存在するものに、ゆだねる
こんにちは。きょうは
みなさまから、いただいたメッセージを
もとに、ほんとうのことに
ふれてゆけたら、と
おもってます。
わたしは、普段本を読むことが
そんなに多くないのですが、
四季の巡りのように
導きの中で、ふと
ふれる本があります。
(何度も読んでいるはずなのですが
毎回新鮮です。
それは、人とも、本とも、…ですね。
いつも、はじめまして、です。)
そして、このはじめに、は
霊性を呼び起こされる、
ほんとうに秀逸な、引用です。
いつも、表現するものは
つねに
本来のわたしと、あなたのために
しています。
必ず、わたしが
深めたい喜びという、学びを
光が、おしえてくれるのです。
この魚のお話、じつは
ある方のオススメで、
別な本で読んでいました。
そのときは、深海魚ではなく、
老いた魚が、若い魚に、
今日の水はどうだい?と、聴くのです。
若い魚たちは、
水ってなに?と
顔を見合わせるというお話でした。
それとは、また、別なところから
同じような例えが訪れていたのです。
(わたしが見過ごしていたのでした。😌)
こちらをInstagramの
ストーリーズ(24時間できえてしまう表現)
であげたときに、
メッセージをくださった方がいました。
水にふれたところ、その、わかる
感覚を
言葉にしてくださいました。
ありがとうございます🙏
水…は、神の愛だと
わたしも、感じます。
ないとおもっているけれど
愛がないと、
わたしたちは
存在していません。
また、こんなふうに
表現をしてくださった方も
いらっしゃいました。
ありがとうございます。
愛を選びつづけたい、と
頼むこと。
タイミングは、
神が降りているとき、です。
本来のわたしたちの意志は、
神の意志と
調和しています。
だからこそ、『こんな、わたし』
を取り下げられます。
本来の目の前の方を
うけとるために。
わたしも、あなたも、ここにいます。
水にとけてある、
わたしたちを
かんじつづけます。
いつも、ご一緒に
うけとってくださり
ありがとうございます。