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小説の舞台に惹きこまれた旅
先に映画を観たのか、
それとも小説を読んだのか
もう覚えていない。
あれはわたしがまだ大学生だった頃、
大きく心を揺さぶられる作品に出会った。
「冷静と情熱のあいだ」
世にはこんな恋愛があるのだなあ
冷静と情熱のあいだには一体なにがあるの
イタリアにはどんな景色が広がっているんだろう
わたしは物語のすべてに魅了された。
あれから何度読み返し、観返したことだろうか。
その小説の舞台をいつか自分の目で確かめたいと悶々としていた。
そして2016年夏、
私は新卒で入社した旅行会社で当時から目をつけていた「激安イタリア添乗員同行ツアー」にひとりで参加した。
一回り年上の添乗員さんとは、とあるきっかけで私が元社員だと明かすと妙に打ち解けてしまい色々と助けてもらった。
余談だけど実はこの添乗員さん、出発初日にツアー客のひとりから“態度が悪い”と本社にクレームが入っていたらしく、そんなぶっちゃけ話をこっそり教えてくれて私はなぜか相談役となっていた。
まさか、夢にまで見た場所へ来てまでも、現実が突き付けてくる誰かの生きることのハードさとこんな形で出くわすとは思いもしなかった。
小説のあとがきを思い出す。
人生というのは、その人のいる場所にできるものだ、という単純な事実と、心というのは、その人のいたいと思う場所につねにいるのだ、というもう一つの単純な事実
「あなたみたいな感じのいい子は本社にはひとりもいなかったよひとりも」
そう言われたことをずっと覚えている。とてもうれしかった。
そう、私もこわかった。
あの都会の真ん中にそびえたつビルのなかで、すれ違うだけで殺気立った様子の社員さんを敏感に感じとっては「あ。私ここで生き残るには弱すぎる」って思った。
だから辞めたのだと、そんなエピソードを明かしたら
「でもこのツアーにひとりで参加できるんだからいい度胸してるわよ」と褒められた。うむ、そういうことにしておこうか。
そんなこんなで名所を余すことなく組み込んだ約10日間の行程のなか、数時間だったり一日だったりぽっかり空いた自由時間でわたしは入念に調べ上げたロケ地を訪れた。
数々の伝説のシーン
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「順正」
小さな声でつぶやくと、その言葉は台所に途方もない違和感をもたらした。
途方もない違和感と、
雪崩のような懐かしさを。
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~カエルの庭で手紙を読むあおい~
最後に、君が幸せでよかった。
遠い、ミラノにいる、あおいへ
今はもう、別々の人生を歩いている、順正より
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~ダニエラの結婚式~
「幸せに暮らしてるわ」
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~順正がうなだれてた場所~
時は流れる。
人は不意に記憶の源に戻りたいと涙ぐむことがある。
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~「来ちゃった」~
自分の人生においてこれほど重大な出来事が起こっていても、
ドゥオモの頂上は世界で一番のんきな風が吹いていた。
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~運命の再会を果たした後、展開されるぎこちない会話~
「来て悪かったみたい」
「そうじゃないよ」
「困ってる」
「戸惑ってるんだよ。”戸惑う”わかる?」
「いいの 私も同じだから」
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鳥肌が立つ景色。この街はいつだって光が降り注いでいる。
私が憧れた場面が目の前に広がる。
近代的な高層ビルはどこにもない。
京都にだって新しい建物はいくらでもあるのに。
でもここはごらんの通り、中世からぴたりと時間を止めてしまった街。
高い税金のほとんどが街や美術品の修復に充てられる。
修復してもきっとまた次から次へと老朽化していく。
それでもまだあの頃を大切に留めている街。
冷静と情熱のあいだに最もふさわしい舞台。
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過不足なく流れるほぼ完ぺきな日常。
そのなかで決定的に欠けているものがひしひしと伝わってくる。
ああ。この人はこの日常よりも欲しいものがあるのだなと。
忘れなれない恋ってものすごく甘美な響きだよな、まったく。