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【徹底考察】壮大で美しい歌には影があった「美女と野獣」の歌詞について

「美女と野獣」に潜む天才カリスマ作家の苦悩と悲劇


のちにプリンセスになるヒロインと野獣の姿に変えられたプリンスが大階段からゆっくりと大広間に降りてくる。
二人の様子を天井に描かれた天使がまるで見守っているかのようにそっと覗いている。
二人は夜空のたくさんの星たちに導かれながら踊る。

これ以上の最高なシーンは今後絶対生まれてこないだろう。
幼稚園児の頃の私は食い入るように何度も観ていました。
大人になった今でも性格に凹凸があったベルと野獣が内面でも磨かれていく成長物語として観ることができます。
年齢問わず世界中から愛される傑作です。

美女と野獣も原作があってディズニーがリメイクしたものです。
このような華やかで美しい大作にも、我々一般人には想像できない作り手のバックグラウンドがあります。

このドキュメンタリー映画と特典映像を観たら切なくなって辛くなりました。
でも幼いころからずっと大好きだったアニメの裏側を知れてよかったと感謝の気持ちと同時に観たままではいられなくなってしまいました。
ちょっとこれは素通りできない。

ドキュメンタリー映画にある通り、「美女と野獣」の製作総指揮だったハワード・アッシュマンはこの作品の完成を観る前にエイズで亡くなってしまいます。
「美女と野獣」はロマンスアニメと同時にハワード・アッシュマンの遺作です。
そしてこの作品の歌にはハワードの人生そのものを投影して表現されている歌詞がいくつかあります。

事実この作品のところどころの歌詞には、以前のディズニー作品では決して出てこないであろう単語や言い回しが隠されているんですよ。

ではどの歌のどこの歌詞の部分に隠されているのか。

この記事では「美女と野獣」の挿入歌の歌詞に込められた意図を主の目線で掘り下げています。



Belle Reprise

最初はこの曲。
ベルがガストンを振って丘の上で思いの丈を叫ぶ歌です。
この歌詞はちゃんと調べて訳すと以前のディズニープリンセスではあり得ない強気な言葉で綴られてるんです。

けど物語の背景とは別に特別な思いがこの詩に込められています。
他のプリンセスソングとは真逆なこの歌には裏に作り手の意図がちゃんとあるんですよね。
英語詩の下の()は実際にディズニープラスで日本語翻訳された訳を記載しています。

“Madame Gaston” Can’t you just see it? “Madame Gaston” His little wife.
(「ガストン夫人」想像できる? かわいい妻に魅力がある?)

No,sir,not me,I guarantee it. I want much more than this provincial life.
(ごめんだわ、そんな平凡な生活。もっと胸躍る生活を見たい。)

I want adventure in the great wide somewhere. I want it more than I can tell.
(狭い町を出て冒険をしたい。私の心がそう叫ぶの。)

And for once it might be grand. To have someone understand.
(どこかにいるはず、私を理解してくれる人が。)

I want so much more than they’ve got planned.
(それが夢でも私は夢を見てみたい。)

ここの歌詞は英文をちゃんと訳して単語を調べると結構思い切った歌だとわかります。
「Bell」の歌詞によく出てくる「this provincial life」。
provincial」は軽蔑的な意味で「田舎くさい」の他に「(人や考えが)偏狭な、偏屈な」という意味も含まれているんです。
this provincial life」と歌わせるということは、のちにプリンセスになるヒロインが今住んでいる村と村人を見下していることにさせてしまいます。

ウォルト時代のプリンセスはそんなことは絶対しません笑
陸に行きたいアリエルもお父様や他の人魚達をけして馬鹿にすることはありませんでした。
この表現だとディズニープリンセスのイメージが悪くなるだけです。

「I want to live a more exciting life」や「I want to leave this village」など別の表現でもベル自身の暮らしを変えたい思いは伝わります。
それでもあえて「provincial life」と表現しました。
なぜか。

それは大学を2回も行き直したハワードの若かりし頃の自分を表現したかったからです。

実はハワードは3つの大学に進学していました。
最初はボストン大学に進学できていたのですが1年で通うのをやめて中退してしまいます。
次に成績評価がないゴダード大学に改めて進学。
ゴダード大学を卒業したら最後はインディアナ大学のプロの劇団に所属して卒業します。

一般の学生は社会に出る前に2回も違う大学へは行きません。
ものすごくモチベーションを保っていないととてもできないです。
しかも最初に進学していたのは世界の中でも超名門のボストン大学。
名門大学を出ていれば卒業後の就職先の選択肢がかなり大きく広がるはずでしょう。
有名企業や安泰できる職種に就ける道を彼はそこにはいかねぇよと蹴って中退するんです。

まるでガストンを振って丸太を蹴っ飛ばすベルのようです。
自分は普通の社会人人生では満足できない。
安定したキャリアを築く必要はない。

そしてこの歌の「No,sir,not me,I guarantee it.」という部分。
ここをGoogleで直訳してみます。

いいえ、あなた。私ではありません。私が保証します。」となります。

ここの直訳だけ見ると、ベルがあまりにもいじっぱりで引いちゃいますよね。強い確信や根拠がないと保証するなんて言えません。

この直訳だと
ガストン夫人なんて私には似合わない。
だって私にはガストンとの結婚生活以上の人生が待っているから。
それ以上の幸せがあると自分自身で保証しているのよ。
とベルが歌っていることになってしまいます。

ってちょっと待って。
ベルはなんでそこまで自信ありきなの?
ベルって何か強い長所があったっけ?

ガストンのことが嫌いだとしてもちょっとこれは言い過ぎです。
これではこの作品を観ている人は主人公に対して疑問と嫌悪を抱いてしまいます。

ハワードはベルを尖らせるために「I guarantee it」と言わせている訳ではありません。
普通の社会人人生を送るのではなく自分がやりたい演劇界に行ってやる。
昔から舞台や歌を書いてたんだ。
その道で成功してみせてやる。
演劇をやると決めた大学時代の頃のハワードの思いを表現したかったからです。

ドキュメンタリー映画では、ゴダード大学に行ってから幼いころから大好きだった演劇をたくさんするようになったとの事、彼のご家族の証言があります。

素晴らしい広いどこかで冒険をしたい。
そう歌詞に綴るほど当時のハワードは志高かったのです。

村で生活していたベルはボストン大学時代のハワードそのものではないでしょうか。

私はこの歌を以上のように深掘りさせました。
実際にベルの性格が気が強すぎて苦手という人も少なくないと思います。
でも作詞家自身の若い頃の想いが、この歌とベルに込められていると想像したら、彼女の気持ちが理解できて苦手意識が少しなくなるかもしれません。


Be Our Guest

次にルミエールとポット夫人が愉快に壮大に歌っているミュージカルソングの歌詞のここの部分です。

Life is so unnerving.
(人生は悲しい。)

For a servant who’s not serving.
(召使が召使でない時)

He’s not whole without a soul to wait upon.
(役立たずになった時)

Ah, those good old days When we were useful.
(昔は生き生きと働いた。)

Suddenly those good old days are gone.
(良き日々は突然消えた。)

この歌詞はこのように意訳もできます。

人生ってもんはとても恐ろしいもんだ。
ある一人の召使いが働いているところではないんだよ。
彼は彼自身が待望させられるような事が起きないともう回復しないんだ。
あゝ、私達が立派だった良き古き日々よ。
突然良き古き日々は消えてしまったんだ。

ここでいう「unnerving」は、気力をくじいて、やる気をなくさせるという意味の他に恐怖を煽るような意味合いも含むんです。
この歌を歌っているルミエールは、上記の歌詞の前までは「お気に召すままに〜!」とハイテンションでベルを迎えます。
けどいきなり「人生は恐ろしい…」と急に暗いテンションで上記の歌詞を悟るように歌うんです。

突然こんなにテンションが変わる歌なんてあり得ないし普通は作りません笑

全然知らなくて初めて観た人にとっては、この部分がわけわかんなくてポカーンだと思います。私も幼いころはここの部分だけ妙に不自然に感じていました。

また「whole」は「全て」「一体となった」という意味で使われることが多いですが、元気で良好な健康状態に回復するという意味合いも含みます。

あと「wait upon」は元は「wait on」で「wait on」を後のgoneと韻を踏ませる為にあえて「wait upon」と綴っています。
「wait on」は「(人に)仕える」や「(〜を)訪れる」の他に「(〜を)待望する」という意味を持っています。ここでは「待望する」という意味を持たせる為に「wait upon」と綴っていると考えています。

なぜわざわざこのような表現で詞を書いたのか。

でも制作の背景を知ると納得できます。
ハワードは「Be Our guest」のここの詞に死期が近づいている彼自身をそのまま投影させたんです。
彼が「美女と野獣」を制作する前から体力の衰えと死期が目前であることを実感していたからでした。

カッツェンバーグさんから「美女と野獣」の制作を依頼された時、ハワードはカリフォルニアへの移動は難しいどころか不可能なほどまでに体力が落ちていたんです。
ハワードはここでカッツェンバーグさんに自分はエイズの陽性患者であることを打ち明けました。
体力はどんどん落ちているが最後まで作品の制作に携わりたいと意志を伝え、カッツェンバーグさんにこうお願いをします。

「私が仕事の現場に向かうのではなく仕事の方が私の所に来てくれたらありがたい。」
「分かった。仰せのとおりにする。映画にも会社にも君が必要だ。」

オスカー受賞者の権力で制作陣は総動員でカリフォルニアからNY郊外へ大移動。
ハワードの家の近所に引越しして「美女と野獣」を作ることになったのです。
入院先のベッドの上でも電話で仕事をしていたほど死ぬギリギリまで制作に励んでいたとのことです。

ハワード・アッシュマンは最期まで仕事で生きる男だったのです。
もうリスペクトするしかないですよね。


The Mob Song

最後はガストンと村人達が野獣に立ち向かっていくシーンの歌。
この歌は主に野獣とこれから戦いに行く決意の歌です。
しかしこの歌も物語とはまた別に裏の意味も含まれている歌詞があります。
それはこの部分。

Something’s lurking that you don’t see every day.
(中に潜むのは魔性の怪物)

We don’t like what we don’t understand.
(誰もが恐れる未知のもの)

In fact,it scares us and this monster is mysterious at least.
(事実私達を恐がらせる 得体のしれぬ怪物)

今度はこの詩をGoogleで直訳してみます。

日常では見えない何かが潜んでいます。
私達は理解できないものは好きではありません。
事実それは私達を恐がらせているし、この怪物は少なくとも謎に満ちています。

この歌詞は1980年代に米国で大問題となったHIV蔓延を意図的に表しています。
「日常では見えない何かが潜んでいる。」なんて疫病以外に他に考えられますか?
まさにこの歌で当時のアメリカ世間一般の間でエイズ患者に向けた偏見があったことを表現しているんです。

当時のアメリカではエイズに感染した時の正当な治療法が開発されていなく、政府も感染の対策を怠っていた為、感染したら治らないとされていました。
国民はエイズの正確な知識も得られず、ゲイの癌など誤った認識も広がっていた。
この歌詞のとおり、全国民が見えない何かに怯えるのも当然です。

当時は無実で罪のない一般市民までもがニューヨーク市でデモを行っていました。
その様子の写真がバズフィードに載っています。

そうなんです。
まるでガストン率いる村人たちのようです。

ガストンって実はアメリカエイズ蔓延時にニューヨークでデモ参加していた無実な市民を表しているのではないでしょうか。

特典映像にもあるとおり、ガストンは真の悪人ではないように描かれています。
外見は普通の豪腕な男であり、村の主人です。
ガストンをあえてただの筋肉だるまにさせた一番の主な理由は、ベルと野獣の二人の間の成長過程をより強くみせる為なのでしょう。

でもガストンを普通の村人にみせることによって、この歌の意図的背景(ニューヨークでデモ参加する市民)とも一致させてくれるんです。奇跡的に。
ガストンって「美女と野獣」の村人でもあり、エイズ蔓延時にデモを起こした一般市民でもある。
二つの顔を持っていると捉えることができます。
そう考えるとガストンってすごくないですか?

ウイルスが蔓延してしまっている事実に対して、誰かを悪人扱いをしてはいけません。
誰のせいでもないのです。

ハワードはゲイであることを告白した後のディズニーの処置が読めなくて、自分がエイズ患者であることを最初は周囲に黙っていました。

やるせない疫病への怒りを詩にぶつけるしかなかったのです。


ハワードがディズニーの歌に自分を投影するようになったきっかけ


ハワードが「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」でブレイク後、彼の大学時代からの元恋人や多くの友人をエイズで亡くしてしまいます。
当時の彼はその悲しみを歌で表現していました。
その歌は「Sheridan Square」という歌で、この曲も作詞をハワード、作曲をアランが担当して作られています。

この動画はニューヨーク市マンハッタンのミッドタウンにあるStudio 54の地下の54 Belowという非営利団体のキャバレーでアランが「Sheridan Square」を歌ったものです。
唯一この動画が日本語字幕設定できるのでこの動画を載せました。

ハワードがディズニーの歌に自分の思いを綴るようになったのはこの曲を作るようになってからでしょう。

またドキュメンタリー映画にある通り、「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」製作時のインタビューで彼はこう語っています。

「脚色というのは何かを読んで、自分の言葉で語ること。自分の目で読んで感じたことを伝えることだと思う。つまり自分の体験を人に伝えることが脚色なんだ。」

ハワード − ディズニー音楽に込めた物語−より

「美女と野獣」の歌でハワードは彼の人生体験を観た人に伝えたかったのではないでしょうか。

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