「想像(イメージ)するから創造が始まる。」
どんな世界に住みたいか?
平和で、争い事なんかなくて、
一人一人の霊性も高くて、
人類一家族
傷つけたり、傷つけられたりなんて
考えられない世界。
飢餓も貧困も戦争も、そんなの
「何のこと?」って言うぐらいの世界。
皆が自分のやりたいことをやる
それがうまく繋がって、役に立てる
無理やりとか、我慢してとか、
そんなのとは無縁の世界。
かつてカルト宗教に関わっていたのも、そこの活動を世界に広めればそんな世界を作れるんだって思ってたから!(無理でした…)
それでもなんとなく地上に天国ができたら
こんな世界になるのかな~っていうイメージがあった。
「創造本然の世界」
空想の世界じゃなくて、
本気で、そんな世界ができるんだったら、
貢献したいなって。
私にも役に立つことがあるんなら、
その活動に参加させてもらいたいなって。
そんな凄いことに賛同できるなんて、
人生かけてみる価値、あるかも!?
って、夢と理想を追いかけて、
自分の幸せなんか後回しでもいい、
神と人類の為に役に立てるんなら役に立ちたい
そんな純粋な思いでいたんですよ。
イメージの力、大切です。
青写真カとでも言いますか。
青写真があって、
初めて建築に取り掛かれる。
だけど、
だんだんとその完成のイメージは
どうでもよくなってきて、
レンガを積み上げることだけに
一生懸命になっていってた。
活動することに夢中になって、
イメージが見えなくなってるのに、
目の前の仕事をこなすことだけに集中して、
きっと、いつか、終わりが来るんだろうって動いていた。
(宗教団体では、わざとそうさせられてたんですけどね…)
建築現場で言ったら、
力仕事をしている土方みたいな立場。
(決して、土方と言う職業を馬鹿にしてるわけではありません。)
何を創ってるかより、指示されたことをこなすことに
一生懸命な姿ってこと。
だけど一番大事なのは、
完成したらこんなもんができるんだよ、
っていう「青写真」「イメージ」
が大切なんだけどね。
創造は、想像から始まるんだから。
『タオ・コード―老子の暗号が語り出す 性の五次元領域から迸る秘密の力 』 千賀一生著 (5次元文庫)
この本を読んだらかつてのイメージが、
頭の中で甦ってきた。
忘れかけていた理想
著者の千賀一生さんが訪れた、中国の山の中の村。
そこに、私がかつて描いていた「理想世界」を観た。
タオの暗号より - わの舞 official site
http://chiga.jimdo.com/%E3%82%BF%E3%82%AA%E3%81%AE%E6%9A%97%E5%8F%B7%E3%82%88%E3%82%8A/
<一部抜粋>
(千賀氏が中国の山の中野村で体験された内容)
『あの祭りで体感したような愛に包まれて育つ彼らは、愛に飢えたり、愛を渇望することがない。
だから、それを相手に求めたり、不満を抱いたりすることがなく、反対に、誰もが当然のごとく愛を与えようとする。
そうした彼らの満たされた意識が自然に理想的な男女の関係を生じるのだろう。
あの村での体験以後、私は日本の人々が愛に飢えている姿がわかるようになった。
あの村の人々は、異性を獲得して自分のものにしようとか、自分の気持ちを何とか告白して通じさせようとか、そうした個人的意志で異性に向かうことをしない。
あの祭りで私も体験したように、意識と意識が通じ合っている彼らは、好きという気持ち自体、私たちのそれとは違って彼らのそれは互いの共感から生じる愛の意識であるために、片方にその意識が生じる時には相手にも生じていることを彼らは知っている。
だから、ことさら言葉に出さなくても相手のことを好きと思えば、相手にそれは通じているのが通常で、文明社会の人間のような片思いに苦しむ姿はほとんど目にしたことはなかった。
彼らのどんな夫婦も幸せそうなのは、こうした見えない愛の次元で、出会うべき人を探り当てるからもあるだろう。
彼らを見ていると、人間は最初から出会うべき最高の異性が存在しているのだろうと思われてならない。
それほどに調和ある関係が成り立っている。
日本では「赤い糸」の話が神話的あこがれとして語られるが、彼らにとっては、それが現実なのだ。
だから、彼らは十四、五歳で自然に望む相手と結ばれることが多い。
しかし、所有欲や嫉妬心で相手を縛る観念のない彼らは、他の異性とも実に調和的で親密な関係を保っていた。
彼らの日常はスキンシップで満ちていた。
身体関係においても、まるですべての人が心の通い合った恋人のようでさえあったが、かといって、他の異性とのスキンシップに嫉妬心が起ころうはずはなかった。
大道に満たされた彼らの中には、個人的な欲でそれを求める心などないからだ。
異性に対する所有観念がないことが、逆にこうした一体性を結果として築いているに違いない。
それは、人間以外の存在に対しても同様だった。
財産の一人じめなどあろうはずはなく、財産という概念自体が彼らにはなかった。』
抜粋終わり
「ここに行ってみたい!」
「この村で暮らしてみたい!!」
そう感じたら、
「ああ~、こんな世界ができるんじゃないかって、かつてそう思ってたんじゃない!」って、思い出した。
燻っていたものに新しい風を吹き込んだら
少し炎が燃え上がってきた。🔥
だからって何がしたいのかなんていう
具体的なものがあるわけじゃないけど、
消えかけた情熱・夢・希望を思い出して。
20歳の時夢見た「理想天国」
世界をどうかしたいなんて、大それたこと考えてもいないけど、
せめて、せめてイメージだけでもね、持ち続けていたいなって。
自分がどうなりたいのか、
何をしたいのか、
どんな暮らしをしたいのか、❤️🔥
「イメージ」したいなって、そう感じた。