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運のいい人、運の悪い人ー父ー

🍀 まるでドラマのような三代記
🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ


<2章> 園芸資材の輸出   (6)


   イギリス王室園芸協会への輸出①

終戦後、祖父や家族が住む八ヶ岳山麓の開拓地に移り住み、大学卒業時の若さで起業した父です。
高冷地での換金作物は限定され、時代が求めているモノへのアンテナを伸ばして、情報に接していたようです。

カラマツなどの木材の販売、有用植物の採取販売(薬用植物や種子の卸売り)を地元の現金収入につなげていたところに、思いがけず、イギリスの洋ラン栽培に使う園芸資材の採取の要請が来ました。

当時、イギリス王室園芸協会では、良質な洋ラン栽培用の園芸資材を探していて、日本の産地開拓を求める大使館からの情報だったようです。
父が「家を代表してはじめた」と言うように、輸出の仕事は父の起業と結びつき、親族の中で自然に引き受ける流れになったそうです。
父の母方の曽祖父は山口県出身で、イギリスに渡り「大英帝国」を執筆し、帰国後、「日露戦争実記」を書いたジャーナリストでした。
出版社の傍に住み、亡き後も曽祖母の元にそのコミュニティが残ったことで、政治家や大使館との交流がつないだご縁です。

イギリス王室園芸協会から依頼された輸出先は、イギリスだけでなく、ホノルル、オーストラリア(ブリスベン港)、シンガポール、その他の熱帯植物園で、乾して梱包したものを船便で運んでいました。

輸出をしていた頃の名残は、使い込んだ英和辞典とタイプライターで、恐らく、各地と文書のやり取りをしていたのでしょう。
この英和辞典は、父が大学に進んだ時に購入したようで、7年間に96版という増刷数です。
こうした数字を見ると、戦前、日本の中に急速に英語の辞書が浸透していたのでしょうか。
開いてみると、いろいろな文例まで載った丁寧な内容で、小さな小さな文字を追って真摯に英語を学んだ人々に想いを馳せています。

「研究者新英和大辞典」昭和11年3月1日初版
               昭和18年3月1日第96版発行
定価金 7円



  👉 イギリス王室園芸協会への輸出②


    

















    

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