主役になれなくても、心躍る瞬間はつくれる
思い返してみると、主役になれない人生だったな、と思う。
子どもの頃から、なにか創ったり、表現したりすることが好きだった。
でも、絵の具づかいが絶望的に下手だったり、とにかく音痴でリズム感がなかったり、散々だった。
「好き」と「得意」はまったく別なのだ、と人生の割と早い段階で気づいてしまったように思う。
「大きくなったら、なにか変わるかな」
そう期待したものの、高校生や大学生になっても、自分が憧れるものには、ほとんど手が届かなかった。
それどころか、日々の生活を保つためのアルバイトすら、続かなかった。
そんな自分が、はじめて続いたことがある。
それが、クラウドファンディングサイトのキュレーターの仕事だった。
クラウドファンディングは、インターネット上で自分のやりたいことをプレゼンテーションして、それに共感した人から資金を募る仕組みだ。
その中でキュレーターが担うのは、何かに挑戦したい人に伴走して、企画のブラッシュアップや広報など、資金を募るサポートをする役割。
キュレーターを卒業して、もう2年以上経つのだけど、いまだに当時大切にしていたことを覚えている。
それは「誇りをつくる」ということだった。
わたしは「ただお金が集まれば、なんでもいい」とは思えなかったのだ。
資金を募るためには、自分自身で活動を発信したり、時には周囲の人にさまざまなお願いごとをしたりする必要がある。
それって、初めての人には、ちょっとハードルが高い。
自分のやりたいことが成功するのか、お金が集まるのか、まわりから応援してもらえるのか・・・。不安は尽きない。
そうすると、本当は、誰よりも、自分の活動に意義を感じているはずなのに、挑戦する意味すらも見失ってしまうことがある。
それって、すごく、哀しいと思う。
本当は、なにかに挑戦すること、それ自体がかっこいいはずなのに。
いいところって、自分自身では気づかないことも多い。
わたしは第三者だからこそ、その人自身の魅力や活動の価値を見失わず、ずっとそばにいられると思った。
何より、なにかに挑戦する名もなき人たちに光を当て、価値を再定義することが、たのしかった。
主役になれなかったわたしは、自分が黒子となり、ほかの誰かに光を当てることに喜びを感じたのだった。
主役になれなくても、心踊る瞬間はつくれる。
おわりに:社内部活動でnoteを更新しています。今週のお題は上の写真からインスピレーションを得ること。わたしは「心踊る瞬間」と捉えました。