光が降り注ぎ、奇跡の花が開くとき。
「心の眼でみる!」
蓮さんの、最近リピートして見ている
プリキュアの映画から
毎回、このフレーズのところが
わたしの耳に届きます。
蓮さんの見ている動画は
いつも、面白いヒントがたくさんです。
「この机には意味がありません」
「でも、この机の代わりに、あなたには
意味があるものが、感じられます」
「それを、受け取ってゆきましょう」
そのような優しい声のような
柔らかな空気が
心に届くのです、いつも。
『わたしの聖性から
本当の世界の知覚が生じます。
ゆるしを受け入れたので
わたしはもう自分のことを
罪があるとは見ていません。
・
分別のある目を通してみれば
世界の神聖さしか
わたしには見えません。
というのも、わたしは自分自身について
抱いている思いだけを
描き出すことができるからです。』
今回noteを書きましたのは
お礼と、こちらこそ、感謝です、という
思いを伝えたく、書かせていただきます。
実は、noteには
サポート、という機能があるみたいで・・・(それをわたしが
よくわかっておらず・・・)
サポートとメッセージを半年以上前に
いただいていましたのに、わたしが
今日気がつきまして・・・
本当にごめんなさい。。。!
わたしは、受け取ってくださった、
あなたこそ
「わたしを
いま、という愛に
戻してくださり、
ありがとうございます」と
お伝えしたい気持ちで
いっぱいです。
わたしは、あなたが読んでくださったからこそ
喜び溢れる、
学びと
心に咲いた奇跡の花を
心でうんと
シェアしてゆきたい、と
より、感じました。
わたしは、自分が
うまく説明できないことを
認めていて、ゆるしています。
だから、お友達の進めてくださった、
音声でのシェアは
わたしの説明できないことを
音で・・・表現をゆるせています、
ありがたいです。
また、一人で学ぶことも、苦手です。
毎回、学びの飛躍の時には
隣に、どなたかが、いてくださいました。
その方々こそ、神の使者、
ホーリースピリットでした。
そして、わたしは、人(心)を
通ってゆくことでしか、
つまり、関係性の中でしか
「わたし」はいない、というのも
感じられました。
関係性によって、あらゆるものに
変化する、その自分もゆるしています。
そのことにおいても
罪がある(欠落している、
もっとこうならなくては)とは
思わなくなりました。
あなたは、完璧に
その いまに そこにいます。
わたしは、完璧に
この いま、 ここにいます。
あらゆる方の心を通って
たった一つの愛の心に
触れさせていただく。
奇跡が起きることが
大事なのではなく、
愛に、心に、本来のあなたに
触れることが 生きること。
大切なところは
何も、難しくない、
愛は、優しい、種は
すでに、心にあり、自然と
花 開くということを
深めてゆけていることに、感謝です。
もちろん、「難解さ」に真摯に向き合うと
「わかりたいです」「教えてください」という
神との・・・聖なるものとの、コミュニケーションの
祈りの深まりになります。
その「難解さ」にも
焦りも、比較も、溶けてゆきます。
だから、誰とも、段差のないところで
等しい、全き、光の中で
わたしも、あなたのサポートに
心から、感謝です。
ありがとうございます。^^
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?