永年独自で考案した鈴木式の食養理論と調理方法を出版されます。
この「鈴木式ダイエット法」を1980年(昭和55年)に本にまとめた「やせたい人は食べなさい」がミリオンセラーとなりました。
その子さんは80年代特に1982(昭和57)年には野菜菓子に関する製法特許を取得し、1985(昭和60)年には通信販売も開始されてますます事業を拡大されます。
美容研究家として
90年代には自分の思う理想の化粧品づくりを目指そうと1990(平成2)年にはスキンケアライン「トキノコスメ」を、1999(平成11年)には「荘シリーズ」を発売されます。
1998(平成10)年、その子さんは、TBSの「未来ナース」というテレビ番組にレギュラー出演されます。
渋谷などにいたガングロ(顔黒)の女の子達を、お姫様のように白く変身させるコーナーでその子さんの名前が広く知られるようになりました。
このビデオの13分ごろからその子さんのお姿を見ることが出来ます。
その子の顔の白さを強調するライティングは、「鈴木その子=白肌」というイメージを広く定着させることにもなりました。
この番組に出演され、その子さんは、番組で出会う女の子達の肌の汚さに大変驚かれたそうです。アトピーだったり、シミだらけだったり、キメがとても粗かったり…。かつて間違ったダイエットが蔓延していたように、誤った美白法や美容法を鵜呑みにした結果ではないだろうか。もっと自分を大切にしてほしいと思ったその子さんは更に、肌をいじめず内側から美肌をつくる「美容理論」の普及に力を注いでいかれたそうです。
ファッションデザイナーとして
1999年(平成11年)3月のイレウス発症を機に体調を崩し気味になられたそうです。
同年ミスワールド フランス代表選考会において特別審査委員長を務められます。これは日本人初だったそうです。
この頃その子さんはやせている人はより素敵に、太っている人もやせたように見えるファッションに挑み続けておられました。
2000(平成12)年秋のパリコレへ出品します。すると、そのデザインが、注目すべき4ブランドのひとつを意味する“エヴェヌマン”の称号を獲得されます。
また、パリ市に貢献した功績を称えられ、“ヴェルメイユ金メダル”の栄誉を受けられました。これも日本人初だったそうです。
急逝
同年11月下旬に風邪をこじらせて入院して1週間後、肺炎のために急逝されます。68歳でした。
亡くなられる12日前にはテレビ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)に出演しておられ、その子さんの死亡2日後の放送ではその事実が伝えられたそうです。
鈴木その子さんの著書
鈴木その子さんは以下の著書を出版されています。
鈴木式・食べ方の処方箋 成人病からドカ食いまでを治す調理のコツ(発行:祥伝社、ISBN 4-396-10265-8)
鈴木式の極意 トキノダイエット(発行:祥伝社、ISBN 4-396-10348-4)
マンガでバッチリ!!鈴木式ダイエット(発行:祥伝社、ISBN 4-396-10362-X)
過食・拒食からの脱出 トキノ会10万人のデータからの処方箋(発行:祥伝社、ISBN 4-396-10373-5)
鈴木その子のDQ やせる法則がわかった!(発行:祥伝社、ISBN 4-396-10396-4)
キレるキレないは「食」で決まる(発行:祥伝社、ISBN 4-396-10398-0)
その子の美容革命 白肌は絶対おトクよ!(発行:祥伝社、ISBN 4-396-10402-2)
やせたい人は食べなさい 決定版(発行:祥伝社、ISBN 4-396-31126-5)
鈴木その子のおしゃれレクチャー(発行:KKベストセラーズ、ISBN 4-584-01059-5)
鈴木その子のキレイになれる美造講座(発行:小学館、ISBN 4-09-397412-8)
鈴木その子のこれが究極!食べてやせる料理(発行:小学館、ISBN 4-09-397413-6)
カロリーなんか忘れなさい 完全版(発行:祥伝社、ISBN 4-396-31279-2)
その子(発行:新潮社、ISBN 4-10-443601-1)
その他
2000年(平成12年)に講談社の月刊少女漫画雑誌『デザート』において、『鈴木その子物語』(漫画:寄田みゆき)と言うタイトルで彼女の半生が描かれた漫画が掲載され、単行本も発売されている。
ここでも参照した詳しい鈴木その子さんの生涯は会社のHPをご覧ください。
鈴木その子の生涯 | SONOKO公式オンラインショップ
めぐめぐがすごいと思う鈴木その子さんのこと
140代まで起業されるということは全くなかったのに、お父さんの急死により起業され、事業家として素晴らしい才能を開花されたこと。
2ご家族の急死から食べるという食事療法を完成され、多くの間違ったダイエットから人々を救われていること
3そしてパリコレに作品を出品され、日本人初の賞を受賞されているなど
大変多才であられたこと
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