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#6 食べ物との和解

調べればわかるのに、全く調べずに(たぶん炊飯器にも説明書はあったのかもしれない)行動する私でしたが、それ以上に問題だったのが、自分自身の見た目へのコンプレックスでした。

『痩せていなければ、可愛くない』

という思い込みが激しく、痩せていなければ愛されないとさえ思い込んでいました。
大好きで付き合っていた彼氏に振られた時も『自分が太っているからだ』と思い込み、食べる事が悪のように感じていました。
いわゆる摂食障害ですね。

実家には食べ物が売るほどある為、食べ吐きをする過食症になりました。食べては後悔して吐き、そして罪悪感に苛まれて、それでもお腹は空くので、また食べて…の繰り返し。それがだんだんと日常になって行くと、今度は不眠症に陥り、眠れない夜は食べ物の事ばかり考えてしまい、そんな食い意地の張る自分が本当に嫌いになっていきました。

自暴自棄になり、心配する両親ともうまく接することができず、食べ物に溢れている実家の環境のせいにしていました。情けないとは思いつつ、どこかに責任転嫁をして過ごすしかなかったんだと思います。

さて、摂食障害からどうやって脱出したか…。

ひとつには、実家を出たこと。
食べ物に溢れる環境から脱出した、というより自分で料理を作るようになって、食べ物への感謝が足りなかったことに気がついたからです。

何も考えずに食べていたものは、どこかの誰かが愛情を込めて育てた食材を、両親が美味しく、健康も考えて作っている。

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そんな当たり前のことに気がつかなかったのです。

もうひとつは、自分で作る事で安心して食べれるということでした。もちろん両親の作るご飯はとても美味しいのですが、どんな材料が使われているかなど、全く興味を持たなかったのです。

材料も調味料も自分で選び、そして、自分で食べるということは、全て自分へ返って来ることでした。

人間の身体は、食べたもので出来ている。

そう気がついてから、だんだんと、本当にゆっくりとでしたが、食べるという事が怖くなくなったのです。

苦手だった料理を克服するというより、弱り果てた自分の身体への回復食を作っていたよう思います。
それからは沢山のレシピ本を買い、作り、食べているうちに、ひとりでは食べきれなくなり、友人にお裾分けをしていました。
彼らは、つい最近まで料理なんて出来なかった人間の料理を「美味しい」というのです。
それがお世辞だということも分からず、私はそれを信じ切って、料理を作ることへの喜びを覚え、それまで働いてたアパレルの仕事をあっさり辞め、カフェのキッチンで働くようになりました。

それからはもう、料理の道にはまって、カフェご飯では物足りず、もっと本格的な料理を!と思い、イタリアンレストランで働きはじめ、イタリアの郷土菓子や料理を学んでいるうちに、イタリアへ行きたい、旅行じゃなくて、住んでみたい…と、どんどん私の野望は広がり、本当にイタリアに住んで働くまでになったのです。
(若いってすごい、今の私にはこんな行動力ないな…)

イタリアは約2年、主にフィレンツェのレストランで働きました。メディチ家が築き上げた素晴らしい建造物や歴史やアートの街で過ごせたのは、本当に貴重な経験だったと思います。今回制作した絵本はそのフィレンツェの風景が、とても色濃く出ているのも見所です。

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