障害とともに生きる私の、魂と肉体

魂と肉体、どちらを優先して生きてきたかと言われると、肉体と答える。
もちろんそうではないこともあったけれど、私はほとんど無意識に私の身体を常に気にしている。車いすでも行けそうなところ、脳機能に障害があり手足や体幹に麻痺があって、マルチタスクと整理整頓が絶望的で、人より体力が少なくてもできそうなこと。
こんな発想になるのはある程度仕方ないような気がしてくる。現実問題としてできることには限りがあるし、普通の人と100%同じ生活、例えば同じ時間で同じだけ仕事をこなすとか、階段しかないお店に一人で入るとか、ヘルパーさんを入れずに暮らすとか、挙げればきりがないけれど、同じにはなれない。
それを受け入れることはとても苦しいし悲しいし、辛い。もういいよ、と拗ねてしまいたくなることだってたくさんある。あまり大声では言えないし、これを口にすると自己嫌悪に陥るからあまり言いたくないけれど、私は少し疲れていたり困難にぶち当たったりすると、「健常者だったら良かったのに」と言いたくなってしまう。障害の特性を説明し「そんなこと気にしなくていい(気にしすぎ)」「個性だ」「みんなある」とか言われてしまった日には悲しくてやりきれない気持ちになる。確かに結果的に「みんなある」ような言葉に落ち着いてしまうかもしれない。でもそこには困難さが付きまとう。例えば私の場合、整理整頓をこまめにしようと思っても、他のタスクが多くなると優先順位を下げてしまい、タスクが増えて下げた優先順位に取り掛かれる頃、また別のタスクが降りかかり、それを繰り返している間にどんどんものが増えていき、気づいたときにはもう手が付けられなくなっている。はじめの一歩である優先順位を付けることも苦手なため、何月何日まで、という明確な期限がある作業でないと取り掛かれないことも多々ある。これを解消するには、他の人に作業量や進捗の管理を一緒にしてもらうか、作業自体を減らして一つずつ確実にこなせる環境を整えるしかない。そしてそのためには私の頭の中で起こっているこの現象を周りの人に伝えて理解してもらい一緒に行動に移さなければならず、言葉の選び方に苦労したり(私は言語化も苦手である)、うまく伝わらないことで傷ついたりする。
正しく自分の特性を理解できるようになるまではそれが何故起きているのかわかっていないから周りと同じになれない自己嫌悪を感じるし、ある程度理解してからだって、対策はできるけれど、気力や時間と時には体力がいる。それを捻出し続けるのは大変なことで、それを私のことをよく知らない人たちに(その人達だって別に悪意があるわけではなくむしろ励ますニュアンスで言っているのも重々承知だが)、みんなあるとか言われてしまっても、落ち込むしかない。
日頃の辛さを吐き出すように書いてしまったけれど、私は障害を理由として何かを諦めてしまう考え方があまり好きではない。どうしても卑屈になりがちだし障害を恨んだからといって障害が消えるわけでもないからだ。でも現実には私は無意識のうちに障害を意識して物事を選択し決定する。この矛盾に気づいたとき、私はあきらめるような気持ちになった。いくら障害があっても普通に生きている、やりたいことをやっている、と言っても私の意思決定には程度に差こそあれ障害が密接に関係する。つまり魂と肉体はどうやっても別個には考えられない、ということだ。

ところで、今までの私の人生には明確な目標があった。
中学生の時は、通っていた特別支援学校ではなく普通の高校に通うこと。
高校の時は一般企業に就職し、経済的に自立すること。
就職後は、一人暮らしをすること。
学生時代から一貫して、「普通の人と同じような生活」を目標としてきた。
そして、幸運なことに(もちろん私自身が努力してきたこともあるけれど、今の生活は7割くらい運でできている、と私は思っている)、それらを達成してきた。でも満たされないのだ。贅沢だと思われるかもしれないが、一直線に歩んできた道のりを振り返ると、もうちょっと遠回りしてもよかったかもしれない、と考えることが増えたのだ。
例えば就職。私は手足に障害があるから事務職以外は難しいだろうと、公務員やそれに似た一般事務しか探していなかった。でもひとくちに事務職といったところで、膨大な種類があることを私が知ったのは、就職した後色々な人に出会ってからだ。進学だってそうだ。大学進学を両親や学校の先生に勧められても、早く自立したい一心で就職を選んでいた。今考えると選択肢としては面白いものだ。誤解しないでほしいのは、今現在後悔しているとかいうことではなく、当時の状況を私なりに考えた結果選択してきたことだし、過去選択してきたからこそ今があると思っている。
けれど、最短経路を選択したがゆえに選択肢を増やすとか、ちょっと興味のあることをかじってみるとかそういうことをおろそかにしてしまった実感がある。興味が持てることがなかった、わけでもなく、とりあえず確実そうな選択肢を選び続けた。
なぜ最短経路を選択し続けたのか。一瞬でも気を抜いたら自分の選びたかった自立が遠くなる、と感じたからだった。大学に行くには奨学金を借りなければ。奨学金を借りて大学に行ったところで卒業した後返せるだろうか。就職は狭き門だ。ならば高卒で就職した方が。
そんなことを考えているうちに就職先が見つかり、苦労しながら働いているうちに家が見つかった。やりたかったことはすべて達成した。でも、私はこれからどうするんだろう。
普通の人と同じように働ければ、生活できればいいと思っていた。でもそれはとても難しいことだった。私は障害があっても普通に暮らしているけれど、その普通は健常者と呼ばれる人たちとは違うものだ。リハビリや薬の処方のため病院には最低でも月2回行くこと、普通の座っている姿勢でも体に負担がかかり、適度に車いすのリクライニング機能などを使って身体にかかる重力を分散したいこと(それをするには動線に余裕のあるスペースや時間が必要なこと)、ヘルパーを付けながら生活を送っているため、その時間を考えながら予定を組むこと。これ以外にもたくさんあるけれど、それらを全部考慮した暮らしは物理的にも精神的にもとても難しい。私自身の理解だけではなく、時には職場など周りの人に理解を求めていくことも必要になる。
障害は私の全部ではなく、私の一部だ。でもその“一部”は私の意思決定に影響を及ぼしていて、その影響による考え方が私のコンプレックスになっている。いちいち障害のことを考えてしまうのは、仕方のないことだとしても私の心を毛羽立たせる。これは一生付き合っていかなければいけないことだけれど、時々途方もない気持ちになる。でも私は生きていくのだ。この魂と肉体を抱えて。それは今の社会では簡単なことではないと思う。普通ではないことを恨んでしまうような日もきっとある。でもそれもまた私の一部だ。私は私を否定することなく、できるだけ悲しくならないように、生きていきたいと思う。
そのために頑張ってきたのだから。

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