ランドセルの歴史と未来
私は小学校教員であり、来年小学生になる息子をもつ母親でもある。
そんな私は、毎日子供たちが背負うランドセルを見ていて、色々と思うことがある。
そこで、今回はランドセルの歴史について書き、ランドセルとは一体何なのか?!を考えてみたい。
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「ランドセル」という言葉は、もともとオランダ語の「ランセル」からきた言葉らしい。
ランセルとは背負いカバンのことで、西洋の軍隊で軍人たちが持ち物を運ぶために使うカバンだった。
江戸時代末期の幕府が富国強兵の名のもと、西洋の軍隊制度を導入した際、兵士たちのカバンとして採用されたのが、「ランセル」だった。
この頃はリュックサックのような形だったらしい。
軍隊で使われていたものが、学校で使われるようになったのは、それから数十年後の1885年。
学習院の初等科で、子供たち自身に自分の学習用具を持ち運ばせるために使われはじめた。
それまでは使用人が持ったり、馬車通学もあったりしたらしいが、「それでは子供が軟弱になる!」との声があり、ランセルが導入された。
それが徐々に訛って、「ランドセル」になっていった。
ランドセルが今のような箱型になるきっかけとなったのは、1887年のこと。
のちの大正天皇が学習院へ入学する際、そのお祝いにと、伊藤博文が箱型のランドセルを贈ったことから、箱型のものが広まっていった。
それでも当時はまだまだ高級品で、一部の富裕層のみが持つものだった。
都市部の上級家庭には徐々に広まっていったが、一般庶民はまだまだ布製のカバンや風呂敷を使っていた。
庶民に広まるのは、ずっと後。
戦後、高度経済成長期の1955年頃からだ。
庶民の暮らしが豊かになっていく中で、安価な合成皮革のランドセルも作られるようになり、手に入りやすくなった。
そんなわけで、ランドセルが全国に普及していった。
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と、ここまでがランドセルの歴史。
ここまで書いてきて思ったのは、「ランドセルは、かつては豊かさの象徴だったんだな。」ということ。
それまで一般庶民の子供たちは、使い回しの風呂敷やヨレヨレの布カバンに大切な学習道具を包んで学校に持って行っていたんだろう。
教科書がシワになったり、雨で濡れたり、鉛筆が隙間から転げ落ちたりして、困ることもあっただろう。
だから、頑丈な革でできた箱型のランドセルは、大切な学習用具を守りながら運んでくれる素晴らしいカバンに見えたに違いない。
おい、金持ちのあの子、ランドセルを買ってもらったらしいぞ!
あぁ、僕も欲しいなぁ!
おれ、今度買ってもらえることになったぞ!
えー、いいなぁ!
子供たちはそんな会話をしたかもしれない。
親たちは、
あの子のうちはランドセルを買ったのか。うちも買ってやりたいが、お金が足りないなぁ...。
と、子供に申し訳ない気持ちで必死に働いてお金を貯めたのかもしれない。
ランドセルはそうやって、庶民の憧れの持ち物となり、爆発的に全国に広まっていったのかもしれない。
時は折しも、高度経済成長期。
みんなが豊かさを求めて、テレビや冷蔵庫、洗濯機を買い求めた時代だ。
ダイヤモンドが輝く婚約指輪が広まったのも、この頃。
経済がうなぎ登りに成長する中で、生活は豊かになり、それは子供たちの持ち物にも表れていった。
ある意味、高価なものや他人が羨むものを手にすることが、イコール幸せなのだと信じられていた時代。
物質的な豊かさと人生の豊かさが、違和感なく結びついていた。
しかし、それから数十年の時が経ち...。
2023年の現代日本はどんな時代だろう?
もはや、高価な物を手に入れることが価値ではなくなりつつあり、”ミニマリスト”や”ノマド”といった言葉が流行るなど、「持たない生き方」が良しとされるような空気もある。
長引く不況で、経済的に苦しく、持ちたくても「持てない」人もたくさんいる。
そして、選択的シングルマザーやLGBTQなど、生き方の多様化も進む。
色んな価値観や生活状況の人がいて、カバン一つとっても、どんなカバンを求めるかのニーズが異なる。
だから、みんな同じカバンを持つ意味や必要性はどんどん無くなってきていると思う。
さらに、1人1台端末の普及で、教科書やノートを持ち運ぶ必要が無くなり、近い将来カバンすら持たないで登校する日が来るかもしれない。(タブレットケースのみ、みたいな。)
ランドセルもいつか、「昔はこんな大きなカバンを背負って学校に行っていたのです。」と、歴史の教科書に載る歴史的遺産になるのかもしれない。