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国策と生きた技術者 ー祖父ー
🍀 まるでドラマのような三代記
🍀 国策と生きた技術者 ー祖父ー もくじ
<1章>朝鮮総督府時代 (2)
朝鮮総督府での職務
祖父は、明治27年(1894)、大分県に生まれ、大正5年(1916)に旅順工科学堂電気工学科を卒業後、朝鮮総督府逓信局に就職します。
朝鮮総督府逓信技手に任命されますが、職歴を見ると、郵便局、警察部、逓信分掌局の異動を繰り返し、昭和15年までの23年間を各地で職務に励みます。
インフラの整備をして朝鮮半島の近代化を図り、暮らしやすく、安全な統治をするための職務だったと思います。
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昭和10年(1935)に「勲五等瑞宝章」、昭和15年(1940)には「勲五等雙光旭日章」を受章した祖父は、同年に朝鮮総督府逓信局依願免本官とし、同時に、国際電気通信株式会社に技士として入社して京城支社工務課長に任命されます。
逓信局技士として行ってきた最も大きな事業は、昭和11年(1936)の「日満長距離無装荷ケーブル」の施設工事で、大きな功績だったと思います。
朝鮮総督府退職に当たっては「金二千六百圓」が賞与された書類が遺されていました。
祖父は、国策として設立された国際電気通信株式会社で、技士としての新たな歩みをはじめます。
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