【キャラクターに力強さを】ジョン・ラウンズベリーの軌跡
ディズニーアニメーター、ナイン・オールド・メンのジョン・ラウンズベリーが担当したキャラクターとシーンを紹介します。
・「白雪姫」の魔女(アニメーターのノーマン・ファーガソンと共に担当)
・「ピノキオ」のきつねのファウルフェロー、ねこのギデオン(ノーマン・ファーガソンと共に担当)
・「ファンタジア」の「時の踊り」のダチョウのミラ・ユパノーヴァ、ワニのベン・アリ・ゲーター
・「ファン・アンド・ファンシー・フリー」の「ミッキーと豆の木」の巨人ウィリー
・「ピーター・パン」のジョージ・ダーリン
・「わんわん物語」のイタリアレストランのオーナーのトニー、料理人のジョー
・「眠れる森の美女」のステファン王、ヒューバート王、マレフィセントの手下のグーン
・「101わんちゃん」のホーレスとジャスパー
・「ジャングル・ブック」の象のハティ大佐
ジョン・ラウンズベリーは主にアクが強いキャラクターを描いたアニメーターです。
彼が生み出したキャラクターは複雑なデザインでありながら、細かく正確に捉えて描いて表現されています。
彼のアニメーターとしてのスキルは内部でも評価され、ナイン・オールド・メンの中でも一番早くシーケンスディレクターを任されています。
有名なのはやはり白雪姫の魔女やファウルフェローとギデオンですが、他のアニメーターから一番評価が高いのは「ファンタジア」の「時の踊り」のダチョウとワニです。
観たことがないのであれば一度ディズニープラスで観ることをお勧めします。
音楽に乗ってダチョウやワニが現れては踊っているシーンは、とてもダイナミック。
今の時代に観ても見入ってしまいます。
ディズニーアニメーターになるまで
高校時代から漫画を描き、デンバー美術館に入学
ジョン・ミッチェル・ラウンズベリーは1911年3月9日オハイオ州シンシナティのノーウッド地区で生まれました。
幼少時代からスケッチと絵画が大好きでした。
イーストデンバー高校の「常駐漫画家」で卒業アルバムにはジョンの漫画がほぼ1ページおきに掲載されるほどです。
ジョンはデンバー美術館に入学し1932年に卒業。
彼は大恐慌にもかかわらず、自分が最も愛している漫画を描くことで生計を立てることを決意していました。
高校の同級生の影響でシュイナード美術学院に入学
ジョンの高校の頃の漫画家仲間の同級生から、シュイナード美術学院に通うことを説得されます。
実はジョンが13歳の頃に父親を心臓発作で亡くし、母親は働かざるを得なくなるのですが、母親は教育機関からの奨学金の助けを借りて、ジョンが奨学金を受けられるよう手配をしてあげました。
ジョンと同級生はロサンゼルスへと旅立ちます。
シュイナード美術学院に通いながら、フリーランスの仕事も始めました。
人材発掘の話を聞いてディズニーアニメーターに
ジョンが美術学院を卒業する頃、仕事を探していた際に教師からディズニーの人材発掘について聞かされ、ディズニーに応募します。
1935年7月2日にジョン・ラウンズベリーはディズニーに入社しました。
アニメーター以外の活躍
「ダンボ」で制作監督に抜擢
ジョンはアニメーターの他に「ダンボ」、「ラテン・アメリカの旅」で制作監督に抜擢。
「三人の騎士」では制作監督兼監督を務めていました。
また「くまのプーさんとティガー」と、ライザーマンと共同で「ビアンカの大冒険」の監督を務めました。
■引用元
■参考文献
・Walt Disney's Nine Old Men and the Art of Animation p.240-p.263
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?