ここにいなくても、ここにいる②
「あなたが ここに いてくれて、うれしい」
という祈り。
「あなたが ここにいなくても
いてくれて うれしいです。ありがとう」
光が、心の全てに 広がりますように。
穏やかな心を
すべてと わかちあえますように。
こんにちは。
おばあちゃんが亡くなって、体験したこと
前回の続きを記したいと思います。
正直、受け取ったことは
時系列になりきらないのですが
(なぜなら、いまも頻繁に届くので…)
取りこぼしているものもある、と
みつめつつ、書いてみます。
おばあちゃんの火葬が終えてから、
ヒーリングのために
一度帰っている電車の中で
メールが届いていることに気がつきました。
火葬中も、その後の
メモリアルボード作成の時も
色々なお話が飛び交っている中で
ずっと、心の奥底の静けさ
祈りに通じていることを
感じていたのですが、
わたしは「受け取った証」
を見逃さないように
助けてほしい、とも、思っていたところに
届いた、神からの
お手紙のようなメール。
そこには、
クラスご一緒くださっている方の
近況と共に、
心からの捧げ物が書かれていました。
そのなかに、
「ちょうど、来月義父の一周忌があって・・・」と、一言。
そのことが、クラス前のヒーリングの時にも、ふと心にとまって
「お義父様は、いつが一周忌なのですか?」
と 聴くと、「9月13日です」
と教えていただきました。
その時、「わたしたちは、ずっと、いる」と
誕生日のおばあちゃんと、
命日のクライアントさんのお義父様と
また、前回のお話の方々とも
光に 包まれている あたたかさが
心に広がっていました。
応えてくれている、存在が
たしかにいるのです。
奇跡は、常に、降り注いでいます。
奇跡こそが
わたしたちを 時間の外の世界で
待っています。
ありがたい心の煌めきを
受け取っている中で
お通夜、お葬式の日に「台風直撃するかも」というニュースも 届きました。
その時も、ふと
「声」が
心に届いたのです。
「大丈夫。台風、きえるよ」
わたしもニュースで台風の進路予想を見つめていたのですが
「わたしが観たいのは、本当のこと」と
その都度、心を元に戻す機会となりました。
「本当のことに、参加している人が、
少なくとも 1人いる」
と、思い出すことによって
わたし自身も、
「わたしも、そうしよう」と
また、心が、ふわりと軽くなったのです。
「いてくれて、ありがとう」
そして、8月31日。
お通夜当日。曇りの合間に
お日様が見えていました。
雨にふられることがなく、会場につきました。
学校で以前校長先生をされていた、
というご親戚の方が
早めに到着されていたそうで
その方が
「くるときは降らなかったから、よかった。
雨が降りそうだから、帰ろうかどうか迷っています」と、穏やかに
お話しされているのが きこえてきました。
「無理せずに、きていただいただけで、
ありがたいので」と
父母が話していました。
足元が悪くなると、
田舎道は、道中も大変になります。
「同じように、台風の予報も、雨の予報もあったから、行けないと思う方もいるのだろう」そう、思いながら静かに
そのおもいも預けていると
「でも、せっかくきたから、
待たせてもらうね」と
開始時刻まで、およそ1時間ほどあるのに、
席で待たれていました。そして、お知り合いの方と、また穏やかにお話されている姿がありました。
雨は、その夜、降りませんでした。
お通夜の最中、お坊さんが
お経をよみ、少ししたのち
「では、故人に心を寄せて、静かにしてみましょう」と言った後に
お坊さんは、アカペラで、
歌を歌っていました。(!)
お経、ではなく、それは歌、でした。
誰かの歌、というのではなく、
まるでお経のような、歌が
会場に響いたのです。
「今夜は1曲、歌も歌わせていただきました。
明日は、お手紙も書いてきますね」と
お通夜の後のお坊さんの言葉に
笑みが溢れていたのは、
言うまでもありません。
(お、お坊さん歌ってる?!と、
驚きと笑いの嵐が
親戚の皆様や家族のみんなの心に吹き荒れていたのでした。笑)
帰宅後、
お坊さんの読まれていたお経の内容を
夕飯の時、父が教えてくれました。
その現代語訳をみて、
言葉は違うけれど、「本当のことを観る」
と言うことに
なんだか通じると感じたお経の内容でした。
おばあちゃんの、「ユーモア」と
「純粋さを見抜く」ことが
ふんだんに感じられつつ
次の日のお葬式も迎えられたのでした。
「雨予報は、どこへいった?」
となるほどに。
また長くなってしまったので
次のnoteに続きます。
お読みいただき、
ありがとうございます。
この瞬間を
内なる愛に ささげられますように。
わたしが 自分で(egoで)考えることの
ないよう、助けてください。
どこへゆき、
何をことばにするか
おしえてください。
わたしの中の 愛以外の声を
ひとつのこらず
鎮め、光にもどしてください。
平和ではない考えを
選ぶ代わりに
内なる愛が 語りかけてくる
光を 感じられますように。